『みちの光』

インマヌエル綜合伝道団 大阪伝法キリスト教会牧師 朝比奈寛著

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

                 (詩篇119篇105節)


4月1日

聖書 ペテロの手紙第一 3章 8節

「あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。」

「みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。」

 

 チャールス・ウェスレーは次のように歌っています。「私共をして一つ心と思いの者とならしめてください。礼儀正しく、あわれみ深く、親切な者、思いにも言葉にも、へりくだって柔和な者、すべて私共の主なるイエス様に似た者とせられますように」と。特に信仰の友に対して同情があるでしょうか。冷たい批判の目で見るような傾向はないでしょうか。ごう慢な気持から、人の弱点や欠点を見ているところはないでしょうか。それらのことに気がついたならば、心から祈って助けるのが信仰者としての任務であり、愛であります。主の心を今日も求めて進みゆかんことを。

 

*寸想*

○聖書の教えの何を実行しているか。

○日常生活という学校で何を学んでいるか、反省のない生活を止めよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私共の心に主イエス様を愛する愛と、信仰の友に対する愛が増し加えられる一日であり、それが実行される日でありますように。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月2日

聖書 コリント人への手紙第一 10章 31節

「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」

「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」

 

 信仰者の生涯の目的とするところは何でありましょうか。聖書はクリスチャンの人生目的は神様の栄光を現わすことであると語っています。神様の栄光を現わすということは、神様がほめられ、あがめられるようにすることであります。私共の言うこと、することはすぐに私共の信じている神様の名誉に関係してきます。そして神様がほめられたり、あるいは軽蔑されたりします。ですから信仰者の生活には責任がつきまといます。食べることや、飲む事にも注意して、あれでもクリスチャンなのかと言われることがないように注意したいと思います。

 

*寸想*

○日常の雑事も、神の栄光を目的としてなす時、有益なる宗教行事となる。

○生活は全く心によって左右される。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私共の言うことやすることによって、あなた様の栄光が現わされ、信仰のない人が、信仰を持ちたいと思うようになりますように。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月3日

聖書 エペソ人への手紙 6章 7節

「人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」

「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」

 

 私共は頼まれて生きているのではありません。生きる理由と目的と意義があるから生きているのです。私共の仕事も同じ事です。たとえ直接には頼まれた仕事をしているのではあっても、仕事をする心構えや、仕方においては頼まれたようなやり方、即ち、本気でない、心のこもらないようなことをしてはなりません。心のこもらない仕事をして過ごした時間、日、週、月、年は心のこもらない生涯をつくり上げ、意味のない、空虚な一生をもたらします。これを不幸な生涯と言います。私共は何をするにも、イエス様に尽くしているのであることを忘れてはなりません。

 

*寸想*

○常に主イエス様を思うように努めよ。

○主イエス様がともに在し給うことを意識して、少しも恥ずるところなき仕事をせよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日なすすべてのことにおいて、ただ主イエス様にお仕えしているのだという一筋の心を貫くことができ、裏表のない生活をさせてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


4月4日

聖書 コリント人への手紙第一 10章 24節

「だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」

「だれでも、自分の利益を求めず、ほかの人の利益を求めなさい。」

 

 他人が自分のためにどんなに忍耐し、我慢しているかということを少しも考えぬ人があります。しかし、信仰者はそうであってはなりません。朝食の時の顔つき、態度、言葉、仕事の上のことでの注意、批判、叱り言、使用人の怠慢、知人の無礼な手紙、等々がいかにしばしば私共の心を暗くし、不愉快な気持にならせることでありましょうか。しかし、考えて見ると、自分も他の人に対して同じような気分を与えていないとは言えないことが思い出されるでしょう。人にばかり要求することを止めて、他人への要求をまず自分に向けて見て、他人の益を考え始めたならば一切は変わって来るでしょう。

 

*寸想*

○しなければならぬはずのことを、いつまでも放ったままではいないか。

○間断なく進歩することを心がけよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私の心に他人の益を真実に求める心を与え、自分の益のみを考える心から救い出してください。イエス様の聖名によってお祈り申し上げます。アーメン

 


4月5日

聖書 テトスヘの手紙 2章 10節

「努めて真実を表わすように勧めなさい。それは、彼らがあらゆることで私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。」

「いつも善良で信頼できることを示すように勧めなさい。それは、彼らがあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるためです。」

 

 信仰者は毎日いろいろなことをしている者ではありますが、結局はただ一つのことをしているに過ぎません。それは神の教えを飾ることであります。信仰者の言葉と行ないによって始めて神の教えは飾られるのであります。それではどうすることが神の教えを飾ることになるのかというならば、信仰に忠実であることによってであると聖書は答えています。神に対して忠実であるならば、一日の仕事のごく小さいことに対しても忠実であります。何をする時も忠実であり、うそと偽りがない時には、神の教えは飾られ、神の栄光は現わされます。

 

*寸想*

○キリストに従う決意を堅くせよ。

○一日のうちしばしば、神の聖名をよべ。

○何をするにもまず忠実であれ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなた様の教えを飾る一日でありますように、私共の心を忠実なものとしてくださるようにお祈りします。主イエス様の聖名によって、感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


4月6日

聖書 マタイの福音書 4章 10節

「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。」

「あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい」

 

 神にのみ仕えるのが信仰者のなすべきことであります。神に仕えるとは神に従うことであり、神の御心の成ることを念願し、それを喜びとして生きることであります。自分の願いをなし遂げようと、努力している信仰者、自分の欲望だけを満たそうとし、それのみを祈り求めている信仰者、これは皆、神に仕えている者ではありません。自分の計画や願いが思う通りにならない時に不機嫌になり、神に対する感謝の思いを捨てるのも、やはり自分の願いに仕えているのであります。信仰者として、心から神にのみ仕える者として、一日を送りたいものです。

 

*寸想*

○自分のために神を信じているのか、神を信ずるために神を信じているのか。

○生活を聖むるためには、思想を聖めよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、信仰者と言いつつもいつのまにか、自分に仕えてゆきやすい者でありますが、心から神様にのみ仕える者としてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


4月7日

聖書 マタイの福音書 6章 32節

「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」

「あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。」

 

 フェネロンはかつて次のように祈りました。「主よ、私はあなたに何を求めてよろしいかを知らない者であります。私に何が必要であるかは、あなたのみご存知であります。私は自ら進んでは十字架も慰めも、あえて求めようとは思いません。ただ単純に私自身をあなたの前に投げ出しています。私の心はあなたの前に打ち開かれています。あなたの御心の完成されんこと以外はなにをも願いません。願わくは祈ることを教えてください」と。単純な、素直な、幼子のごとき心をもって神の前に出る時、神は私共の必要なものを一切知って配慮してい給うことを知ることができ、日々平安に生活できます。

 

*寸想*

○全力を傾倒せしむるような人生目的を真に把握しているか。

○キリストを利用せず、彼に用いられよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も思い煩うことを止め、ただ単純にあなた様にすべてをまかせ、忠実に私の任務を果たすことができるように守ってください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月8日

聖書 詩篇 119篇 2節

「幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。」

「幸いなことよ 主のさとしを守り 心を尽くして主を求める人々。」

 

 赤児は母親を求めて泣きます。動くことのできる赤児は母親を慕って捜し求めます。しばらくの間、玩具で気分がまぎらわされても、子供の心から母親を尋ねる要求がなくなったのではありません。母親の心もまた同様です。子供がいなくなった時の母親の心は到底、口や筆をもっては表現できないでしょう。母を求める子供の心と、子を尋ねる母の心とが一つになった時、すなわち、お互いが会うことができた時、その喜びと感謝はいかばかりでありましょう。神様と信仰者との関係も同じであります。神様の賜物よりも神様ご自身を、心を尽くして切に尋ね求め、幸福を得られんことを。

 

*寸想*

○神を深く知る者となれ。

○人生を浅く送る者とならずに、意義深く送るために神に心を向けよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、何を求めるにまさって、心を尽くしてあなた様を尋ね求める者、またあなた様に語りかけ、祈る者にしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


4月9日

聖書 詩篇 85篇 8節

「私は、主であられる神の仰せを聞きたい。」

「聞かせてください。主である神の仰せを。」

 

 人の言葉は多く耳に聞こえます。しかしながら神の声が聞こえているでしょうか。人の声は多く私共の心から幸福を奪い去りますが、神の声は力と喜びを注ぎます。神は語ってい給います。神は語り給うお方です。心を静め祈りのうちに神を思い、神を待ちなさい。聖霊の助けを求めつつ聖書を開きなさい。信仰を働かせながら、動き働く摂理を見なさい。神は各々を通して、語っているではありませんか。つまらぬ思いや欲望を心から去らせて、静かに聞こえる神の声に心をひそめなさい。神の声を聞こうと願い、決心しなさい。毎日毎日、神は私共の心に語り、天への道を教え給います。

 

*寸想*

○ある夕方、ルーテルは枝の巣に休む小鳥を見て、信仰とは何であり、神に依り頼むとは何かを深く悟った。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、人間の声を聞くことは知っていても、あなた様の声を聞くことを知らぬ私共の心の耳を開いて、あなた様の声を聞くことができる者にしてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


4月10日

聖書 箴言 1章 33節

「わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」

「わたしに聞き従う者は、安全に住み、わざわいを恐れることなく、安らかである。」

 

 人生には思わぬ災いが押し寄せ、予想もしなかったような事件が起こるということがしばしばあるものです。これを予知することができればよいのですが、なかなかそれはできることではありません。しかし、それゆえに、不安と恐れによって生活を暗くしなければならないことはありません。神様はご自分に聞き従う者と常に共にいてくださり、その心に変わることのない平安を与え続けてくださいます。静かな心を持たしめて、万事に適切な処置を取らしめ、災いにより、損害のゆえに、打ち倒されてしまうことがないように導いてくださいます。今日も神に聞き従いましょう。

 

*寸想*

○生活の小さい事のためにも心をこめて祈れ、何でも神に打ち明けよ。

○死ぬまで信仰的に有用な人物であれ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、人生の暴風が押し寄せる時、常にあなた様が共にいて下さり、平安と守りを与えて力強く進ませてください。イエス様の聖名によって、感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


4月11日

聖書 詩篇 73篇 24節

「あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。」

「あなたは 私を諭して導き 後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」

 

 神様は私共をさとし、教えて導き給うお方であります。ですから困難な時、苦しみにあう日に、恐れず、神様に依り頼んで雄々しく前進すべきであります。神様は私共に力を与えて大胆ならしめ、責任を果たさしめ給います。そしてなお、堅実に責任を果たす時、いよいよ信仰は強められて、次の困難や誘惑に容易に勝つ事ができるようになります。かくして、私共の生涯は栄光への道を一歩一歩前進する者となるのであります。責任を逃れたり、困難を避けて、神様の導き給わぬ道へ行ってはなりません。なぜなら、その道には栄光はないからです。

 

*寸想*

○小指一本と侮ってはならない。小指一本、目の前に置かれると、太陽も月も大空も見えなくなる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなた様に従います。どうぞこの愚かなるしもべを導き、教えて、正しい道を進ませてください。困難であるからといって退きませんように。聖名によってお祈り致します。 アーメン

 


4月12日

聖書 コリント人への手紙第一 3章 16節

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」

「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」

 

 私共信仰者は他の人々とは違った意味において、自分を、また自分の身体を大切にしなければなりません。なぜかならば、これは神様の霊の宿っている神の宮なのでありますから。また私共が集まる教会も同様に、神の宮なのであります。神様は私共お互いの間に、またお互い個人個人の心に聖霊を宿らせておいでになります。どんな弱い、つまずきがちな信仰者の心にも、イエス様を信じた時から、神様の霊である聖霊が宿っています。ですからこの心身を神の宮として大切にし、尊ばなければなりません。また、私共の集まりを尊重すべきであります。私共は神の宮なのですから。

 

*寸想*

○雑草の中にも神の恵みは認められる。

○正しいことのために苦しむことは、非常に尊いことである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共のような者の心にも聖霊を宿して、私共を神の宮としてくださったことを感謝します。神の宮として自分の心身を尊ばしめてください。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン

 


4月13日

聖書 マタイの福音書 25章 21節

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」

「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」

 

 神様は私共に様々なものを与えて、それを何に、どのように用いるかをじっと見ておられます。時間を何に用いているか、金銭や体力を何のために使っているか、才能や技量をどのように用いているか、を見ておられます。自己のため、自己の欲望と快楽のために用い尽くし、少しも人のため、神のために用いない人は、神様が与えてくださった賜物をむだ使いした人でありまして、やがてこの地上を去る時、神の前に出て、浪費の責任を追及されますが、忠実に有効に用いた者は、神の喜びを受けることができるでしょう。善かつ忠なる信仰者たらんことを。

 

*寸想*

○偉大さと聖さは、小さなことを神の前に忠実に果たし続けることによって示される。

○祈りを忠実にして、結果を待て。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共のもっているものを全部、永遠に価値あることのために用い、愚かな浪費をすることがないように守り、教えてください。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン

 


4月14日

聖書 コリント人への手紙第二 4章 8,9節

「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません、……倒されますが、滅びません。」

「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。……倒されますが、滅びません。」

 

 私共が日常生活をしている間に、四方八方がふさがってしまって、どうすることもできず、万策尽きた、と手をあげてしまうようなことに直面することがあるでしょう。しかし信仰者は決して希望を失ってはなりません。神が存在しなくなったら希望はなくなりますが、神がいらっしゃる以上、決して希望を失う必要はないのです。なるほど、見える所はふさがって、四方は固い壁に囲まれたようになっているでしょう。然し、上を仰ぎ、天を見なさい。天はふさがっていないはずです。神は私共が倒れるようなことがあっても、その中から救い出してくださいます。今日も希望をもって強く前進せられよ。

 

*寸想*

○将来に希望を持つ者は失敗者ではない。

○希望が確かな根拠に立っている時だけ、人をして力づけることができる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、激しく困難が迫り、心も身も疲れて弱ってしまうような小さな者でありますが、ただあなた様を見上げて進みますから導いてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月15日

聖書 ローマ人への手紙 12章 2節

「神のみこころは何か、すなわち何かよいことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

 

 神様が私共のために考えていてくださることは、みな、善であります。神様は決して悪を願い、悪を計画なさるお方ではありません。しかしながら多くの人々は、神様が自分たちのために善いこと、喜ぶべきことをしてくださらないかのごとく、考えていますが、これには大きな原因があるのです。神様の御心が分かるためには、私共の心が変わらなければなりません。H・マッニングは、「神に属する人々は、何事をも耐え忍ぶことができるばかりでなく、むしろ喜んでこれにあたるのである」と申しました。こうなった時、常に神が愛にして善なることを知ることができます。

 

*寸想*

○万事、神の御心に従わんことを求めよ。

○勝利は神への服従によって得られる。

○服従を学んで人格は鍛えられる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様がいかに恵み深く、かつ、愛に満ちているお方であるかを知ることができますように、私どもの心を変えてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月16日

聖書 詩篇 34篇 10節

「主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」

「主を求める者は 良いものに何一つ欠けることがない。」

 

 神様がいかなるお方であるかを忘れる時に、私共の信仰は弱ってしまいます。神様は天地の創造者です。その力になし得ざることはありません。私共の信じている神様は力のない神ではなく、力の本源であるお方です。また私共の信ずる神は、愛なる神であります。私共の日常の小さいことにまで心を配ってくださるお方です。必要なものを与え、危険より救うお方です。信仰者のなすべきことは、日毎にこの神様を尋ね求め、この神に近づくことです。その時、私共の心に喜びと平安は満ち、幸福なる者であることを自覚するでしょう。良いものに欠けることがないとは、このことをいうのです。

 

*寸想*

○天地の創造者なる全能の神が、我が牧者であることを知る時、恐怖はなくなる。

○不安と焦燥は、不信仰の産む双生児。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はちょっとしたことで信仰が弱ったり、気分が重くなったりしやすい者でありますが、今日もあなた様を見上げながら進む者としてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月17日

聖書 マタイの福音書 26章 41節

「目をさまして、祈っていなさい。」

「目を覚まして祈っていなさい。」

 

 C・ウェスレーは「つつましき心と己にかつ志をもて、よこしまなる誘惑を踏みにじり、打ち退けん、鋭き思慮もて練り堅められたる精神は、かく心と志をして常に祈りに目覚めてあらしめん」と歌いました。私共が誘惑に会わないように祈る時、その祈りとともに、手段を尽くして既に経験した誘惑を日々の行動から退けて行かなければならない。目を覚ますとは、注意するということです。危険なもの、誘惑、罪と汚れに近づかないようにすることです。しかしながらそれだけで十分なのではなく、祈りをもって心を守らねばなりません。敵サタンはどこから攻撃して来るかわかりません。祈り深く生活する信仰者とせられんことを。

 

*寸想*

○祈る信仰者であれ。

○誘惑には必ず勝つことができる。負けるかも知れないという思いに勝て。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、日々の生活において、しばしば誘惑にあい、時には敗北することすらありますが、目をさまして祈り深い生活を送ることができる者にしてください。聖名によりお祈り致します。アーメン

 


4月18日

聖書 コロサイ人への手紙 3章 23節

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」

 

 どんなに小さく、またいやしく見える仕事であっても、大いなる目的のためにそれがなされる時、それは決して小さく、またいやしい仕事のままではなくて、大いなる尊い仕事となります。いかに大いなる目的でも、小さな仕事が無視されていては達成できません。神様を喜ばせるという大きな目的を成し逐げるためには、特に小さいことに対する注意と忠実さが必要であります。表面的なこと、人の目につくことだけを巧みに行なっていこうとすることは、大いなる誤りであります。主の前に生活し、主の前で仕事をしていることを忘れず、忠実に事をなして、主を喜ばせる一日を送りたいものであります。

 

*寸想*

○イエス様を仰げ、彼は生命の光である。

○暗黒を追い払うもの、それは光である。

○聖言を信ずる時、真の光が心に入る。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私共とともにいてくださり、間断なくあなた様が私共とともにおられることを覚えさせてくださるようにお願い申し上げます。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月19日

聖書 ローマ人への手紙 8章 37節

「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」

「これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」

 

 パウロは人間が遭遇する苦しみ、悩みを列挙して、その中に在っても信仰者は勝利を得、さらに勝利者以上の生活を送ることができることを、ローマ人への手紙に述べています。信仰者は勝利者であります。いかなる問題にも、境遇にも、必ず勝つことができる者です。その理由は私共を愛してくださるキリスト様にあるのです。勝利の原因は私共自身にあるのではなく、キリスト様にあるのです。彼は一切に勝利を得ました。彼を信ずる者もその勝利に与かることができるのです。私共は敗北者ではありません。なお、勝利の道を正しく進みましょう。

 

*寸想*

○感謝の生活を勝利の生活という。

○平安の生活を勝利の生活という。

○潔き生活を勝利者以上の生活という。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日まで守ってくださった事を感謝致します。なお、信仰の道をたどり、勝利を得、感謝の生活を送ることができる者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月20日

聖書 エレミヤ書 33章 2節

「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。」

「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。」

 

 私共の信じている主は、活きてい給う真の神を示します。主は地を造られ、それを形造って確立された、と書かれています。即ち、神様は活動し給うお方なのであります。そして一度何かを始めたならば、必ずこれを成就するお方であります。神様は私共を救ってくださいました。それ故にまた、これを完成してくださることは間違いのないことであります。何でも神様に働いて頂き、助けて頂き、実行して頂くならば、これを成就してくださいます。今日も私共に関する一切の事に神様の助けを求め、その力によって成就して頂こうではありませんか。

 

*寸想*

○自分にとって一番よい事は、神様の御旨がなることであると知っているか。

○事の成就は神による。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は何にも左右されずに一切の事をなすことができ、また完了することができるお方です。今日も私と共にいて、御旨をなし遂げてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月21日

聖書 エレミヤ書 33章 3節

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」

 

 神様が私共に与えていてくださる約束の成就は、私共の祈りによります。祈りのない所に神様の約束の成就はありません。それゆえに、神様は「私を呼べ」と仰せられているわけです。神様の方から、祈りなさい、と励ましておられます。もっと真剣に祈り求める者とならなければなりません。真実に祈り求める者に対して、神様は豊かなる恵みと大いなる力とをもって答えてくださいます。失望や落胆をしていないで、祈るべきであります。祈る信仰者は力を与えられ、必ず勝利と栄光とを見ることができるでありましょう。

 

*寸想*

○サタンが最も恐れる信仰者とは、真実に祈る信仰者である。

○祈らぬ者には困難のみが見える。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、祈らねばならないことを知りながら、なかなか祈らない者でありますが、怠慢を赦してくださり、真実に祈る信仰者にしてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


4月22日

聖書 詩篇 39篇 7節

「私の望み、それはあなたです。」

「私の望み それはあなたです。」

 

 人間は希望なくしては生きていくことができません。希望は人に生きる力を与えるものであります。子供を育てる時、希望をもたせることは非常に大切な事であります。これによって性格も左右されます。さて、何を希望とするかということは、それ故に非常に大きな問題であります。真の望みでないものを希望とすることによって、多くの人は落胆し、人生に失敗しています。しかし、信仰者にとっての希望は、活ける真の神であります。決して裏切る事のない真実なる神を、望みの対象とする者は幸いであります。神は彼を生かし、力づけ、慰め、励まして雄々しく前進せしめてくださいます。神を望み、明るく、力強く進まれんことを。

 

*寸想*

○人間が成就した事はみな、希望によって成就されたのである。(ルーテル)

○希望なき者は死者である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、消えてなくなるようなもの、あてにならぬものを希望とせず、あなたご自身を望んで強く生きる者としてくださるようにお願い申し上げます。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月23日

聖書 コリント人への手紙第一 3章 23節

「あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。」

「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。」

 

 私共は信仰者になるまでは、自分は自分のものであって、自分の身体も、そのほか、自分に属するものは何でも、自分の思う通りに使用することができるのだ、と考えておりました。しかし、信仰に入ってからは、自分がキリスト様のものであるということを知るに至りました。自分は自分のものではなくて、キリスト様のものなのだということが分かると、そのところに平安と喜びを見出すと同時に、責任をも感じるようになります。キリスト様は、自分のものであるところの私共信仰者を守り、正しく導いてくださいます。私共はキリスト様のものでありますから、それに応ずる責任ある生活をすべきであります。

 

*寸想*

 

○正しい自覚を持つことによって、正しい行動と生活がなされる。自分が何者であるかは信仰によって把握される。

 

*お祈り*

 天の父なる神様。私共はキリスト様のものであります。それゆえ今日も一日守り、一切の災いより救い、キリスト様の栄光をあらわす者としてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月24日

聖書 ローマ人への手紙 8章28節

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」

 

 クリスチャンの生涯は、必ずしも無事息災ではありません。苦しいこともあり、悲しい出来事にも直面し、損失と思えるようなことにも出会い、難渋な境遇にも置かれることもあります。なぜでしょうか。料理の時に砂糖も使いますが、時には酢も使いますし、塩も、からしも使います。甘い料理は、甘い生涯に似ています。やがて飽きてしまうでしょうし、身体にはそればかり取っていては、かえって害になるでしょう。神様はいろいろな問題、いろいろな境遇の中において、私共を真に幸福な、人格の堅立した者にするために、深い愛と留意のもとに鍛練しておられるのです。

 

*寸想*

○神なき幸福は災いであり、神がともなり給う時は、災いもまた幸福となる。

○表面のみを見て、結論を出してはならぬ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様。信仰者にとっては、一切のことが互いに働いて益となり、神のご目的が成就されるに至ることを知り、ただ信頼をもって従いますから導いてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


4月25日

聖書 創世記 50章 20節

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。」

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。」

 

 ヨセフの生涯は、兄弟達によって不幸なものにされました。だれが彼の生涯を幸福な生涯と言うことができたでしょうか。暗く、孤独の辛い幾年かが過ぎて行きました。誤解され、裏切られ、捨てられ、いじめられました。しかしその中でなお、彼の心は神に向けられており、神もまた彼とともにい給うのでありました。やがて一切が変わって、祝福と恵みの太陽がヨセフの頭上に輝きました。そして兄弟達はやって来て、彼の足下にひざまずいて罪を詫びました。その時にヨセフが言った言葉が今日の聖句です。神は害悪をも善に変え給うことができるのです。恐れずに前進しましょう。

 

*寸想*

○万事はこれに対する態度によって益となる。信仰者に迫る害悪は一切、愛なる神の御手の中に握られている。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、いたずらに目前の困難や苦しみを恐れていないで、大胆に神様に信頼し、その害悪をも善に変えることができる力を信じて前進させてください。聖名によりお祈りします。アーメン

 


4月26日

聖書 テサロニケ人への手紙第一 5章 24節

「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」

「あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。」

 

「安かれ、わが魂よ、主がなんじの傍らにいませば、忍びて、悲しみと苦しみの十字架を耐えよ、神の定めて備え給うままに受けよ、移り変わりの多い世にあって、神こそ永久に真実に在せば」とルーテルは歌いました。神様は真実なお方です。その口には偽りがありません。それゆえに約束し給うたことは必ず実現してくださいます。神様の約束に対して不信の思いを抱くのは、神様の真実を疑うことであります。これは神様に対する大いなる冒とくであります。これほど神様をして憂いしめることはありません。いかなる時にも、神の真実を疑わぬ信仰者でありたいものです。

 

*寸想*

○サタンではなく、神を喜ばせよ。

○何かをしようとする時、第一に自分を喜ばせようとしてはいないか。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日まで私共に対して、あなた様は真実であってくださいました。この後も、変りなく真実で在し給うことを信じ、全き信頼の生活を送らせてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


4月27日

聖書 詩篇 40篇 4節

「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。」

「幸いなことよ 主に信頼を置き 高ぶる者や 偽りに傾く者たちの方を向かない人。」

 

 いかなる時にも神に依り頼む信仰者でありたい。神に依り頼むとは、正義に立脚するということです。不正であってなお、神に依り頼むということはできないことです。まず、不正を悔い改めねばなりません。神に依り頼むとは、なすべき自分の義務をきちんと果たして、良心の咎めなき心をもって、神を仰ぐことを意味しています。かかる時、勇気をもって事に当たることができます。神に依り頼むとは、ごう慢でないことを意味します。ごう慢な心には必ず、敵の切り込むスキができるものです。心を堅く定めて神に頼り、力強く今日一日の務めに携わりましょう。

 

*寸想*

○環境を整理せよ、乱雑は敗北の原因。

○聖霊が内に在ますことを確かめよ。

○伝道の責任を忘れてはならない。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もただあなた様にお頼りします。なにとぞ、すべての災いより守り、正しい信仰の道を辿らしめてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


4月28日

聖書 申命記 10章 12,13節

「今あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それはただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、主に仕え、あなたのしあわせのために、……あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。」

「今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために……あなたに命じる、主の命令と掟を守ることである。」

 

 神様が私共に求めていらっしゃることは、私共が幸福になることであります。愛なる神様が望んでおられることは私共の祝福であります。私共が幸福を願う以上に、神様はそれを切望しておられます。その祝福に至るためには、何が条件として必要なのでしょうか。まず第一は、心から神を敬いおそれることです。第二は神を愛することです。第三は、その戒めを守ってこれに仕えることです。もし神様が定めておられる、この条件を真実に守るならば、神様は必ずその人の生涯に豊かなる祝福を与えてくださるでしょう。

 

*寸想*

○祝福は神からのみくる。

○法則や条件を無視していて、祝福があると考えることは愚かなことである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、祝福の道を私共に教えてくださったことを感謝致します。今日も祝福の道を一歩一歩辿らせてくださるようにお願い致します。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月29日

聖書 詩篇 9篇 10節

「主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。」

「主よ あなたを求める者を あなたはお見捨てになりませんでした。」

 

 不安に襲われる時、神を求めなさい。心が動揺し、暗い気分に包まれる時、神に叫びなさい。自分の無力を痛感して、何もできないように思える時、神の約束にすがりなさい。努力して思いを神に向けなさい。精神をしっかりと神に結びつけなさい。「われは神を信ず」と叫びつつ心の中から不信の念を追い払いなさい。神に頼って立ち上がるのだ、と自分に言い聞かせなさい。打ちのめされたような時にも、神様に捨てられているのではないのです。神を尋ね求める者が、かつて捨てられたことはありません。神を望んで雄々しく強く立ち上がりなさい。

 

*寸想*

○われわれが失望に陥っている時、一番喜んでいるのはアクマである。

○気分に勝つところから勝利は始まる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、弱い私共でありますが、今日もただあなた様を見上げ、あなた様を頼って立ちます。前進致します。私を支え、守ってください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


4月30日

聖書 詩篇 40篇 1節

「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、」

「私は切に 主を待ち望んだ。 主は私に耳を傾け 助けを求める叫びを聞いてくださった。」

 

「主よ、私は疑いと悲しみの間をさ迷いました。しかし主は、ひと歩みごとに私を引き上げてくださいました。明日は何があるか知りませんが、ただ信じて待ちます。明日なすべきことをも主は助けて、全うさせ給うことを信じます」とS・ジョンソンは述べています。私共は一瞬先に、何が起こるか知りません。しかし慌てず、心を焦らず、神を信じて進み行く時、一歩一歩と道を開いてくださいます。目的の地に到達することを急がずに、神様に委ね、ことごとに祈りつつ、神様が許しなさる道のりだけを進むべきであります。神様の守りは必ず共にあります。

 

*寸想*

○忍耐は人格の背柱である。

○信仰の進歩は、忍耐によって測られる。

○忍耐とは神を望み待つ、明るい心である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、忍耐心のうすい者でありますが、今日も信仰をもって忍ぶ者となし、祈りつつ進む者にしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン