『みちの光』

インマヌエル綜合伝道団 大阪伝法キリスト教会牧師 朝比奈寛著

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

                 (詩篇119篇105節)

7月1日

聖書 詩篇 138篇 8節

「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。」

「主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。 主よ あなたの恵みはとこしえにあります。」

 

 「神の導き給うままに私はいきます。自分で道を選びません。日々の喜びも悲しみも、ただみこころのままに受けます。神が支配し給う以上、私の霊魂を傷つけるものはありません。私は一切を委ねまつり、ただ神の子として進みいきます。」とL・ゲディックは述べています。神様は必ず間違いなく私共の一切に対して責任を持ってくださいます。神様のみこころに従ってまじめに働き、生活すべきであります。心を弱くせず、失望せず祈りをもって力づけられながら、強く進むべきであります。

 

*寸想*

○神に祈って心をまず、静めよ。

○静かな心によって事を判断せよ。

○静かな心に信仰の力は働く。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、一切をあなた様の手におまかせ致します。御言のごとく私共に関係する事を全うしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


7月2日

聖書 使徒の働き 20章 24節

「神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

「神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

 

 信仰者には使命があり、責任があります。それは人々にイエス様の福音を宣べ伝え、これをあかしすることであります。あかしをするということは、言葉によるのと、行為や生活によるのとの、2通りによってなされます。人々は言葉によるあかしよりも、その人の行為によるあかしや生活によるあかしを求めます。それで信仰者は自分の行為がキリスト様の聖名に関係をもっていることを深く知って、十分に慎み深くなければなりません。あかしのために自分の不自由さや、好みに合わぬ事を忍ばなければならないこともあります。パウロは生命をも惜しまずこの道を進んだのであります。

 

*寸想*

○使命に生きる者は常に強くある。

○使命のために何をも惜しまぬ心、それが強さの秘密である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は深く私共を愛してくださいました。これに対して私共は福音のあかしのために喜んでなしうることをなす者となりますように。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


7月3日

聖書 申命記 31章 6節

「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。」

「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。」

 

 人間は自分の将来のことを考えては心配したり、思い煩ったりするものであります。うっかりすると信仰者にもそのような思いがふと心に入りこんで来て、それに捕われている人があるものです。自分の身体のこと、職業のこと、子供のこと、妻のこと、夫のことなど、いろいろなことが心配の種になります。しかし心配したからといって、ものがよくなるのではありません。それよりも明るい心をもって、計画し、それを実行に移していくことが大切なのであります。神様が私共と共にいてくださることを信じ、恐れず、心配によって、生活を暗くせず、強く明るく信仰によって前進致しましょう。 

 

*寸想*

○問題にぶつかって信仰の力を知る。

○ごう慢であり、自分の力を過信している人間ほど神を信ずる者を軽蔑する。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなた様が私と共にいてくださり、守り導いてくださることを信じます。心を明るく強く持つ者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月4日

聖書 イザヤ書 58章 11節

「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。」

「主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。」

 

 どんな時でも神様を見上げなさい。神様は聖書に書いてある通りのお方であることを必ず発見するでしょう。うなだれた心、疲れ弱った心、重苦しい心、その他どんな時でも、短慮によって心の中をかき乱さないで、聖書の約束によって神様を仰ぎなさい。神様は必ず行き詰まったような境遇の中においても、正しい道を示して導いてくださると共に、渇き切ったような心にも生命の水を注ぎ、感謝と喜びを持たせてくださいます。弱っている心には力と希望とを与えて強めてくださいます。神様を信じ仰ぎ、信仰に堅く立ちましょう。

 

*寸想*

○徹底して神を信じてみよ。

○そのときに経験するものは平安である。

○平安の先には神との一体化がある。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もただあなた様を仰ぎます。信仰を持ってあなた様に望みを置きます。弱い、力の足りない者でありますが、今日も守ってください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


7月5日

聖書 ローマ人への手紙 12章 2節

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

 

 あらゆる種類の憂い、恐れから身をひくこと、争いに加わらないこと、むだ話をしないこと、あらゆる仕事を単純化すること、益のないことを想像しないことなどは、信仰者として日々の生活を送る上に守るべき大切なことであります。「この世と調子を合わせる」と必ず不信仰な思いや考えで心が乱され、平安を失うに至ります。むしろ神様がいかに忠実にその約束を果たし給うか、いかに恵みと愛とをもって私共を扱ってくださるかについて心を向け、平安と満足をもって一日の仕事につくべきであります。神は決して悪くはし給いません。

 

*寸想*

○心を変えよ。一切が変わってくる。

○不平を生活から追放せよ。

○神に一切をまかせることを学べ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は、私共のためにいつも善を願い、祝福を与えるために計画しておられることを信じます。それゆえ、見える何かで心を動かさぬ者にしてください。聖名により祈ります。アーメン

 


7月6日

聖書 コリント人への手紙第二 6章 16節

「私たちは生ける神の宮なのです。」

「私たちは生ける神の宮なのです。」

 

 私共信仰者の霊魂は神の住いであり、その王国であります。それゆえに常に、神様が王として一切を支配することができるように、神様の前にすべてを明け渡していなければなりません。神様が、私共の霊と心を支配なさる時、私共の中には平安が満ちわたり、確信と喜びが溢れてきます。単純に神様に「神様、わたしはあなたのものです。私の一切をあなたにおささげ致します。私の心と霊に住み、すべてをご支配ください。」と祈るならば、文字通り私共を宮として住んでくださいます。その時、神様が私の内にい給うという力強い確信をもって、毎日の生活をすることができるようになるのであります。

 

*寸想*

○信仰者とは神を内に宿す者である。

○神を外に探さずに我が内に認めよ。

○心中にいます神を心より礼拝せよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も一切をあなた様に明け渡し、おまかせ致しますから、すべてをご支配くださり、あなた様が私の内に満ちてくださるように。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月7日

聖書 詩篇 31篇 19節

「あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。」

「なんと大きいのでしょう。あなたのいつくしみは。」

 

 神様とは天地に満ちていますお方であります。神様のおいでにならない所はありません。山上にも、地中にも、海上にも、水中にも、職場にも、家庭にも神様はいらっしゃいます。ですからどこにも神様の守りと愛とを見出すことができます。また神様は永遠なるお方ですから、いつまでもいつまでも存在するお方です。それで神様の守りも愛もなくなりません。神様のいつくしみは私共から離れることはありません。私どもがどこに行ってもまたいくつになっても神様のいつくしみから外に出ることはありません。いつまでも神様の愛の中に包まれている訳であります。安心して神様の愛の中に生活することができるのであります。

 

*寸想*

○空気の中にいて空気を忘れ、引力の中にあって引力を忘れ、神の中にいて神を忘れている。これが人間。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共を愛し、今日も変わらずに守っていてくださることを感謝致します。いよいよ、深い信仰をもって神様の愛の中に安らかに生活する者にして下さい。聖名によって祈ります。アーメン

 


7月8日

聖書 ローマ人への手紙 8章 18節

「今のときのいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」

「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。」

 

 私共の周りにあるものはみな、時がたつに従って色が変わり、形がくずれ、やがては消えてなくなってしまうものであります。天文学者は、地球や太陽の寿命までも計算しています。すべてのものは去っていきます。楽しみも喜びも悲しみも苦しみも憂いも痛みも。このような中にあって、信仰者は永遠に朽ちないものを信じ、その中に生きているものであります。永遠の聖さ、永遠の輝き、永遠の美、それが来たらんとする栄光であります。私共の心の中にはそれが見え、感ぜられ、捕えられています。苦しみに耐えていきましょう。

 

*寸想*

○変わるものによって生きる者は、変わっていく一時的な存在である。

○人間の心は朽ちぬものを求めている。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、変わることなきあなた様に祈ることができますことを感謝致します。移りゆくものに心を奪われず、あなた様に心を向ける者にしてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


7月9日

聖書 ヨハネの福音書 13章 34節

「あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

 

 イエス様の教えもいましめも、互いに愛し合いなさい、の一言につきます。真実な愛が、人間の幸福をもたらす秘密であります。私共の言葉と行為とをもって、人々に愛を分け与えることができる者となるように期待されています。たとえどんなに小さい愛の行為でも、これを怠ってはなりません。無視してはいけません。愛のある所、生活は美しく輝き始めるでしょう。愛は人の顔に必ずその光をあらわし始めます。人間の顔に深く、きよい、美しさを持たせるものはその人の心の中にある愛であります。愛は何をもっても消すことができない美しさと喜びとを生活に注ぎ込みます。

 

*寸想*

○愛ほど偉大なものはない。宇宙もその中に包まれてしまう。

○愛ほど強いものはない。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私共を愛してくださいますが、その愛をもって家族を愛し、友を愛し、他の人を愛して生きる者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月10日

聖書 ローマ人への手紙。8章 32節

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」

「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。」

 

 神様は私共を罪から救うために、ご自身のひとり子なるイエス様を与えてくださいました。それゆえにイエス様は十字架にかけられなさったのです。このように神様は私共を愛して少しも惜しむことをなさらず、最大、最高のものを与えてくださったのです。それですから他のものを与えなさることを惜しみなさるはずがありません。神様はイエス様を私共に与えてくださった時、その他の一切のものをも与えてくださっているのです。必要なものは遠慮をせず、恐れず、祈りをもって神に求むべきであります。神様は必ず与えてくださるでしょう。

 

*寸想*

○握っていなくても、身につけていなくても、物を自分の物として持っていることができるのが信仰である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はあなた様の子供とされた者です。今日も子供としてあなた様に祈ります。必要なる物を与え、また一切の災いから守ってください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


7月11日

聖書 詩篇 145篇 9節

「主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。」

「主はすべてのものにいつくしみ深く そのあわれみは 造られたすべてのものの上にあります。」

 

 天にも地にも神様のあわれみは行届いています。一本の草にも、一滴の水の中にも神様の恵みは溢れています。それを見ることができる人と、見ることが出来ない人とがいます。けれどもそれを見ることが出来ないということが、神様の恵みもあわれみもないのだということにはなりません。なぜ見ることができないかを考える必要があります。信仰の目をもって見ると、一切のことの中に神様の恵みとあわれみとが認められるのです。私共が空気の中にいるように、神様の恵みの中にいるのです。石は空気を吸い込みません。そのように不信の頑固な心は、神様の恵みを吸い込まないだけのことなのです。

 

*寸想*

○神様の愛と恵みは天地に満ちている。

○表面だけ見ていてはそれは分からない。

○不幸に見える中にも恵みはある。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も謙遜な心をもって、一切に満ちわたっている神様の愛と、恵みと、あわれみを悟ることができますように。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈りいたします。アーメン

 


7月12日

聖書 コリント人への手紙第二 4章 16節

「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」

「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」

 

 私共の外なる人、すなわち肉体は年と共に衰えていきます。美しさも去っていきます。けれども内なる人、すなわち霊魂はいよいよ生命に溢れ、望みに満ちて、毎日毎日、新しい者となっていくのであります。外のものに目をつけないで内のものに目をつけ、心を向けるべきであります。肉体が疲れ、弱り、衰えることは、悲しむべきことではありません。イエス様を信じる者には永遠の生命が与えられており、それによって霊魂はいよいよ輝きを増し始めます。内に永遠のものを持つ人は決して落胆、失望することはありません。

 

*寸想*

○信仰者に失望はあるべきではない。

○信仰者は神に望みを置く者だから。

○見えるものに心を置くと失望する。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ともすると移り変わってゆくものに目をつけやすい者ですが、魂の中にある永遠の生命のあることを信じ、希望に生きる者にしてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


7月13日

聖書 ルカの福音書 10章 27節

「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」

「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」

 

 愛するということはこの聖句にある通りのことをすることであります。心を一つに傾け尽くし、注ぎ尽くすことであります。真の愛とはこういうものであります。イエス様は宗教、或は信仰の根本を愛として捕えておられました。神を愛するということ、それが信仰であります。そしてそれはきびしい姿をとります。心をひたすらそれに向ける、すなわち神に向けるのでありまして、あれにもこれにむ心を向けるということができないものなのです。これが信仰の貞操とも言われるもので、すなわち愛なのであります。神を愛する者に迷いはありません。

 

*寸想*

○真に神を愛する者は人を真に愛する。

○神はすべての人を愛してい給うから。

○自己を真の愛をもって愛しなさい。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様の愛を受けながら、真にあなたを愛することをしない私を助けて、真実な愛をもってあなた様を愛する者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月14日

聖書 テサロニケ人への手紙第一 2章 12節

「ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩む…」

「ご自分の御国と栄光にあずかるようにと召してくださる神にふさわしく歩む…」

 

 私共の現在ある立場、境遇というものは、偶然のものではありません。特に信仰者として人生を送っているというこの出来事は、神様が備え、与えてくださった大きな恵みであり、祝福なのであります。このことを深く考え、つぶやかず、疑わず、現在の立場において神様の栄光をあらわすために真剣に労し、神様のみこころの実現のために十分なる活動をなすべきであります。私共は神の国に招かれている者であり、栄光に向って前進している者であります。神様が私共をこの道に招いてくださったのです。それゆえ、神様のみこころに適うように心がけて毎日を送るべきであります。

 

*寸想*

○疑わずに信仰の道を一途に進め。

○神の恵みは今日も変わりなく豊かである。

○信仰とは神を見上げることである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今ある恵みを深く味わい知り、感謝の心を持つと同時に、今後一切のことにおいてあなた様のみこころに適うように生活する者にしてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


7月15日

聖書 創世記 28章 16節

「まことに主がこの所におられるのに、わたしはそれを知らなかった。」

「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」

 

 ヤコブはただ一人で寂しい旅行を続け、夜、石を枕として眠った時、神様が一緒にいてくださることを知り、驚きと共に叫んで言った言葉が今日の聖句であります。神様が私共から離れず、私共を捨てず、常に共にいてくださるということは何という力強いことでありましょう。いっでも、どこでも神様は私共を守り、私共を導いてくださいます。神様に一切を委ね、恐れずに進むべきであります。不安に心をかき乱される必要はありません。神様が共にいてくださるのです。神様が共にいてくださる時、祝福も共にあり、恵みも共にあり、勝利もまた必ずあるのであります。

 

*寸想*

○神は常に我と共に在し給うことを信ぜよ。

○神は我がうちに在し給うことを知れ。

○これは聖霊によって確信しうる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私共と一緒にいてくださることを信じます。私共を守り導いてください。一切をおまかせ致します。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月16日

聖書 箴言 20章 24節

「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。」

「人の歩みは主によって定められる。人はどうして自分の道を悟ることができるだろう。」

 

 人間はどんなに自分の人生の道を決定しようとしても、神様の許しがなければ何一つできるものではありません。特に信仰者に対しては、神様は大いなる期待をおいておられると同時に、その生涯について深い配慮を有しておられるのであります。それゆえに、信仰者は何よりも、自分に対して神様がどのようなご計画を有しておられるかを知ることは、大切なことであります。そして、常に神様のみこころに従うという決意を失わずに、毎日の生活をなすことが大切であります。そのような生涯には決して後悔はありません。自らの知恵、自らの力を過信せず、へりくだって生涯を送るべきであります。

 

*寸想*

○自分の力で何でもできるかのような誤った考え方をしてはいけない。

○神を認めることが知恵の第一歩である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、自分の生涯は決して自分の意志や力で決定することができるものではないことを知り、神様のみこころに従って生涯を送る者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月17日

聖書 詩篇 125篇 1節

「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。」

「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。 揺るぐことなく とこしえにながらえる。」

 

 世の中には、人の言葉に簡単に動かされてしまったり、うわさや時の流れにもてあそばれてしまう人があります。これはしっかりした土台のない人生を送っている人の特色であります。家でも土台が悪いと傾いてしまい、ちょっとした地震で崩れてしまったり致します。人生においても暴風があったり、地震があったり致します。病気、失業、思わぬ災難、失敗等々、思わない時に襲ってきます。しかし、そのような中にあっても神様を信じ、神様に期待を置く人の心は、決して動揺して迷ったり、失望したり致しません。堅ぐ神様を信じましょう。

 

*寸想*

○仰げ、仰げ、ただ神を。

○自己の弱さが分かったら、神を仰げ。

○神に一切をまかせて立て。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、弱い者、力の足らぬものでありますが、ただあなた様を仰ぎます。迫って来る一切の問題のなかで堅く立ち続けることができますように守ってください。聖名によりお祈りします。アーメン

 


7月18日

聖書 マタイの福音書 13章 23節

「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

 

 イエス様はたくみなたとえ話で、深い真理を人々に悟らせなさいました。この聖句もその一つであります。神様の御言を柔かい信仰の心に受け入れると、100倍、60倍、30倍の実を結ぶというのであります。神様の御言には生命があり、力があります。けれども信仰のない、不従順な心に入っても少しも実を結びません。私共は神様に対し、また聖書に対してどんな態度をとっていることでしょうか。願わくは「良き地」のような心を持って、受け入れ、結実の多い信仰の生涯を全うしたく念願するものであります。

 

*寸想*

○神の言に対し態度を誤ってはならぬ。

○結実、収穫の少ない生涯を送るのは、良い心を持って神の言を受けぬから。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様の約束の御言である聖書を心から信じ受け入れ、その御言に従います。私共の生涯が結実の多い生活でありますように。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月19日

聖書 テサロニケ人への手紙第一 4章 13節

「あなた方が他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。」

「あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。」

 

 信仰者には、信仰を持っていない人たちには分からない希望があります。聖書にはそれは「活ける望み」とも言われています。信仰というものは、どんな時でも希望を持たせて強く立ち上がらせるものであります。何を見る時も、希望をもってそれを見るのが信仰であります。それゆえに親しい者との死別においても、信仰者は信仰のない人たちのような、絶望的な嘆きを致しません。悲しみの中にもなお、心中には希望が輝いております。その他の出来事においても同様であります。その希望とは何でしょうか。それは復活の希望であり、キリスト様の再臨の希望であります。

 

*寸想*

○希望は光であり、力の源泉である。

○希望の源は信仰であり、信仰の源は神の言であり、神の言は神より来る。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ともすれば周囲のこと、自分のことに目をつけ、うなだれてしまいやすい者でありますが、信仰の希望によって強く生かしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月20日

聖書 コリント人への手紙第一 7章 29節

「兄弟たちよ。私は次のことを言いたいのです。時は縮まっています。」

「兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。」

 

「時は縮まっています」いつ主イエス様の再臨があるか分かりません。まだまだ遠い先のことだと思ってはなりません。また自分が何年も何年も生きていけるのだと思ってはなりません。いつ人生の終りを迎えなければならないか分かりません。そうですから、悔改めなければならない罪をいつまでもそのままにしておいてはなりません。和解すべき人とは早く和解すべきであります。赦すべき人には、進んで赦しを告げるべきであります。なすべき義務、あるいは奉仕はできる限り今のうちになすべきであります。時を失ってはなりません。伝道すべき時をも失ってはなりません。

 

*寸想*

○今日が最後かもしれない。神の前にいつでも立ち得る備えがあるか。

○肉欲の奴隷となってはならぬ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、「時は縮まっています」と警戒の御言を与えてくださったことを感謝致します。油断せぬ信仰者にしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


7月21日

聖書 イザヤ書 44章 22節

「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」

「わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」

 

 「私どもの罪が7つありましても、また7つの70倍ありましても、否、頭の髪の毛ほど、無数にありましても、なお主のあわれみの中に私を投げ込んでいくことができますように……」とC・Gロセッティは祈りました。罪深い自らを隠さず、罪深さのゆえに絶望せず、罪の塊のごとき者であるそのままで、イエス様の十字架を仰ぐところに救いがあり、罪の赦しがあるのであります。神様は罪を赦す能力をもち、その権限を有してい給うのであります。その神様が十字架のゆえに罪を全く赦すと仰せ給うのでありますから、大胆に信ずべきであります。

 

*寸想*

○信仰とは神のあわれみによりすがって、このままで神を見上げる事である。

○罪とは神のみが赦し得るものである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様のあわれみを信じ、罪の赦しを信じて、イエス様の十字架の身代わりのゆえにあなた様を見上げます。常に単純な信仰を持たせてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


7月22日

聖書 ミカ書 7章 19節

「私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。」

「私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。」

 

 私どもの信ずる神様は罪を赦し、罪を全く解決し給うお方であります。いつまでも罪のために、また失敗のために悩んでいる必要はありません。直ちに神様の聖名を呼び、正直にそれを神様に申し上げて、信じて立ち上がったらよろしいのです。罪の赦しを信じなさい。神様はもろもろの罪を海の底に投げ沈めると書いてあるではありませんか。これは全く解決するということを示したものです。神様の名を呼びなさい。神は私どもの父です。信仰をもってその名を呼び続けなさい。そして罪を赦すとの約束を心にかたく信じて明るく大胆に立ち上がりなさい。

 

*寸想*

○自分の罪深さと、醜さを知れ。

○祈れ。聖霊は罪を示し給うであろう。

○罪人は信仰のみによって神を仰ぐ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、罪を赦す神としてあなた様が私の前に立っておられることのゆえに感謝致します。私の罪を赦し、聖めてください。イエス様の聖名により感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


7月23日

聖書 エペソ人への手紙 4章 26節

「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」

「憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。」

 

 「憎しみと争いの炎を消してください。それはただ心を疲れさせる熱病のようなものでありますから。主よ、弱い私の生命を危険より救い、私のうちにあなたの平安を与えてください。」とJ・H・ニューマンは祈りました。怒りはたとえそれが正しいものであっても、いつまでも心にとめておくと、決して善をもたらしません。心の支配権を怒りに渡してしまうことになり、それは信仰者として正しい心の状態ではないからであります。他人からはずかしめられ、悩まされる時、すぐ主を思い、主を仰ぐべきであります。他人が意地悪く、あたり散しても、あなたまでが同じような心の乱れに陥ることがないように注意せねばなりません。

 

*寸想*

○怒りに操縦される人間になるな。

○怒りによって最善がもたらされる時にのみ、その怒りは是認される。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、すぐに怒りによって心が乱れやすい者でありますが、イエス様を心にお迎え致しますから、平安の中に保ってください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月24日

聖書 イザヤ書 12章 2節

「見よ。神は私の救い。わたしは信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。」

「見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない。ヤハ、主は私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。 」

 

 いつまでもうなだれていたり、心配していたり、暗い気持でいないで、神様に思いを向けることが必要であります。神によって希望を抱き、神により頼んで心を強くすることが、勝利への第一歩であります。疲れることもあるでしょう。また物が予想通りにうまくいかないこともあるでしょう。けれども、不必要にそれによって自分の気持を暗くし、心を傷つける必要はありません。問題や事情によって心に出血をさせてはなりません。心を弱らせないでいるならば、現在の問題を乗り越えて、勝利に進む力は神によって心の中に働くでしょう。

 

*寸想*

○移り変わるものを頼りとするな。

○神に心を向ける習慣を養え。

○心は広くせられ、豊かになるであろう。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、何を力とするよりも、あなた様を力とし、何を頼りとするよりも、あなた様を頼りとして強く生きる者にしてください。イエス様の聖名によって感謝してお祈り致します。アーメン

 


7月25日

聖書 マルコの福音書 4章 40節

「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」

 

 何事についても不必要に心配し、心の平安を失うようであってはならない。自分の足りなさ、弱さ、過失、失敗、あるいは人の批評などについても、それに捕らわれてしまわないように、神を仰ぎ、信仰をもって祈るべきであります。自分のできそうもないことを考えていないで、自分のできる、目の前のことから静かに、焦らず始めていきなさい。明日のことを取越し苦労してはならない。どこまでも安全に導いてくださる神様を信じ、その守りを信じ、一切を最善にしてくださることを信じて、日常のなすべき務めを果たしていきなさい。不必要な思い煩いは、心から汲み出し捨てなさい。

 

*寸想*

○家族のために祈ることを忘れるな。

○心配がなくなるまで祈れ。心配がなくなるまで、聖句を繰り返し暗唱せよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ただ単純にあなた様が救ってくださったことを今も信じます。また毎日の生活において、守りと助けを与えてくださることを信じます。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


7月26日

聖書 詩篇 21篇 6節

「御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。」

「御前で喜び楽しませてくださいます。」

 

 喜び、それはクリスチャンの特色であります。この喜びは内的な、霊的なものでありまして、物質や環境から来る喜びではありません。喜びのないクリスチャンほど矛盾したものはありません。なぜかならば、喜びの本源である神を信じていながら、喜んでいないということはあり得ないことだからです。もちろんクリスチャンの喜びというのは、単なる感情の問題ではなく、信仰による喜びです。神様を知ったこと、神様が愛なる父であること、この神様が私を救ってい給うこと、今日もこのお方に祈り得ることなどを深く思いますと、心の中に静かな、しかし深い喜びが満ち潮のように溢れて来ます。

 

*寸想*

○神を喜びとする者は強い。

○神を喜びとする者は自己の願いでなく、神の意志の実現を見て喜ぶ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あわれみと恵みをいかに豊かに受けているかを思いますと、心に感謝と喜びが湧くのを感じます。なおへりくだってあなた様を喜ぶ者にしてください。聖名により祈ります。アーメン

 


7月27日

聖書 詩篇 107篇 9節

「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」

「まことに主は 渇いたたましいを満ち足らせ 飢えたたましいを良いもので満たされた。」

 

 神様は私どもの霊魂の創造者であり、保持者であります。それゆえに私どもの真実なる求めと願いに答えて、渇きをとどめるように、喜びと満足とを満たしてくださいます。霊魂に満足を経験する時、私どもは真に幸福を実感することができるのであります。その時、自分の将来に対しても何の不安もなく、神様が一切を最善になしてくださることを信じて、静かに将来を思い、何もかもおまかせして明るい毎日を一歩、 一歩辿ることができるようになります。神様に目をつけ、神様の真実を思い、心から神様を信じてお頼りするものとなりましょう。

 

*寸想*

○神は信仰者を奴隷のごとく扱わない。

○神は信仰者を子のごとく扱う。

○我らは神の愛と真実とを信ずればよい。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私の心は世のものをもっては満足を感ずることができません。あなた様ご自身が私の心に住んでくださり、ご支配ください。イエス様の聖名により感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


7月28日

聖書 エペソ人への手紙 3章 19節

「神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」

「神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」

 

 神様には愛が満ちています。海のように広く豊かです。海に入り、泳ぐように神の愛の中に入り、愛に包まれ、愛の中に生活しなさい。神様はその豊かな愛をあなたの心に満たしてくださるでしょう。それは更にあふれて周囲の人に流れて行くでしょう。そしてその愛は奉仕となり、賛美となり、証しとなり、伝道となってあらわれます。聖なる神の愛がこの汚濁した社会に奔流となって流れていくのは、いつのことでありましょうか。聖霊によって神の愛がいよいよ豊かに私どもの心に注がれ、これによって家庭の人々が生かされ、社会が聖められ、多くの人々が神様の愛に触れ、救われるに至らんことを。

 

 

*寸想*

○信仰者は神を心に受け入れる。

○信仰者は、それゆえに神の愛を受け入れる。

○受け入れし神の愛に満たされんことを。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私どもの心に聖いあなた様の愛を注ぎ、満たし、溢れしめてください。これはあなた様が約束してくださったことであります。イエス様の聖名によってお祈り申し上げます。アーメン

 


7月29日

聖書 コリント人への手紙第二 9章 15節

「ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」

「ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」

 

 「ああ、あらゆる全き賜物を与え給う主よ、今日も私どもに日用の糧を与えてください。聖霊の静かなる深みより流れ出る、つきぬ喜びの泉より汲み、心をうるおすことを得させてください。」と一人の聖徒は祈っています。神様は今日まで、私どもの祈りに答え、求めた以上の恵みと賜物とをもって育て養ってくださいました。イエス様の十字架のあがないによって、神の子とされたという一事だけでも言い尽くすことのできない恵みであります。この事以外、何一つ神様の恵みを受けなかったとしても、私どもには一生涯、心から感謝をささげ続けるべき十分なる理由があるのでおります。

 

 *寸想*

○感謝を忘れたままで一日を送るな。

○感謝の種を生活の中に探してみよ。

○感謝の感覚を失った人間になるな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私を救い、今日に至るまで豊かな恵みと賜物を与え続け、導いてくださいました。心から感謝申し上げます。更に感謝する者にしてください。聖名により祈ります。アーメン

 


7月30日

聖書 詩篇 103篇 2節

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

「わがたましいよ 主をほめたたえよ。 主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

 

 恵みの賜物がどんなに小さく見え、またどんなに平凡なもののように思われても、これを心から喜んでうけ、神様に感謝をささげることが正しい態度であります。花の香り、鳥のさえずり、風のそよぎにも感謝をささげた聖徒がありました。人の忠告、何かの注意、あるいはちょっとした親切や挨拶にも感謝の種が秘められています。主人や子供がいることも、妻や親兄弟があることも、友や近隣の人のあることも感謝すべきことであります。今生きていること、それ自体も恵みであります。信仰とは私どもの目を開いて神を認めさせ、またその恵みを深く知らせて、感謝の生活を送らしめる力なのであります。

 

*寸想*

○感謝して生きようと決意せよ。

○感謝の言葉をもっと大胆に語れ。

○感謝の祈りを生活の中に織り込め。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日まで私を守り、私の信仰を育て、いろいろなことを通して、あるいは語り、あるいは教えて、私を導いてくださったことを感謝致します。今日も教えてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


7月31日

聖書 マルコの福音書 9章 23節

「信じる者には、どんなことでもできるのです。」

「信じる者には、どんなことでもできるのです。」

 

 これこれ、しかじかのことがありますので私にはできません、と人はよく言います。神様に従う道には確かに困難なこともあるでしょう。けれども神様が一切を支配していらっしゃることを信ずる者は、神様に従うことはできないとは申しません。信ずる者にはすべてのことができるのです。すべてのこととは神様の御心に適うことであり、人に益をもたらすことであり、神様の栄光をあらわすことであります。その目的のために、信仰は私どもに、大胆に立て、勇気をもって進め、力を奮え、何も恐れるな、困難に必ず打ち勝てるのだ、神がともに在し給う、と語り続けるのであります。

 

*寸想*

○信仰は困難を見てひるまない。困難よりも大いなる神を見るから。

○信仰者よ、信仰によって強くあれ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私の信仰をもっともっと強くしてください。そして罪と悪に勝ち、もっと神様に従って、神様の栄光をあらわす者にしてください。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン