『みちの光』

インマヌエル綜合伝道団 大阪伝法キリスト教会牧師 朝比奈寛著

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

                 (詩篇119篇105節)

10月1日

聖書 ヤコプの手紙 1章32節

「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」

「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。」

 

 すべての人に、すべての生き物に、すべての物質にまで愛を注いでごらんなさい。それは神様のしておられることであります。愛を注ぐことにおいて、私共は神様と一つになることができます。私共は神様が愛であること、私共を愛してい給うこと、我々もまた互いに相愛すべきであることを聞いています。けれども単に聞くだけで、それが実行に移されないとしたならば、これ程無駄なこと、無意味なことはありません。愛は必ず何かの形となってあらわれ、行動となって働き出すものであります。私共の心には神様の愛が注がれています。これを活用し、実践するように心がけられんことを。

 

*寸想*

○実行のない信仰は、単なる飾り物であり死んだものである。

○実行によって信仰は確立する。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共に聞いたことを実行するようにと教えて下さいましたことを感謝致します。聞いたり、しゃべったりする信仰から実行の信仰に進ませてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


10月2日

聖書 マタイの福音書 5章 8節

「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」

 

 心のきよい者とはイエス様を信じ、罪を赦され、救われた者のことであります。心のきよい者とは、イエス様がその心の王座をしめ、支配者となってい給う者のことであります。心のきよい者は自分の願いを成就するために生活するのではなくて、神様の御心が成就することのみを念願して生活する者であります。彼らは神様を心より愛する者であり、己の利を第一に置き、それを目的として人生を送っている者ではありません。そうでありますけれども、心のきよい者は真の意味で幸福な人々であります。なぜかというと彼らに近く神様がおられ、ことごとにご自身を示し、祝福なさるからです。

 

*寸想*

○幸福はきよい者に来ると聖書はいう。

○罪と悪と汚れから幸福は生れない。

○幸福とは神以外の何者でもない。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私の心に住み、一切の権を握ってください。心を全くきよめてあなた様ご自身の宮となし、ただあなた様のご目的のためにのみ私を使ってください。聖名により祈ります。アーメン

 


10月3日

聖書 ヘブル人への手紙 12章 14節

「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」

「すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。」

 

 信仰者として他の人とどのような関係にあればよいのでしょうか。私共は他の人の職業、学歴、容姿、家庭、趣味のことなどで争うような関係に入ってはなりません。また他人がもっている信仰のことで争ってもいけません。もちろん、無神論者に対しても同様であります。語りあうこと、研究すること、数人集まって討論することなどはよいでしょうが、心に益をもたらさず、むしろ傷をつけるような争いは絶対に避けねばなりません。平和な心、平和な関係に自分を置くべきであります。その根拠となるものは聖い心であります。聖きを求められよ。

 

*寸想*

○争いはごう慢から、利己心から、ゆがんだ性質から、不正と欲から起る。

○聖き心は平和を保つ秘密である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様と私共との間に平和があるように、私共と他の人との間にも平和を保つことができるように、心をきよめ、利己的な思いを取り去ってください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


10月4日

聖書 ハガイ書 2章 4節

「この国のすべての民よ。強くあれ。──主の御告げ。──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の主の御告げ。──」

「この国のすべての民よ、強くあれ。──主のことば──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の主のことば──」

 

 困難も苦しいことも、悲しいこともあなたの現在の立場にはあるでしょう。しかしそんなものが全然ない生活、あるいは生涯というものはどこにもないのです。もっとよい立場、もっとよい職務についたならば力を尽くすのだがなあ、とある人は言います。今現在ある所で力を尽し、今ある環境で信仰者としてのよき証しをたてるべきであります。明日を待たずに今働くのです。明後日のことをあてにせず、今立ち上がるのです。神様は私共と共にいてくださいます。助けと守りとは神様から必ず来ます。心を強くし、失望を棄てて立つべきです。

 

*寸想*

○過去は我らの手から去り、将来は未だ我らの手には来ない。今あるのは現在だけ。現在こそ力を尽すべき時。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私共に励ましを与えていてくださることを感謝致します。不信仰から来るつぶやき、不幸を棄てて立ち上がります。聖霊による力を与えてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


10月5日

聖書 箴言 10章 19節

「ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。」

「ことば数が多いところには、背きがつきもの。自分の唇を制する者は賢い人。」

 

 「なんでもないおしゃべりが、精神力を散らし、失わせることが非常に大きいということに気がつく人は余り多くない。活動にこそ役立たせるべきはずの力を、おしゃべりで空しく失ってしまう。それゆえにおしゃべりの習慣を抑えることができる人は、精神力と活動力の成分をためて、成功に進むことができる人である」とロバートソンは言っています。聖書は、おしゃべりの人は口で罪を犯しやすいと警戒しています。私共は祈って神様の守りと助けを頂いて、口を制御する者とならなければなりません。不平や小言や皮肉を少なくするために、まず全体としてしゃべる量を少なくするべきでしょう。

 

*寸想*

○言葉をもっと、もっと大切にせよ。

○つまらぬうわさ話に巻きこまれるな。

○神の喜び給わぬ会話を避けよ。

 

*お祈り*

天の父なる神様、私共の口を守り、むだな会話を少なくし、益のないおしゃべりを除くようにさせてください。その時間を有益なことに使うように教えてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月6日

聖書 ルカの福音書 6章 41節

「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。」

「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分自身の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。」

 

 私共が他人のやっていることを冷酷に批判し、あるいはその人の失敗をあざわらい、軽率に非難する時、その人がその言葉を聞いたら何を感じ、何を受け取るでしょうか。その結果はどうなるでありましょうか。また、私共がそのようなことを言っている時、果たして私共の心には真の愛があるのでしょうか。他人の欠点はよく見えます。他人の足りない所はよく分かるものです。けれども自分のことは、なかなかよくは分かりません。それで人を簡単に批評すようになるのです。クリスチャンとして自分自身を聖書によって深く反省する一日を送られよ。

 

*寸想*

○愚かなる者は反省することをしない。

○他人は自分自身の鏡である。

○聖書の光をもって自らを慎め。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共は自分自身をよく知らずに、人のことをあれこれと言いやすい者でありますが、自分を深く反省する者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月7日

聖書 ヨシュア記 1章 9節

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。」

 

 「主の誤りなき霊に導かれ、私共は広い荒野の中にあっても迷うことはありません。……全能の愛の神が私共と共にいます時、危険と恐れは遠く私共から去ってしまいます。」 とチャールス・ウェスレーは言っています。神のしもベモーセが死んだ後、その後継者となったヨシュアは、どうしたならば大任を果たすことができるかと考えていたことでしょう。しかし神様は私が一緒にいるのだから心配せずに進みゆけ、と仰せられました。神様は今日も信仰者に恐れずに神を見上げ、神を信じて心を強くして前に向かって進めと仰せられます。

 

*寸想*

○一日を始める時に、まず何よりも神が共にいまし給うことを確信せよ。

○神を信じて心を強くせよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共は信仰者でありながら、少しの困難や苦痛によってすぐ弱ってしまう者でありますが、御言に従って前進致しますから共にいてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


10月8日

聖書創世記 32章 12節

「わたしは必ずあなたをしあわせにし・・・・・・」

「わたしは必ずあなたを幸せにし、・・・・・・」

 

 神様は本質上、私共の最もよいこと、幸いなことを念願しておられるお方であります。その念願を実際の形にあらわしたものが神様の恵みなのであります。神様は信仰者を恵み給うお方でありますし、そのことを喜びとされているのであります。私共が恵みからはずれること、祝福からそれてしまうことを最も悲しまれるのも神様であります。しかし神様がどんなに信仰者を祝福し、恵みを与えようと思っておられても信仰者の側に、その神様の御心に応ずる態度がなければ、その恵みを受けることはできません。その態度とは、神様に対する信仰的態度であります。信仰をもって常に神様を仰ぐことが、恵みをうける秘密であります。

 

*寸想*

○神様に祝福される者、恵まれる者は幸福である。誰もそれを妨げることはできないからである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は今日まで私共を恵んでくださいましたが、今後とも更にまされる恵みをもって包み、守ってくださいますように。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月9日

聖書 イザヤ書 35章 4節

「心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。・・・」」

「心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ。恐れるな。・・・」」

 

 もし私共がいたずらに自分の行く末のことを心配し、たえずいらいらしていて、そのために勝手に背負っている十字架は神様から来たものではありません。取り越し苦労というものは確かに重荷であり、十字架でありましょうが、それは不信仰がもって来たものであります。またもし私共がしなければならない仕事や、果たさなければならない義務のために心が落ち着きを失っているならば、その心の騒がしさはもちろん、神様から来たものではありません。神様は強くあれ、恐れるな、と言っておられます。神様の恵みと助けを信じて、自分の最善の努力をなすべきであります。

 

*寸想*

○あれこれと考えてばかりいないで、できることからどんどんやり始めよ。

○実行は無気力さから我らを救う。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も励ましの御言を下さり、感謝致します。問題の中に神様を見て、恐れない心をもって強く進む信仰者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月10日

聖書 ガラテヤ人への手紙 4章 6節

「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』 と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」

「あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。」

 

 私共は神様を「天のお父さま」と呼んでいますが、心からかく言うことができるのは御霊によるのであります。私共が罪を悔い改め、イエス様を救い主と信じた時、私共は神様に帰ったのであります。そして心には御霊が来てくださって、私共に神の子とされたという深い自覚を与えてくださるのであります。それで私共は心から、何の疑いもなく、神様を天のお父様と呼ぶことができるようになるのであります。神様は文字通り私共の天の父でありますから、子たる私共は何でも申し上げて、その助けと恵みとを受くべき者なのであります。

 

*寸想*

○まま子のような情けない心を持つな。

○天の父なる神様の真の子ではないか。

○天父の愛を信じて、その中に浸れ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様を心から天の父と呼ぶことができる者とされましたことを感謝致します。いよいよ子供として、単純にあなた様に信頼する者にしてください。聖名により祈ります。アーメン

 


10月11日

聖書 イザヤ書 52章 12節

「あなたがたは、あわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなたがたの前に進み、イスラエルの神が、あなたがたのしんがりとなられるからだ。」

「あなたがたは慌てて出なくてもよい。逃げるように去らなくてもよい。主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。」

 

 「いつも仕事にかけあしをしている者は必ず大いなる苦痛と悩みを経験する。それは知的に考えても、精神的に考えても益のないことである。」 とアンニイ・ケアリーは申しました。落ち着きを失っていたり、やたらに興奮していては、何をするにせよ、それは良い状態とは言えません。まず神様が私共の前に行き、また後を守って下さるお方であることを思い、慌てることや、不安を心から追放すべきであります。神の名を呼び、その約束を暗唱してごらんなさい。信ずる心には平安が甦ってきます。

 

*寸想*

○仕事をするにせよ、勉学するにせよ、落着いた、集中された心をもってせよ。祈りはそのような心をもたらす。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなた様を仰ぎます。いらいらする心、不安な心、落着きを失った心を静めて、あなた様が私の心を支配してください。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン

 


10月12日

聖書 ヨシュア記 24章 15節

「私と私の家とは、主に仕える。」

「私と私の家は主に仕える。」

 

 私共信仰者の家庭の主となるお方はただ一人です。そのお方はイエス様であります。家庭の者は皆、例外なくイエス様に従わねばなりません。その時に私共の家庭は乱れてしまうことからいつも守られるのであります。私共信仰者の家庭においてはただ一人のお方が礼拝されなければなりません。家族は皆、このお方に賛美と感謝と祈りとを捧げるべきであります。この時、私共の心は一つとされます。私共信仰者の家族は皆それぞれの仕事と責任をもっています。そしてそれはイエス様の栄光があらわされるために、一生懸命に果たされるのであります。

