5月31日:礼拝メッセージ

5月31日   礼拝メモ       (T・O)
  コリ第一6章1920節   (説教) 朝比奈悦也師
 「信仰者としての自覚」
         
  コリント人への手紙は、教会内に分派の問題や信仰に相応しくない習慣の問題が起こったため、健全な信仰が守られるように、パウロによって記された。本日の聖書箇所では、問題に正しく対処し、健全な信仰生涯を歩むために、クリスチャンとしての自覚を持つことが大切だと教えている。そのクリスチャンの自覚とはどのようなものか。


一、キリストの救いに与った者(20節前半)
  私達は罪の奴隷であり、不幸な生活の中でさまよい、永遠の滅びに向かっていた者であったが、神のひとり子イエス・キリストの尊いいのちの犠牲・代価が払われて救いに与った者である。この救いは何ものにも代えられない価値のある救いであることをよく自覚しなければならない。


二、神に属する者(19節)
  代価を払われて買い取られたものは買い取った人の所有となるが、クリスチャンはキリストのいのちを代価として神に買い取られた者であり、神の所有となった者である。罪から解き放たれて自由となり、神に属する者、神の子とされた者であり、神の子としての特権、神の祝福すべてを譲り受ける特権に与った者である。神との交わり、神の導き、教え、助け、支え、守り、必要の満たし等、様々な恵みを受けて生かされている。しかし、これらの祝福は自分を喜ばすためのものではなく、神様の御心に従って用いられるべきものである。神様に立てられた教会、神様から与えられた家庭、神様から与えられた健康、仕事、能力などはすべて、神の御心に従って生きるために備えられていることを覚えて生活しなければならない。


三、神の栄光を現す者(20節後半)
  神の栄光を現すとは、神の御心を実現し、福音を 多くの人々に宣べ伝えることである。「自分のからだをもって」(20節)とあるが、私たちの言葉、行い、存在そのものによって主の証人となること。教会で、家庭で、職場で、学校で、どこにおいても主の証人として立てられていることを自覚し、ご自身のいのちをかけて買い取ってくださったお方の前に真実に証人として生きるとき、主は栄光を現してくださる。


  私たちは神様の尊い救いに与った者であること、そして神の子とされた者であること、神の子として与えられている数々の祝福と特権を用いて神に喜ばれ、神の栄光を現すために生かされていることを自覚して歩み続けるなら、主は必ず栄光を現してくださる。この週もこれらのことを思いつつ過ごすお互いでありたい。