『みちの光』

インマヌエル綜合伝道団

大阪伝法キリスト教会牧師

朝比奈寛著

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

(詩篇119篇105節)


1月1日

聖書 詩篇 84篇 7節

「彼らは、力から力へと進み…」

「彼らは力から力へと進み…」

 

 私共はクリスチャンとして新年のスタートを致します。前進を開始するのです。前進を妨げるものは何であっても惜しみなく捨てて進まなければ、やがて途中できっと苦しみ始めます。後悔します。それだけではなく前進することができなくなり、失敗者の一人となってしまうでしょう。捨てるべきものを捨て、離れるべきものから離れて、神を仰ぐ時、神は必ず聖霊による力を与えて雄々しく前進することを得せしめてくださいます。神より来る力はいよいよ増加する力であ句、無尽蔵の力であります。この力は一切の困難に打ち勝たしめる力です。力から力に進む、これが信仰者の生涯です。

 

*寸想*

○神に祈らずして日を過ごすな、それは最も悪い習慣である。

○決心した善き事にはすぐ着手せよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共に新しい年を与えてくださいましたことを感謝致します。新年の始めから力ある生活を送ることができますように聖霊を豊かに注いでください。主イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


1月2日

聖書 申命記 33章 25節

「あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」

「あなたの力が、生きるかぎり続くように。」

 

 私共に必要な力は神にあります。神より力を受けて、今日のすべてのことに手をつけなければなりません。力は聖霊によって私共に与えられます。その聖霊は私共が主イエス様を信じた時に、既に私共に与えられております。まず聖霊が、私共の内に宿ってい給うことを信じ、そのことを父なる神様に感謝致しましょう。そして聖霊に全く従いますと心から申し上げて、今分かっているなすべきことを忠実にする時、聖霊による力は、実際生活の中にあらわれ始めます。毎日、自分の力で何かができるのだと考えないで、事ごとに神の力を求めなさい。力は必ず与えられます。

 

*寸想*

○明日のことを考えて、暗い気持ちになってはならない。神はその日その日に必要なる力を与えなさるから。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日私の必要とするものは悪に勝つ力、罪を離れる力、誘惑を退ける力、善いと思うことを大胆に実行する力でございます。聖霊による力をお与えください。聖名により祈ります。アーメン

 


1月3日

聖書 詩篇 121篇 8節

「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」

「主はあなたを 行くにも帰るにも 今よりとこしえまでも守られる。」

 

 主とは約束を忠実に果たす力ある神を意味しています。神様が聖書の中に述べている約束は、皆私共への約束であり、必ず実現される約束であります。今日神様は私共に、今から永遠まで守ると仰せられています。前途の暗い予想、悪い予想によって心を弱くしてはなりません。神の守りと助けのあることを確信して前途を見るべきでありま。神の守りは私共の霊魂のみならず心にも身体にも及び、すべてに豊かなる恵みが注がれます。風が吹き波の荒れることもあるでしょうが、決して恐れずに神の守りを確信して進みましょう。

 

*寸想*

○あせりと憂慮とを捨てよ。

○すべてのこと感謝をもって始めよ。

○恵みの中にある現在を尊べ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなたは私を永遠までも守るとお約束してくださいましたことのゆえに感謝致します。今日もみ護りのうちに置いてください。イエス様の聖名によって感謝してお祈り致します。 アーメン

 


1月4日

聖書 テサロニケ人への手紙第一 5章 17節

「絶えず祈りなさい。」

「絶えず祈りなさい。」

 

 祈りの中にただ一人、主イエス様とともにいるということは信仰者にとって大きな特権であります。信仰に成長し、力強くなり、祝福と勝利のうちに信仰生涯を全うしようと願うならば、一日のうちどこかで、人を離れ、祈りのうちに主イエス様と面接することが必要であります。世の事から離れて、短い時間でもよいですから聖書を読み、祈ることを毎日怠らず続けている時、私共は思想にも感情にも非常な変化が起こってくることを経験します。そして主イエス様が常にともにいらっしゃるという自覚が強められ、深められて、驚くような平安が心を支配するに至ります。人に語るよりも神に語る者とならんことを。

 

*寸想*

○真実なる心をもって神を求めよ。

○怒りは破壊力を発揮する。

○他人の非を数えあげて人は恵みを失う。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私をもっと真実に祈ることができる者にしてください。神様がおられることを深く心に悟り、親しくお話し申し上げることができる者にしてください。主の聖名によって祈ります。アーメン

 


1月5日

聖書 マタイの福音書 6章 6節

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」

「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」

 

 祈る信仰者は力ある生涯を送ります。祈らない信仰者は根のない草のようなもので、やがて枯れ、しぼむ時が来ます。祈る時、環境を整理することも必要ですが、一番大事なことは心を整えることです。心の戸を閉じて世の中のことを外に出しなさい。祈りの時に大切なことは天の父なる神様が今ここにいらっしゃるという自覚を強くすることです。これを神の臨在意識といいます。神様がともにいらっしゃるということを悟ることで、この意識を毎日養うことが大切です。これは祈りの第一歩です。そして本当に祈れる信仰者、力ある信仰の持ち主となります。

 

*寸想*

○沈黙し熟考することを学べ。

○「金さえあれば」という考えを子供に入れるな。金のため、親を売るに至る。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私の心から世の雑念を追い出してください。そしてあなた様が私と共におられることを悟らせてください。毎日あなた様と共に生きる者にしてください。聖名により祈ります。アーメン

 


1月6日

聖書 マタイの福音書 4章 4節

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」

 

 聖書のことばは神のことばであります。聖書を読む時、祈り深く、敬虔な心をもって読むべきであります。私共はパンを食べます。これで身体が養われます。そのように私共は聖書のことばを食べる必要があります。聖書のことばを食べるとは、聖書のことばを読み、これを信じ、これに服従し、これを深く思い、記憶し、これによって生活することです。私共は毎日食事をするように、毎日聖書のことばにふれる必要があります。その時心から世の思い、汚れた思想が常に排除されて、きよく、健全に保たれます。聖書に養われる信仰者であらんことを。

 

*寸想*

○よくないと思ったら、理屈を言わないで今すぐやめよ。

○悪魔を喜ばせる者となるな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共の霊魂はイエス様を信じた時から、生きたものとなりましたが、聖書のことばによって養われなければならぬことを更に深く教えてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


1月7日

聖書 ヨハネの福音書 8章 12節

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」

 

 キリスト様は「世の光」であります。もし彼を信じ、心より彼に従うならばその人は光の生涯を全うすることができます。昔イスラエル人がエジプトからカナンまで旅行した時、誰もその道を知らない荒野をたどりました。神は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを導いたのでありました。ちょうどそのように、人生の旅をしている私共にとって私共の行き先を示し、道を照らす「光」はイエス様なのであります。イエス様は私共を間違いなく導き、守り、助けて安らかに神の国に到着させてくださいます。喜びと感謝と平安を与える光の道を進みましょう。

 

*寸想*

○祈祷は勝利への第一歩であり、確実に勝利に至らしめる最善の道である。

○最も安全な道は神に従う道である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私をたえず、罪と不信仰と不従順の暗黒から助け出して、主イエス様に従う道、即ち光の道をただ一筋に進ませてください。聖名により祈ります。アーメン

 


1月8日

聖書 詩篇 50篇 15節

「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

「苦難の日に わたしを呼び求めよ。 わたしはあなたを助け出し あなたはわたしをあがめる。」

 

 私共の信じている神は活きてい給うお方であります。それゆえに信仰者が苦難の中から呼ぶ時、これを聞き、これに答え、その必要に応じて助けを与え給うのであります。神ご自身が、信仰者に「呼べ」と言っておられます。主人の命令を待つしもべのように、神は待っておられるのです。私共は事の大小に関わらず神を呼ぶべきであります。神に願い、神に訴え、神に祈るべきであります。その時、神は必ず豊かなる助けを与え、恵みと力とを注ぎ、問題に対しては解決を与え給います。そして、心から神の聖名をほめたたえるようになります。落胆せずに祈る信仰者となりましょう。

 

*寸想*

○一切のことはただ神によってのみ成ることを知って、本気で神により頼め。そして、一切は自分の労によってのみ成るかのごとく本気で働け。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共のような者に「わたしを呼び求めよ」と仰せくださることを感謝します。常に祈る信仰者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


1月9日

聖書 出エジプト記 34章 29節

「彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。」

「モーセは、主と話したために自分の顔の肌が輝きを放っているのを知らなかった。」

 

 聖書は繰り返し、繰り返し、祈れ、と私共に教えています。祈らぬ者は真の信仰者ではありません。呼吸しなければ人は死ぬように、祈らなければ信仰は死んでしまうからです。祈るとは神と面接することであり、神と話をすることであります。それはどんな結果をもたらすでしょうか。モーセは神と面接し話をしている間に、神の栄光を受けて自分の顔から光を放つようになったとあります。しかも、自分ではそれを知りませんでした。祈る信仰者は自分が気がつかないうちに、神からのみ来る高貴な人格の光を放ち始めるものです。

 

*寸想*

○神に協力せよ、その労には無駄がない。

 真の信仰は奉仕に導く。

○祝福された人間の労働に祝福は伴う。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、もっと私共をあなた様に近づけ、親しくお話を申し上げることができる者にしてください。私共の内なる姿が変わるまで祈らせてください。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン

 


1月10日

聖書 詩篇 25篇 9節

「主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる。」

「主は貧しい者を正義に歩ませ 貧しい者にご自分の道をお教えになります。」

 

 神様は信仰者を導くお方であります。信仰者は自分勝手に自分の人生コースを決定し、自分勝手な方向に進んで行ってはなりません。なぜならばその道はどこに到達するのか分かりませんし、途中で何かあった時、本当に助けになるものがない道だからです。しかし神様に従ってゆく時、神様は必ず最善に導いてくださいますし、途中においても責任をもって助け、守ってくださいます。そのためには「貧しい者」であることが必要です。「貧しい者」とは喜んで心から神様の約束を信じ、その命令に従う者であります。祝福への道を神様に従って進みましょう。

 

*寸想*

○最善の努力をせよ。その時残された不完全は神が完全にする。

○小さな不服従は大失敗のもと。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共は時々自分が何でも知っている者のように、ふるまいがちでありますが、謙遜に神様に従う者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り申し上げます。アーメン

 


1月11日

聖書 ヤコブの手紙 5章 11節

「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」

「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」

 

 必要なものならば、耐えられないものはないはずであります。神は今、私共を試みて結局は報い、私共に栄光の冠を与えようと思って今しばらくの間、患難を負わせてい給うのであります。いろいろの問題や関係の糸は、自分で断ち切ろうとしてもそんなに簡単には断ち切れるものではありません。ただ、静かに神様のみ旨のままにこの身をささげ、これを神様のみ手に委ねるのがよろしい。決して焦りや怒りによって事を錯乱してはなりません。信仰者にとって大きな課題は、忍耐を養うということであります。

 

*寸想*

○我々が憂うつになるのは、神のみ旨にかなわないものを求めるからである。

○神が喜び給うことを我が喜びとせよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、いかなる時にも、どんな問題の中においても、神に従うことと神の時を信じて待つ者にしてください。イエス様の聖名によって感謝してお祈り申し上げます。アーメン

 


1月12日

聖書 ヤコブの手紙 4章 11節

「兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。」

「兄弟たち、互いに悪口を言い合ってはいけません。」

 

 「あなたにもし忌み嫌う人があったならば、その人については何も語るな」と、R・セシルは言った事があります。妻についても、夫についても、親や兄弟、あるいは子供についても決して悪しざまに言ってはならない。悪意のある、相手を倒し、傷つけるような言葉は信仰者の口から出るはずがない。むしろ沈黙していた方がよい。しかしながら、その人の欠点は自分にないか、その人の失敗は自分もまた犯しやすいものではないかと考え、反省する必要はないでしょうか。神様が私共に見せている様々なものを深く見て自ら教訓を受けるべきではないでしょうか。

 

*寸想*

○見上げる事はしても人を見下げるな。

○きよきを心をつくして求めよ。

○空想によって時間をつぶすな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はうっかりすると人をほめるよりも、悪く言ったり、相手の心を痛める言葉を多く出しやすい者です。今日も私の口を守ってください。聖名によって祈ります。アーメン

 


1月13日

聖書 ヘブル人への手紙 11章 8節

「どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」

「どこに行くのかを知らずに出て行きました。」

 

 信仰の父と言われるアブラハムは旧約聖書を見ますと、神様の命令に従って自分の生まれ故郷を去って行けと言われる方向に出発致しました。しかし、自分が最後にどこに到着するのか全然知らないで旅路についたのでありました。アブラハムは神様が真実なお方であり、決して悪をなさらないことを知っていました。ただ神様に信頼を置いて、先の事をあれこれと思い煩わず、出発しました。信仰とはちょうどアブラハムのように全部を神様におまかせし、そのご命令に単純に従うことを意味しています。赤ん坊が母親に一切をまかせ切っている姿、あれが信仰の本当の姿であります。

 

*寸想*

○中途半端な仕事をするな。

○神にあって無用な人間はいない。

○神を喜ばせる者は常に幸福感をもつ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、信仰者といいながらまだまだ本気でおまかせしない不信仰な者でありますが、本気でお頼みする者、従う者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


1月14日

聖書 ヘブル人への手紙 12章 2節

「イエスから目を離さないでいなさい。」

「イエスから、目を離さないでいなさい。」

 

 あなたの目には今何が見えていますか。あなたの心を占領しているものは何でしょうか。周囲の困難な事情ばかりが見え、心の中はいらいらしていませんか。明日のことで心が暗くなっていないでしょうか。仕事のこと、人事問題、金銭、あるいは病気、その他何かが目をそらせ、心を正常な状態からずれさせていないでしょうか。ある人は自分自身ばかり見つめて失望しているでしょう。信仰者とは信じ仰ぐ者という意味です。何を信じているのですか。イエス様とその約束です。何を仰ぐのですか。イエス様を仰ぐのです。仰ぐとはそれに目をつけ、心をむけることです。イエス様を仰ぎなさい。そこに光があります。

 

*寸想*

○高潔な感情を養うことができる者の前にひざまづくのは無用のことではない。

○不快な時にこそ讃美歌を歌え。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ただあなた様の御言を信じ、常にイエス様を仰ぎ見る者にしてください。イエス様の聖名によって感謝してお祈り致します。アーメン

 


1月15日

聖書 テサロニケ人への手紙第一 5章 16~18節

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」

 

 私共の教会は信仰の系統からいいますとメソジスト教会に属します。そのメソジストの始祖、ジョン・ウエスレーはこの聖句をもって、「きよめられた人の本当の姿を示すものである」と申しました。最近、東京教育大学の杉靖三郎医学博士は「心と体 とは密接に関連し合って病気がおこるので、これまで身体の病気ど考えられたものも多かれ少なかれ精神的なものが原因である事が分り、最近、精神身体医学という新しい医学が起こっています。健康のための現代医学の結論は感謝をもって毎日を送れと教えます。」と述べ聖書の真理を新らしく悟らしめています。今日も感謝の一日でありますように。

 

*寸想*

○生きたままで死ね。死んだままで生きよ。これが十字架の生涯である。その時すべての事に感謝ができる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共に祈ることによって、喜び、感謝して日々を送ることを教えてくださったことを感謝致します。今日も感謝の一日を送らせてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


1月16日

聖書 エペソ人への手紙 6章 11節

「神のすべての武具を身に着けなさい。」

「神のすべての武具を身に着けなさい。」

 

 クリスチャンは毎日毎日、何かの形で悪と戦うのです。悪の本源は悪魔です。むずかしくなるかもわかりませんが悪とは人格的なものなのです。この悪との戦いに勝つためには私共がまず自らを守る武器を持つ必要があります。その武器の第一は「真理の帯」です。第二は「正義の胸当て」です。第三は平和の靴」です。第四は「信仰の盾」です。第五は「救いのかぶと」です。これらは皆、昔のローマの兵隊の身を守るよろい、かぶと、を信仰的な真理を教えるため借用したものです。要するに自分はクリスチャンなのだという自覚を強く持ち、悪の誘惑に備え、心を守れと聖書は教えているのです。

 

*寸想*

○傍観していないで、人を助けよ。

○謙遜とは、どんなにつまらなく見える仕事にも喜んで服することである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も警戒の御言を与え、油断せず心を守り、不義、不潔、悪、汚れを防げと教えてくださいましたことを心から感謝致します。信仰を守ってください。聖名によって祈ります。アーメン

 


1月17日

聖書 エペソ人への手紙 6章 17節

「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」

「御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。」

 

 クリスチャンが毎日の生活において、神の武具をもって自らを守らなければならないことは昨日学びました。けれども、信仰者はもう一つの武器を必要とします。しかもそれはただ一つの攻撃的な武器です。それは「みたまの剣」と呼ばれる刀です。これで悪を倒し、退散させるのです。その「みたまの剣」とは「神のことば」即ち聖書のことばのことを言います。誘惑が来たら聖書のことばをすぐ思い出してください。悪口を言われた時、悲しみに襲われた時、苦難の中にある時、すぐ神のことばを心に思い浮かべ、繰り返して暗唱し、それで心をまず整えてごらんなさい。必ず平安と喜びと確信が湧き上がります。これを勝利と言うのです。

 

*寸想*

○予定していない事が起こった時、あるいは計画が狂った時、まず、何をするか。

○反省とは神のことばによる検討である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私の心に聖書のことばをたくわえることができますように。聖書のことばを覚えることができますように、助け、また努力させてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


1月18日

聖書 エペソ人への手紙 6章 18節

「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」

 

 祈る信仰者は力強い生涯を送ります。祈って一日を始めなさい。祈って仕事や勉強を始めなさい。祈って子供を学校に送り出しなさい。祈って主人を助けなさい。祈って一日を閉じなさい。どんな事でも祈りなさい。祈りながら働きなさい。祈りながら計画しなさい。本気で祈れないようなことは捨てなさい。それはあなたに祝福とはならないことです。祈りの中であなたの欲望も期待も希望もみんな浄化しなさい。汚れを除きなさい。そして自分のことだけでなくすべての聖徒のため、信仰者のために祈りなさい。

 

*寸想*

○本当の親子なら、親密に語り合う日もあるだろうに、なぜ信仰者のある者は神様に祈ることをしないのだろう。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私はまだまだ本当に祈ることを知らない者です。しかし、祈りは祈りを実行することによってのみ分かることを教えられました。祈る者にしてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


1月19日

聖書 エペソ人への手紙 5章 17節

「愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。」

「ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。」

 

 私共は、主に従う者と言われています。主を信じた者とは、主に従う者になったと言うことを意味しています。しかしながら、主イエス様が何を考え、何を願い、何を目的としておられるかを知らないで、主に従うことはできません。それで主に従う者である私共クリスチャンは、まず主の「みこころ」を知る必要があります。聖書は主のみこころがよく示されている書物です。これによって主のみこころを悟り、それに従って毎日を送る者とならなければなりません。主のみこころを知る者を聖書は、賢い者、知恵ある者と呼んでいます。愚か者とならず真の知恵のある者とならんことを。

 

*寸想*

○利己主義という化け物は、どんな衣服でも着て踊る。名目などは自由自在。

○子供を虚栄の犠牲にするな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、自分の計画、自分の願望に生きないで、主イエス様のご計画、願いに従って生きる者にしてください。主イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


1月20日

聖書 エペソ人への手紙 5章 18節

「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」

「ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。」

 

 世の中には疑いに満たされている人、悲しみに満たされている人、怒りに満たされている人がある。満たすとは一杯になっていること、その心の主人になって心を支配していることを意味します。それでその人の行動は心の中に満ちているものによって左右されるのです。その生活と行動や言葉によって人の心に何が満ちているかを知り得ます。酒に酔う人の心には放蕩があり、肉欲に負ける弱さ、ふしだら、でたらめがあり、ブレーキをはずそうとする無軌道性がある。私共はむしろ聖霊に満たされ、聖   霊に心を支配して頂いて力ある生活を送るべきであります。

 

*寸想*

○聖霊に満たされんことを願うならば、神の前に心を開き「主よ私の支配権を握ってください。」と祈り、信仰に立て。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、聖霊に満たされた信仰者として日々を送る者にしてください。聖霊に満たされることを切願する者にしてください。主イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


1月21日

聖書 ルカの福音書 18章 27節

「人にはできないことが、神にはできるのです。」

「人にはできないことが、神にはできるのです。」

 

 信仰とは常に神を計算に入れてものを考えることを言います。信仰のない人はいつでも自分を基礎にして物を考え、人間の能力で事をはかります。できるとか、できないとか言う時は、人間にできるか、できないかを言っているのです。そしてそれ以上の事を考えようとは致しません。しかしイエス様は人間の力の及ばない所に働く力があると仰せられました。それは神の力であります。「人にはできないことも、神にはできる」というのが本日の聖句の意味です。どんなことの中にも失望しないで神を見上げて立ち上がりましょう。人間にはできなくても神には不可能はないのです。

 

*寸想*

○神にあって大事を計画せよ。

○あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。(コロサイ人への手紙四章六節)

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ともすれば心が弱くなりやすい私共に、もう一度、神様を計算の中に入れよ、と教えてくださいまして感謝致します。信じて進みます。聖名によってお祈りします。アーメン

 


1月22日

聖書 テサロニケ人への手紙第一 4章 3節

「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」

「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。」

 

 神様は私共、信仰者に対して何を願っていらっしゃるのでしょうか。もし真に神様を愛するならば、私共は神様のみ旨にかなう者になりたいと願うことでありましょう。それゆえ神様の念願を知ることが先決問題となります。本日の聖句は私共が聖くあることが神様のみ旨であると述べています。聖くあるとはどんなことでしょうか。救われて過去の罪が赦され、神の子となったことはもちろん聖くされたことですが、更に深く、私共の性質が聖められ、神の性質に似せられることが意味されています。性質が聖くなると生活も行動も言葉も思いも考えも聖くなります。聖きを求めましょう。

 

*寸想*

○人の前ではなくて神の前に、神の言によって自分自身を検討せよ。

○信仰者としての使命を果たしているか。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今あなた様の前に一切をお献げ致しますから全く聖め、聖霊をもって満たしてくださるようお願い致します。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


1月23日

聖書 ヨハネの福音書 10章 27節

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。」

「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。」

 

 信仰者とは常にイエス様の声を聞く者でなければなりません。イエス様はご自分のことを牧者と呼び、イエス様に従う者を羊と言われました。羊は牧者の声を聞き分け、これに従って行きます。私共はイエス様の声を聞いているでしょうか。様々な声が毎日のように私共には聞こえて来ます。しかしイエス様の声は肉体の耳にではなく、心の耳にひびいてくるのです。聖書のことばを通して、また聖霊の働きによる良心の声を通してイエス様は語りかけていらっしゃいます。今分かったこと、なすべきことを忠実に果たし、命令に従うと実によくイェス様の声が聞こえて来ます。信仰と服従によって今日も主のみ声を聞くことができます。

 

*寸想*

○聖霊は今も我がうちに宿ってい給う。

○祈りをもって子供を育てよ。

○霊的、信仰的には老人になるな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も牧者なるイエス様のみ声を聞き、これを悟る者、これに従う者にしてください。霊的な聴覚がもっと鋭敏になりますように。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


1月24日

聖書 詩篇 23篇 1節

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」

「主は私の羊飼い。 私は乏しいことがありません。」

 

 神様は信仰者を導くお方であります。それゆえに「主は私の羊飼い」と書いてあるのです。私共は神様が導いておられることを知っているでしょうか。また神様に忠実に従っているでしょうか。神様は信仰者を常に心にかけておられる。それゆえに牧者と言われているのです。神様が私共のことを決して忘れてはいないことを知って雄々しくありたいものです。また神様は私共の必要なものを満たしてくださるお方です。これは牧者の任務です。羊は決して自分の将来のことをあれこれと思い煩いません。私共も一切のことを良き牧者なる神様にお任せして喜びつつ従いたいものであります。

 

*寸想*

○家庭を明るくすることを心掛けよ。

○ねぎらいの言葉は疲れをぬぐい去る。

○讃美と祈りで敵に勝て。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私を導き守り、私のために一切を備えてくださるのがあなた様であることを教え、慰めてくださいましたことを感謝致します。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


1月25日

聖書 ペテロの手紙第一 4章 13節

「むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。」

「むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。」

 

 イエス様を信じるというそのことのために私共はしばしば、苦難を経験することがあります。昔の信仰者達のような生命を奪われ、一切を失うというようなものではないかも知れません。けれどもある種の誤解や中傷を受けることは決して少なくありません。時には面と向かって痛罵されることもあり、仲間外れにされることもありましょう。これは何のしるしでしょうか。真実な信仰のしるしです。いい加減な信仰ならば決して中傷されないでむしろ歓迎されることすらあります。けれども人に歓迎されなくてもイエス様に喜ばれた方がよいではありませんか。雄々しく主に従いましょう。

 

*寸想*

○何かの方法で伝道せよ。

○運命論者は偶像教徒である。

○迷う暇がないほど信じ続けよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私のような者も恵みによって、イエス様の苦難の一端にあずかることができるような者にされましたことを感謝致します。この喜びを深く悟らせてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


1月26日

聖書 ネヘミヤ記 8章 10節(別訳)

「主を喜ぶことは、あなたがたの力であるから。」

「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」

 

 内外から迫って来る困難も、あらゆる失望も、苦痛も不安も、誘惑も暗黒も皆、私共をもっともっと神に近づかしめる最善の機会となります。苦しみは私共を神に追いやる強風のようなものです。周囲を見ても、どこにも喜ぶ事が見い出されず、何も心に喜びを感じさせるものがないように思われる時、信仰のない人は何も喜ぶ事はないと申します。しかし信仰者にとって喜ぶものは絶対になくなりません。それは神様です。神様を喜びとしなさい。親が子を見て喜ぶように、真の信仰者は神を喜びとすることができるのです。そしてそのことが大いなる力となることを経験するでしょう。

 

*寸想*

○なぜ人の事がやたらに目につくか。

○思いが変わるまでみことばを繰り返し暗唱せよ。

○祈ってから手紙を読め。返事も同じ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、いままでは何かを頂いたり、自分にありがたいと感ずることに対してだけ喜んできた者でありましたが、神様を我が喜びとする者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


1月27日

聖書 詩篇 105篇 3節

「主を慕い求める者の心を喜ばせよ。」

「主を慕い求める者たちの心よ 喜べ。」

 

 貧しいメソジスト派の一人の婦人は次のように言っています。「私の前にはローソクの影と白い布のほかには何もなく、耳に響くものは私の息だけ、けれども魂は神に満たされ、目は天国に向けられ、静かに自分のなすべきことをしています。心には幸福が溢れています。私は私のありのままを喜びとすることができます。神様が私と共にいらっしゃるからです。窓を開きますと月や星が見えます。宇宙の偉大さを思い、これを創造し給うことを知り、心はいよいよ喜びと感謝に溢れ、真に幸福な者であることを感じます。」と。

 

*寸想*

○神に従う者に失敗はない。

○神にあっては一切は最善になる。

○得にならなくても正義を選べ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、何を求めるよりもまず、あなた様ご自身を慕い求める者にしてください。その時喜びは心に溢れ、力は内に満ちることを感じます。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


1月28日

聖書 イザヤ書 40章 31節

「主を待ち望む者は新しく力を得、」

「主を待ち望む者は新しく力を得、」

 

 力強く走り出しても途中で疲れることがあります。若くても頑健でも衰えるということはあるものです。信仰者の旅においてもやはり、疲れを感じ、衰えを経験することがあります。電池も充電することが必要なように、飛行機や自動車も燃料を補充する必要があるように、信仰者も新しい力を満たして頂く必要があります。それは聖霊によってのみ与えられるものです。それゆえにまず、神を見上げ心からへりくだって、神の力を求めなさい。神に事ごとにより頼む態度を固定しなさい。そして今、神が聖霊によって新しい力を与えてい給うことを信じて、疑わずに前進を開始しなさい。

 

*寸想*

○叱る前に十分祈れ。

○大げさな人間にならぬよう注意せよ。

○神はあなたを通して働いてい給うか。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今心を開いてあなた様を仰ぎます。聖霊によって新しい力を今注いでください。信じます。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


1月29日

聖書 ホセア書 6章 3節

「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」

「私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」

 

 信仰者にとって何を知るよりも大切なことは神を知ることです。神を知ることによって他のことを正確に知ることができるのです。神を知らずに、何かを知るとそれだけが偉大なものに見えてくるのです。神を知って後に、他のものを知ると一切がその正しい位置と姿において認められるのです。神を知るとは神の愛を知ることです。神が私共を愛してい給うことを本当に知ると心に喜びと感謝があふれ、神と人とに対する愛が燃え上がります。神を知るとは神の忠実さを知ることです。神はその約束を必ず成就してくださるお方であることを真に知る時、心に力と励みが湧いて来ます。「神を知るべし。」

 

*寸想*

○老いたと思う心が老いさせる。

○何才になっても無用でない人間、それは祈る信仰者。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、もっと神を知り、その大いなる力を知る者にしてください。神を知らないから無力であることを知りました。私に真の知識を与えてください。イエス様によって祈ります。アーメン

 


1月30日

聖書 イザヤ書 58章 11節

「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。」

「主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。」

 

 C・Gロセッティは「死に至るまで導き給う主よ。私共をあなたが行かせようと思っておられる所にはどこまでもあなたに従って行かせてください。もし私共になすべき任務を与えてくださるならば主のため、また信仰の兄姉のために、雄々しく犠牲的精神に満ち、力強く、忠実にこれにあたらせてください。」 と祈りました。今日も神様に従いましょう。神様は私共を導き、どんな困難な中においても心に喜びを満たし、強くして一切のことをなさしめてくださいます。目前に何があっても恐れる必要はないのです。神が共にい給うのです。

 

*寸想*

○口で言わないうそがある。これを除け。祝福を祈りながら人に会え。

○気分に引きまわされぬように祈れ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなたに従って前進致します。あなたが共にいてくださり必ず助け守ってくださることを信じます。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


1月31日

聖書 イザヤ書 43章 2節

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。」

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、」

 

 信仰者は時に水の中を通らなければならないことがあります。水の中とは何のことでしょうか。それは困難な問題や境遇を意味しています。今日困難に直面している兄弟姉妹がありますか。この聖句をよく味わってください。また水の中とは病気や死のことをも意味しています。更に、悲しみや試み、あるいは迫害をも意味しています。これらのことが荒れ狂う波のように押し寄せて来ることもありましょう。しかしその時にも神様は一緒にいてくださいます。そして私共は決してその波をかぶり、沈没することはありません。約束を信じ強く前進致しましょう。

 

*寸想*

○神がともに在すという臨在意識を養え。

○神がともに在し給うようにまず祈れ。

○自己宣伝をするな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、強い励ましの約束を与えてくださいましたことを感謝致します。神様が共にいてくださることを信じて今日も強く前進致しますからお守りください。聖名によってお祈りします。アーメン