 

*寸想*

○家庭の中で信仰が支配的であるか。

○家庭の中に賛美と祈りがあるか。

○全家が集まって礼拝をしているか。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、家族の者が全部心から神様を愛し、神様を第一とし、神様に仕えてゆくことができますように。そして愛と平和と喜びが支配しますように。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月13日

聖書 テサロニケ人への手紙第二 3章 16節

「平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。」

「平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。」

 

 私共の住んでいる世界は多忙であり、騒音が響き、常に何かが動いている世界であります。それゆえに私共の生活もいつの間にかカタカタした静かさのないものとなっています。私共の心の中も同じことでありまして、あれこれと思い煩い、計画し、心配することをやり続けているのであります。心の中に静かさを持つ必要はないでしょうか。生活の中に平和を保つことはできないものでしょうか。静かさのない、落着きのない、平和のない心や生活には必ず、疲労と空虚さが襲って来ます。主イエス様を心に迎え、平和を得られよ。

 

*寸想*

○信仰者の心の審判者は平安である。

○不安は神との関係が不正当である時に経験する心の状態である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、不安と動乱に満ちた社会にあって力ある生活をするために、今日も心に平安を与え、落ち着いてすべてのことをなすことができるようにしてください。主の聖名によってお祈りします。アーメン

 


10月14日

聖書 詩篇 29篇 11節

「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」

「主は ご自分の民に力をお与えになる。 主は ご自分の民を 平安をもって祝福される。」

 

 毎日毎日の仕事をキチンと果たして行くためには肉体の力と共に心の力が必要とされます。肉体には何の故障がなくても、気が向かないために仕事が進まなかったり、うまくゆかなかったりすることがあります。また心配なことや悲しいことがあったり致しますと、仕事に失敗があったり致します。これは毎日の生活にどんなに心の働きが大きな作用をしているかということを示すものです。実際の生活において心に力を得、心を平静にすることは非常に大切であります。私共は聖書を読み、神様にお祈りをして心に力を満たして頂き、今日の仕事に平静な心をもって着手すべきであります。

 

*寸想*

○一日のうち、しばしば、短い祈りをせよ。

○心を神にむけて天の生命を受けよ。

○心の力は無形の偉大なる資産である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は聖霊によって力を与えて下さるお方です。今日も私の心に新しい力を聖霊によって与え、雄々しく一日の仕事をさせてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


10月15日

聖書 エペソ人への手紙 5章 19節

「主に向って、心から歌い、また賛美しなさい。」

「主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」

 

 人々の不平と不満が四囲に聞こえる時、あなたは主を賛美することを忘れてはなりません。忙しい仕事が次から次へと迫って来る時、人々の心が荒々しくなったり、冷酷になったりしていても、あなたの心には主を賛美する感謝の思いが失われてはなりません。他の人の誤解や中傷にあう時、思わないような困難に直面する時、静かに主をほめる心のゆとりを奪われてはなりません。信仰者とはいかなるときにも心に歌をもち、口に賛美を秘める者であるはずです。なぜならば心の中に賛美の献げ物を受くべく主イエス様が宿っておられるからであります。

 

*寸想*

○どこまでも強く御心に従い、苦難に耐え得るように神に祈れ。

○つぶやくことを正当なことと思うな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、他の人が私から聞くことができるものが、祈りの声であり感謝の証しであり、喜びの賛美の声でありますように。イエス様の聖名によって感謝してお祈り致します。アーメン

 


10月16日

聖書 ペテロの手紙第一 3章 15節

「心の中でキリストを主としてあがめなさい。」

「心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。」

 

 雨の日にも曇っている日にも太陽は必ず存在し、光を放ち、熱を与え続けています。人類が争っており、悲しいできごとはありますが、それは神様がいないという証拠にはなりません。どんな時にも愛とあわれみに満ちた父なる神様を仰ぐことを忘れてはなりません。神様の御心に全部おまかせして、安らかな心をもって日々の生活をすることが大切であります。安らかな心から力が湧き、知恵が出てきます。希望が生まれ、問題を乗り越えるたくましさがあふれてきます。うなだれていないで祈りなさい。祈りの中において、あなたの心の中に宿っておられるキリスト様に感謝をささげ、その聖名をほめなさい。

 

*寸想*

○すべての中にあって常に静かに祈れ。

○祈る心を失ってはならない。それは呼吸する力を失うのと同じことである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私のような者の心にもキリスト様が宿っておられることを信じ感謝致します。私の心の全部がキリスト様によって支配されますように。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月17日

聖書 ヘブル人への手紙 6章 11,12節

「私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続け……信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。」

「私たちが切望するのは、あなたがた一人ひとりが同じ熱心さを示して、最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け……信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人たちに倣う者となることです。」

 

 「私共のしなければならない仕事は、どんなに長い時間を要するものであっても、やがて終わる時はあるものです。私共を助けてくださるのは神様です。私共は神様の栄光のためにすべてのことをしているのですから、みな神様のお仕事です。神様がそのために力を新しく注いでくださらないはずはありません」とある信仰者は申しました。怠らず励んで信仰の道をたどりましょう。信仰と忍耐を固くもちましょう。そして信仰の先輩たちが進んだ栄光への道を終わりまで、前と同じ励みをもって進みましょう。

 

*寸想*

○あまり気乗りのしない任務や仕事にも、身をささげて真剣に携われ。

○小さいことをもいい加減にするな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、少し道が長かったり、少しつらいことが続くとすぐに弱ってしまう者ですが、信仰と忍耐をもって怠らず、あなた様に従い続ける者にしてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


10月18日

聖書 テサロニケ人への手紙第二 3章 3節

「主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。」

「主は真実な方です。あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。」

 

 私共の住んでいる社会には悪が根強くはびこっています。悪しき者が、陰で権力をふるっているのです。その名をアクマといいます。彼は自分の姿を決して現わさず、人間が悪い、社会が悪い、これが悪い、あれが悪い、と他のものが悪いように思わせています。しかし、悪いものの根源に彼がひそんでいるのです。私共はアクマの誘惑に陥らないように注意せねばなりません。神様は真実なお方ですから、必ず私共を守り、アクマの手から、災いから、不幸から救い、恵みと祝福に迎え入れてくださることは間違いがありません。

 

*寸想*

○子供に祈ることを教えているか。

○子供に祈りの模範を示しているか。

○短気と悲観を家庭と心から追放せよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共のまわりには不幸と災いが、渦を巻いていますが、私共を守り、私共に恵みと祝福とを注いで支え続けてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月19日

聖書 ローマ人への手紙 6章 23節

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

 

 何ものよりもキリスト様ご自身を求める信仰者の心を、チャールス・ウェスレーは次のように述べました。「ああ、無上の愛よ、私はあなたに叫ぶ、主よあなたご自身を私に与えて下さい。そうでなければ私には永遠の生命はありません。死もよみも、ただあなた様がいまさぬ所にあるのです。あなたこそ私の生命、私の唯一の天国です。私の心をしてあなた様に触れさせて下さい」と。罪はたましいにとって地獄であり、死であります。災いであり、呪いであります。罪を避け、生命の主なるキリスト様をとらえるべきであります。

 

*寸想*

○敬虔のない気質は、いつも不幸なものである。(ジョン・ウエスレー)

○キリストとともにある所、そこが天国。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私の最も要するものはキリスト様ご自身です。イエス様の中に一切があります。イエス様を心に信じてお迎え致します。聖名により感謝してお祈り致します。アーメン

 


10月20日

聖書 ゼカリヤ書 4章 10節

「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。」

「だれが、その日を小さなこととして蔑むのか。」

 

 人間は見たところ小さいものを馬鹿にしやすいものです。けれども表面の大小で、簡単にものを決めることはできません。ゴミの山よりも小さいダイヤモンドの方が尊いのです。子供を軽視する人がありますが、これも正しい態度ではありません。信仰の道においても同様であります。弱く小さい信仰の心、わずかばかりの献金、少しの奉仕、祈りに答えられた小さい経験。わずかばかりの感謝の心、小さい喜びなどは世の中の人からは少しも注意されないことでしょう。けれども、これらは大きな山よりも偉大な結果をもたらします。小さい信仰を大切にして育てましょう。

 

*寸想*

○小さい、少ない、ということは信仰に関しては何ら悲しむべきことではない。

○それを軽視することこそ悲しいことだ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共の小さい信仰も正しく働かせれば大きな結果をもたらすものであることを教えてくださり、感謝します。これを大事にすることができますように、聖名によってお祈りします。アーメン

 


10月21日

聖書 箴言 16章 32節

「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」

「怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の霊を治める者は町を攻め取る者にまさる。」

 

 柔和な人と生活し、親切な人と仕事をし、同情に満ちた人と同席することは誰にでもできることである。しかし気難しい頑固な人や、意見の一致しない人と生活し、仕事をしてゆくことは容易ではありません。特に気分が重く、身体が疲れている時にはちょっとしたことから大きな争いになることがあります。それは怒りが燃えるからそうなるのです。もし怒ることがなく、自分の心を制することができたならば、後悔するような争いには入らないでしょう。祈りなさい。聖書のことばを心に暗唱しなさい。イエス様を思いなさい。怒りは起こりません。

 

*寸想*

○信仰者も怒らねばならぬ時がある。

○しかしまず、怒りを遅くし、心を治めることを学んでからでよい。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日まで怒ることによって失敗を重ねてきた私共の心に、イエス様の心をうつし、怒りによって支配されてしまうことがないようにしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月22日

聖書 詩篇 18篇 28節

「主、私の神は、私のやみを照らされます。」

「主は私の闇を照らされます。」

 

 「私共が暗き中に歩み、天の光を仰ぐことができない時こそ、神様に信頼してその聖名によりすがるべき時である」とトプレディーは申しました。生活の中に困難があったり、病気に悩まされたり、仕事が思うように行かなかったり、生活苦の中に置かれたりすると心が暗くなり、気分が重くなってきます。心配事が続いたり、身体が疲れたりしてくると、アクマはここぞとばかりに攻撃を加えてきます。しかしそんな中にあっても、神様の恵みと守りは少しもなくなっているのではなくて、雲で太陽が一時的に隠れたようなものであることを思い、静かに信仰をもち続けなさい。

 

*寸想*

○欲しい、欲しい、という思いに心を占領されてしまってはならぬ。

○神がうちにいまし給うことを確かめて生きよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、暗い影が私共の生活にのしかぶさってくる時も、あなた様は光となってくださることを信じ、今日もただあなた様を信じます。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン

 


10月23日

聖書 詩篇 138篇 3節

「私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。」

「私が呼んだその日に あなたは私に答え 私のたましいに力を与えて強くされました。」

 

 私共は時に痛切に、自分の弱さを知らされることがあります。それが何によって知らされるかは、おのおの人によって違いますが、とにかく、自分の足りなさ、弱さ、無知、無能をいやというほど知らされることがあります。人生経験が深くなればなるほどそうです。いつまでもうぬぼれておれるのは精神的な幼児です。人に知られない心の奥でただ一人、無力な自分を見つめる日があります。しかしその中で、神様を仰ぐ時、神様に祈る時、神様は私共の祈りに答えて、心に神様からくる力を与えてくださいます。これは神様の約束を信ずることからくる力です。

 

*寸想*

○自己の無力を知ることが真の知恵である。

○無力なる者は謙遜に神を信ずる。神を信ずる者は神によって強く立つ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私共の祈りに耳を傾け、必ず答えてくださるお方です。今日も聖霊による力を私共に注いでください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月24日

聖書 イザヤ書 50章 10節

「あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。」

「あなたがたのうちで主を恐れ、主のしもべの声に聞き従うのはだれか。闇の中を歩くのに光を持たない人は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。」

 

 私共は気分に左右されやすい者です。暗い気分に襲われると仕事がうまく行きませんし、人間関係にも何かしら気まずい気分が出てきます。その暗い気分は信仰にも影響を及ぼしてきて、祈ることや聖書を読むこと、また集会に出ることにも気乗りがせず、それらを怠ってしまうようにさせます。それだけではなく信仰に対し、神様のことに対し、疑いすら起こさせます。しかしながら、暗い気分、暗い境遇の中にあってもなお、神様を信じ続けなさい。人生には昼もあれば夜もあり、山もあれば川もあるのです。

 

*寸想*

○疑いが消えてなくなるほどに、真剣に祈ってみよ。信仰というものは、考えている間はつかめないものである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、気分の人間、お天気者と言われるような人間でなく、信仰の人と言われるような生活を送る者にしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


10月25日

聖書 ヨハネの手紙第一 1章 7節

「もし神が光の中におられように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」

「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」

 

 神様は光をもって私共の心を照らしてくださいます。その光は真理の光でありまして、私共が何が正しいことか、何が間違ったことであるかを示す働きを致します。私共が何かまちがったことをすると神様は光を与え、私共の良心を呼び覚まして、「それはいけないことではないか」という感じをもたしめてくださいます。このとき、この光のささやきに従ってすぐそのまちがったことを改めるのを「光の中を歩む」というのです。その時、神様との親密な交わりが深められて力と喜びが心に満ちあふれます。

 

*寸想*

○良心に従っている時、恐れがない。光の中にある時、確信が湧く。かかる人は必ず勝利の生涯を全うする。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も光の中を歩ませてください。良心の声に従い続ける生活を送らせ、決して光を拒み、良心の声を消さぬ者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月26日

聖書 ローマ人への手紙 6章 14節

「罪はあなたがたを支配することがないからです。」

「罪があなたがたを支配することはないからです。」

 

 信仰者とは罪を悔い改め、過去の罪をみな、イエス様の十字架の贖いのゆえに赦されて、神の子とされた者であります。そして心中にはイエス様が宿っていらっしゃるのです。どんなに弱い信仰者、どんなに失敗だらけの信仰者の心中にも、イエス様はあわれみと謙遜をもって宿っておられます。そして私共は主イエス様のものとなっているのです。もし私共がこの心中のイエス様に、一切の支配権をおまかせし、全部を明け渡し、自分自身と一切のものを、生命も将来もお献げするならば、文字通りイエス様は私共の主となってくださり、罪の力は失せ、罪は主となることはありません。すべてを主におまかせ致しませんか。

 

*寸想*

○罪の力の下にあっては、どんな境遇にあっても幸福ではあり得ない。

○罪は最終的には亡びと呪いしか与えぬ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、罪は赦されて神の子とされましたが、まだ罪に破れることがあります。一切をお献げ致しますから、み手にうけて全く罪に勝たせてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月27日

聖書 創世記 32章 10節

「私はあなたがしもべに賜ったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。」

「私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。」

 

 神様は私共を恵みをもって包み、真実をもって導き給うお方であります。長い信仰生涯を振り返ってみると、その時その時には知ることができなかった大きな恵み、大いなる助けがあったことを、今になって知ることができます。そして自分は、そのような恵みや神様の真実を受ける資格などない人間であることをつくづくと感じます。神様は私共を豊かな恵みをもって扱ってくださいます。ごう慢な人間、恵みを軽視する信仰者ではなく、小さいと見える恵みに対しても心からの感謝をささげ、いかなる時にも神様を信じて進むならば、神様は必ず恵みをもって生涯を包み給います。

 

*寸想*

○神はへりくだる者に恵みを与え給う。

○感謝の祈りをもって神の恵みの倉を開き、賛美をもってその戸を閉じよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は今日まで私共に恵みと真実とを注いでくださいましたが、これからもあわれみと守りの中に置いて、信仰生涯を全うさせてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月28日

聖書 サムエル記第一 15章 22節

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

 

 神様に従うということは、信仰生涯において祝福と勝利に満ちて日々を送る、最大の条件であります。サウル王は神様に従わないでいて、いけにえをたくさん献げ、雄羊の油を献納して、それですました顔をして神様の前に立とうとしたのでありました。その時に預言者サムエルの口を通して言われたのが、今日の御言です。神様は何も献げ物をしなくても、従う信仰者の服従を最上の献げ物としてお受けになり、喜ばれるのであります。神様に従いましょう。信仰とは神様に従うことがなくて、存在するものではありません。従う者であることの喜びを知る一日であるように。

 

*寸想*

○神に反抗することは愚かなことである。

○不服従とは神への反抗である。

○服従の心は謙遜、不服従の心はごう慢。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はあなた様を信ずると言いながら、従う点において欠けることの多い者ですが、気が付くことから服従しますから、なお、教えてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


10月29日

聖書 出エジプト記 14章 13節

「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」

「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」

 

 イスラエル人はエジプトから救い出され、喜び勇んで旅を続けましたが、やがて紅海にぶつかり、後ろからエジプト軍の襲撃を受け、失望と恐れに包まれた時、神様が彼らに語られたことばが本日の聖句です。信仰に入って間もなく大きな問題にぶつかったり、失望を経験したりすると、人はすぐ信仰をやめようかと思ったりします。また非常に恵まれ喜んだ直後に、悪魔の攻撃を家庭や職場で受けて、力が消えてしまうことがあります。しかし、恐れたり、失望したりしてはいけません。その時こそ、あなたの信仰を堅くする良いときです。神様を仰ぎなさい。助けと救いは必ずあります。

 

*寸想*

○信仰は進行のみによって保たれる。

○あたかも自転車に乗っているごとく、信仰の世界では後退は敗北である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様を今日も仰ぎます。信仰の道を後退せず、あなた様の力と助けを信じて、前に向かって進む信仰者にしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


10月30日

聖書 マタイの福音書 5章 20節

「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。」

「あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。」

 

 学者、パリサイ人とは宗教行事や戒律に従うことをやかましく言い、実行した人々であります。私共は信仰者です。神様に祈って助けて頂くことを知った者、神の子とされた者です。そうですから、きちんとしなければならぬことを、きちんとする責任があります。神様は愛だから何でもいい加減にしておいても、かわいがってくださると、勝手に決めてはいけません。自分の義務は家庭人として、社会人として、きちんと果たすべきです。学生はまじめに勉学に努力すべきです。礼儀を弁えて、失礼なことはやめるべきであり、ふしだらなことや、ルーズなこと、決まりを破ることは決してしてはなりません。

 

*寸想*

○恵みと愛を、甘やかすことと同一視してはならない。愛は厳しいものだ。

○信仰者よ、自己の責務に厳格であれ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共に今日、力と注意する思いとを増し加えて、なすべきことをきちんとして神様の栄光を表す者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


10月31日

聖書 イザヤ書 48章 17節

「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」

「わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」

 

 神様は私共信仰者のために、最善の計画を立てておられます。その神様の道を私共は進むべき者であります。その道は光の道であり、生命の道であり、栄光と勝利への道であります。その道に行くようにと神様は聖書を通して、私共に益することを教えていらっしゃいます。あなたは聖書の教えに従って毎日の生活を送っているでしょうか。神様は聖書を通して導きを与えておられますが、その導きに喜んで積極的に従っているでしょうか。聖書の御言に無関心であってはなりません。交通信号に無関心な人のような不幸を招くでしょう。

 

*寸想*

○真の幸福な道は神のみが知る。

○尊きもの、聖き者、愛なる者の導きに従う道が、真の幸福の道である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は愛のゆえに私共に聖書を通して語っておられることを知りました。御言に従いますから、なお、益することを教えてください。聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン