『みちの光』

インマヌエル綜合伝道団 大阪伝法キリスト教会牧師 朝比奈寛著

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

                 (詩篇119篇105節)


11月1日

聖書 ローマ人への手紙 12章 21節

「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」

「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」

 

 「来たり給え、主に拠りまつるこの時、主の御国をもたらし給え、主の栄光ある力をもて我を満たし、罪の種子を絶えさせ給え」とチャールズ・ウェスレーは歌いました。私共がもし悪を憎むものであるならば、そして悪を憎むことは信仰者の当然なすべきことであるが、悪に勝たなければなりません。悪に勝つ道はただ1つしかありません。それは善によるのです。悪に対して悪をもって報いるのは最大の悪であり、最大の敗北です。悪を破り、悪を追い出す道は善の心、善の言行によります。不潔なる思想は潔い思想で追い払えます。善をもって悪に勝つ一日であらんことを。

 

*寸想*

○全世界は、そして人間の心は、大砲で占領できるものではない。それは善と愛によってだけ占領できるものだ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、善とは愛であるとあなた様は教えてくださいました。愛は何者にも勝つ武器です。愛をもって悪に勝つ者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月2日

聖書 創世記 17章 1節

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」

 

 神様にはできないことはありません。なぜ神様にできないことでもあるかのように心配顔をしたり、アレコレと思い惑ったりするのでしょう。問題の解決も神様にはできます。あなたの問題で神様にとても解決できないと思われるような問題があるでしょうか。神様は今日も「わたしは全能の神である」と仰せられます。全能とは何でもなすことができることを意味します。この神様を信ずる者としてなすべきことは、その神様の前に信仰の心、服従の心、愛の心をもって日々の生活を送ることです。神様の前に立って恥ずかしいこと、隠さねばならないことがあってはならないのです。

 

*寸想*

○失望と落胆は、全能なる神を真に見ていないところから来る暗影である。

○神を計算に入れて一切を考えよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は全能なるお方です。今日も私の問題にあなた様が手をつけてください。あなた様におまかせ致します。イエス様の聖名によって感謝してお祈り致します。アーメン

 


11月3日

聖書 詩篇 143篇 10節

「あなたのみこころを行うことを教えてください。…あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださるように。」

「あなたのみこころを行うことを教えてください。…あなたのいつくしみ深い霊が 平らな地に私を導いてくださいますように。」

 

 人間は教えられる必要のある者です。小さい時からいろいろなことを教えられ、それを記憶し、身体の成長とともに知識的にも精神的にも成長するのであります。信仰の世界においても同様のことが行われる必要があります。特に教えられる必要のあることは神様のみ旨を行うということです。私共信仰者は神様のお考えをこの地上に行うために置かれている者であります。この尊い使命を私共の全生活を通して果たしていくことに、私共の生きている目的があるのです。そのためには聖霊の助けと力が必要ですから、祈って力に満たされて進みましょう。

 

*寸想*

○神を愛するならば、神が願っていることを実現するために生きるであろう。

○我らの生活の目的が把握されたか。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共は神様のみ旨をこの地上に実現するために生かされていることを知りました。そのために聖霊を満たし、力強くあらせてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


11月4日

聖書 詩篇 28篇 7節

「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。」

「主は私の力 私の盾。 私の心は主に拠り頼み 私は助けられた。」

 

 真実に拠り頼む者に神様は力を与えてくださいます。私共の全心が神様に向けられる必要があります。心が半分にわかれていてはなりません。全心をもって神様にすがる時、神様は私共に力を与えて問題に向かわしめてくださり、思わないようなわざわいから私共を守る盾となってくださいます。つらい境遇の中で、苦しい仕事の中で、つぶやかないで雄々しく生きてゆくためには心に力が必要です。いろいろな問題や複雑な人間関係の中で耐え抜いてゆくために神様の力が必要です。それゆえにいい加減な心ではなく、本心で神様に拠りすがるべきであります。必ず力が注がれます。

 

*寸想*

○罪を徹底的に悔い改めよ。これ、力の生涯の第一歩である。自己の無力を知り、ただ神によりすがれ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、強いように思われて案外に弱いのは私共の心であり、決心です。あなた様の力を注ぎ、この弱い心に強さを増し加えてください。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン

 


11月5日

聖書 ローマ人への手紙 8章 38,39節

「私はこう確信しています。死も、いのちも…力ある者も…私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

「私はこう確信しています。死も、いのちも…力あるものも…私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 

 心配を追放しなさい。暗い思いを払い出しなさい。信仰を堅くもって何にも迷わされないようにしなさい。他の道に行ってはなりません。恐れてはなりません。くよくよしているのではありません。ただ一切のことを神様にゆだね、神様に信頼を置きなさい。何者も神様の愛から私共を離れさせることはできません。神様の愛は何者よりも力があるのです。神様の愛は豊かであり、変わることはありません。神様の愛は今日も私共に注がれ、私共を包んでいます。不信仰に捕らわれないように致しましょう。

 

*寸想*

○罪人を愛し、弱い者を愛し、失敗だらけの者を愛し、汚れはてたる者を愛し、限りなく包むのが神の愛。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共は弱く力がありませんが、あなた様の愛は強く力があることを感謝します。あなた様の愛に一切をおゆだね致します。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月6日

聖書 イザヤ書 30章 15節

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」

「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」

 

 信仰者にはそれぞれ、神様のためになしうる仕事があります。病気で寝ている信仰者はその病床で、忍耐して苦痛に耐えているということによって神に奉仕しているのであります。つぶやかず、不平を言わず、静かにし、穏やかにしているだけでも十分なる神への奉仕であります。心を静かにすること、これは全ての人に必要なことであります。静かな心から本当の力が流れ出るのであります。ざわついた落ち着きのない心からは決して勝利を得しめる力は出てきません。御言葉によって心を養い、祈りによって心を神様に向けてごらんなさい。心は静かとなり、力が溢れてくるでしょう。

 

*寸想*

○祈ることに時間をかけよ。やがて大いなる利息が支払われるであろう。

○無駄話は生命の浪費である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなた様を心から仰ぎます。私の心に聖霊を豊かに注ぎ、全く満たしてください。そして全き平安のうちに力を経験させてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月7日

聖書 コリント人への手紙第二 12章 10節

「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

「ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

 

 私共はキリストのために何か損失や苦しみを経験したことがあるでしょうか。もし経験したとするならば、その時どんな気持ちがしたでしょうか。心の底から喜ぶということができましたか。できなかったという人があるでしょう。しかしちょっと考えてごらんなさい。愛する子供のために犠牲を払うことを喜んでいる親があるのです。愛する者のために自分の何かを犠牲にすることを喜びとすることは、決して変な精神状態ではないのです。信仰を強めて頂いて苦しみをも喜びうる信仰者にして頂きましょう。

 

*寸想*

○キリストの能力は弱さの中に顕われる。弱いことを悲しむな。弱さの中にキリストの強さの顕われることを求めよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、信仰の力は、苦しみや悲しみや辛さの中で顕されるものであることを知りました。今日も全てのことの中に喜びをもたせてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月8日

聖書 エレミヤ書 29章 11節

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。…平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。…平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 

 神様は私共のために何を願っておられるのでしょうか。平安な生涯です。神様は何を与えようと思っておられるのでしょうか。将来性のある生涯、進めば進むほど豊かな恵みと、望みの与えられることであります。そしてその目標に向かって今、私共を教え導いておられるのです。それゆえに今つらいことがあるからと言って、せっかくの神様の計画からはずれることほど、愚かなことはありません。ものがうまく行かないことの中にも、非常に尊い、益のあることが隠されているのです。短気を起こしてはいけません。中途で止めることは一切を無駄にすることです。

 

*寸想*

○何か最善であるか我らは知らない。

○我らの見るところは狭く、かつ近い。神は遠くまで見通して教え給う。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私共のような者のためにも最善の計画を立てていてくださることを感謝致します。あなた様に従いますからなお導いてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月9日

聖書 イザヤ書 48章 10節

「見よ。わたしはあなたを練った…わたしは悩みの炉であなたを試みた。」

「見よ。わたしはあなたを錬った…わたしは苦しみの炉であなたを試した。」

 

 「悩める魂よ、強く忍べ、汝の叫びをわれは聞けり、試みの火のもゆる時、われは汝と共にある。恐るるな、われ汝を助けん、汝の苦しみにまさってわが愛は大いなり」とH・W・Cは歌いました。兄姉方よ、敵の激しい攻撃があったり、耐え難いように思われる試みに直面していますか。神様は無意味にあなたがそのような経験をすることを許しておられるのではありません。信仰をもって耐え忍びなさい。他の人たちも頑張っているのです。多くの先輩たちは勝利の道を進んだのです。このような中で信仰は練られ、強められ、信仰者としての実力が増し加わるのです。

 

*寸想*

○少しでも切れ味が良くなるように、神様は信仰者を砥石にかけて研ぎなさる。

○苦しみとは信仰の砥石なのである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、力を与えてください。強くしてください。自分のことだけに捕らわれてしまわないで、他の人をも助け励ますことができる者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月10日

聖書 テモテヘの手紙第二 1章14節

「あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。」

「自分に委ねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。」

 

 「ああ、偉大なる慰め主よ、来たり給え。旅人のごとく過ぎ去らず、永久の住所として私の心にとどまり給え。私の霊魂を宿となし、ひそかなる神の宮たらしめ給え」とチャールスーウェスレーは歌いました。私共信仰者の心中には聖霊が宿っておられます。多くの信仰者はこのことに気がついていません。しかし真に悔い改め、主を信じた者の心中には間違いなく聖霊が宿っておられ、良心を通して正しい信仰の道をたどるように指導を与えてくださいます。心に聖霊がい給うことを信じ、そのことを感謝し、聖霊に全く心を明け渡してごらんなさい。平安が心に満ち渡ります。

 

*寸想*

○いろいろなことに凝ることは注意を要する。それは信仰の道に進む働きをにぶらし、聖霊の働きを妨げることが多いから。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私共の心に聖霊を遣わしていてくださることを感謝致します。もっと深く、強く聖霊の内住を知り、服従する者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月11日

聖書 創世記 5章 24節

「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」

「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」

 

 信仰生涯に力をもたらすのは神と共なる歩みであります。困難や苦難の中にあっても信仰者を雄々しくあらしめる秘密は、神と共なることにあります。神と共に歩む時にのみ真の喜びがあり、輝く望みが私共を包むのであります。エノクはそのような生涯を送り、死はエノクをより神に近づかしめる翼の役目を果たすものでしかありませんでした。神と共に歩む時、生も死も一つであります。神と共に歩むことは私共にできることです。工場、学校、会社、家庭、どこにおいても神と共にあり、神と共に歩むことができます。神と共に歩む幸福を本当に知っているでしょうか。

 

*寸想*

○神の平安を常に心に保て。罪と不信仰と不服従を捨てよ。まったく一切を神にゆだねよ。そのとき平安は心に満ちる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなた様と共に歩む者としてください。あなた様の望むこと、喜ぶこと、願うことに私の心を合わせて、そのために生きることができますように。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月12日

聖書 ヘブル人への手紙 12章 1節

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」

 

 私共は多くの証人に囲まれ、雲のごとく大勢の信仰の先輩たちに見られているのであります。彼らは私共の味方であり、応援者であり、同情者であります。私共の足がにぶって、信仰の馳せ場を走るのが遅くなってくると、一生懸命に励ましの声をあげて力づけてくれます。困難や苦痛にあっていると「私共もそうでした。気を落とさず頑張って信仰の道に進みなさい」と言って勧めてくれます。私たちだけがつらいのではありません。皆が栄光をめざして忍耐しているのです。心を堅くして進みましょう。

 

*寸想*

○罪は信仰者の力を奪う吸血鬼である。

○落胆は心の足に鉄鎖をかけること。

○いつもイエスに目を向けるのが信仰。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ともすると少しの困難に心が弱ってしまいやすい者ですが、多くの先輩が皆、困難に勝って進んだことを知ります。私にも力を与えてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月13日

聖書 エペソ人への手紙 4章 25節

「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。」

「ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。」

 

 私共信仰者は互いにキリストという幹につながっている枝であります。ですから信仰者同志の間には常に真実が語られなければなりません。ちょっとしたことにうそを言う習慣がついている人がありますが、それは早く主の力によって全く取り去って頂かねばなりません。生活が正直でないと真実な言葉は出てきませんし、心が不正直な傾向をしみ込まされていると、大事な取り返しのつかない時にペロツとうそを言います。しかしイエス様の血はこの心に大変革を与えてくださいます。それゆえ信仰者は心と生活から、いつも「うそ」を退けて自分を守らねばなりません。

 

*寸想*

○「うそ」というのは言葉だけの問題ではない。態度により、目付きにより、顔つきによっても「うそ」は言われる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ある人々はうそを何とも思っていませんが、私共は信仰者として、うそを極度に嫌い、それを心と生活から排除することができるよう守ってください。聖名によって祈ります。アーメン

 


11月14日

聖書 ヨナ書 4章 4節

「主は仰せられた。『あなたは当然のことのように怒るのか。』」

「主は言われた。『あなたは当然であるかのように怒るのか。』」

 

 イエス様は、柔和な者は幸いです、とおっしゃいました。怒ることは誰にでもできますが、柔和であることはなかなかできないことです。怒って大声を出したり、激烈な言葉をはいたり、場合によっては暴力をふるったりすることは難しくありません。しかし柔和であるためには絶大な忍耐力と寛容な心とが必要であります。柔和と無力とを混同してはなりません。短気と勇気とを間違えてはなりません。真の勇気は柔和の中にあり、真の大胆さと力は怒りに勝つ心にあるのであります。怒る者は愚か者に多いことが聖書に書かれてあります。怒りを神の愛によってとかして頂きなさい。

 

*寸想*

○感情を制するもの、それは祈りである。

○感情を治めるもの、それは聖霊である。

○感情を静めるもの、それは賛美である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、怒ったり、憎んだり、ねたんだりする心に真の勝利はありません。どうぞイエス様の血によって全く私共の心を潔めてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月15日

聖書 コリント人への手紙第一 3章 17節

「神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」

「神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。」

 

 神の神殿とは神のいまし給う所、またそれゆえに神に礼拝がささげられる聖なる所であります。信仰者の集まる所、そこに神はいまし、その所は聖なる礼拝の場所とされ、神の恵みが支配する所となるのであります。それゆえに心を汚してはなりません。聖霊の宿る身体もまた神の神殿として大切にすべきものであります。教会も家庭も心も身体もみな、神の神殿として聖く、かつ尊く扱われるべきものであります。神のいまし給わぬ神の神殿となることがないように、罪と汚れを除いて頂き、聖なるもの、常に神のいまし給うものとして守るべきであります。

 

*寸想*

○信仰者の集まりの尊さを思え。

○家庭の尊貴、自分の心身の尊貴を深く知れ。これは神の神殿なのである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、いやしい私共の心でありますが、今日もあなた様の神殿として聖くし、私共の心に臨在をあらわしてくださるようにお願い致します。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月16日

 聖書 詩篇 145篇 19節

「また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。」

「また 主を恐れる者の願いをかなえ 彼らの叫びを聞いて 救われます。」

 

 「たとい今日、あなたの望みのすべてが満たされなかったとしても、ただ静かに忍びなさい。明日の太陽はおそらく、あなたの更にまされる幸福の門が開けゆくのを見ることでしょう」とP・ゲルバルトは申しました。神を信じ、神によって望みに生きるのが信仰者です。マルチン・ルターは「真実なる信仰をもって真心から熱心に神に呼ばわる者は、確かにその願いを神に聞かれ、それを実現することができるであろう」と申しました。神様に祈りましょう。心配や重荷があったら、すぐ神に訴えましょう。祈りが呼吸のごとく自然なものになるまでに。

 

*寸想*

○私共は神を最大の喜びとしているか。

○神自身を求め、これを得よ。

○神のうちに一切の一切がある。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はまだまだ本当の祈りができていません。神様に祈ることを喜び、神様に近づくことを愛するような、心から祈る者にしてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


11月17日

 聖書 ヨシュア記 24章 24節

「私たちは私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」

「私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」

 

 私共信仰者にとって、指導者は神様であります。自己の考え、他人の声に従うか、神様に従うかは、その人の自由意志に任されていることではありますが、私共信仰者は神様に聞き従う道を選んだ者であります。それゆえに迷わず、恐れず、一筋に神様に従う道を進むべきであります。神様は必ず私共を正しく導き、守り、助けてくださいます。この道は祝福の道であり、栄光の道であります。少しの困難、ちょっとした辛さで簡単に他の道にそれたり、服従の心を失ったり、神様に信頼する心を薄くしたりしてはなりません。今日、神様の前にはっきりと決断し、心を定めてこの道をたどりましょう。

 

*寸想*

○退く者は神よりの誉れを与えられず。

○退く者は神の国にかなう者にあらず。

○退く者は前進の時に二倍の労を払う。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日あなた様のみ前において、あなた様にのみ仕え、あなた様にのみ聞き従うことを決意します。どうぞ正しく導いてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


11月18日

聖書 詩篇 67篇 1節

「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。」

「どうか 神が私たちをあわれみ 祝福し 御顔を私たちの上に 照り輝かせてくださいますように。」

 

 

 信仰者の謙遜は、必ず祈りの形において示されます。祈りとは、自分の力で何でもできるという、ごう慢な心が取り去られた人の真実な姿です。祈りにおいて信仰者は、自分が真に神の愛とあわれみとを要する者であることを告白致します。また心から神様の祝福とその助けとを祈り求めます。そして神様の約束を信ずる信仰に立って、力強く前進を致します。それは自分の力に立つ強さではなく、自分の無力を深く知って、神の強さに立つ者なのであります。恐れず、大胆に進む前に、まず自己の弱さを深く知り、神の力に生きることを学ぶ必要があります。

 

*寸想*

○信仰者を無力者、弱者として笑う者は、強者ではなくて、強者であるかのごとき錯覚を持っている愚か者である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私をあわれみ、私に恵みを注ぎ、祝福の中においてください。またあなた様を何のこだわりもなく、常に仰ぐことができる者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月19日

聖書 詩篇 143篇 10節

「あなたのみこころを行うことを教えてください。あなたこそ私の神であられますから。」

「あなたのみこころを行うことを教えてください。 あなたは私の神であられますから。」

 

 チャールス・ウェスレーは「視よ、私は御父の恵み深いみ旨を行うために喜びをもって来たり、世の業をなしつつも神を追い求め、神の心にかなうように努めました。主のみ諭しに忠実であり、ますます良いつとめをとって進みたく思います。細やかなマルタの手と、優しいマリヤの心をもって」と申しました。私共は毎日いろいろな仕事をしていますが、その全てを通して神様のみ旨を果たすべきであります。私の願い、私の計画の成ることよりも、神様の願い、神様の計画が成ることが目的とされるべきであります。そのために自分の全てが役立つことができるように祈るべきであります。

 

*寸想*

○神に、すぐ今、従う心があるか。たとえその命令が何であっても。

○神が愛であることを徹底して信ぜよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共がこの地上に信仰者として生活することを許されているのは、あなた様のみ旨をなすためであります。どうぞ全てをお使いください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月20日

聖書 使徒の働き 17章 28節

「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」

「『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。」

 

 神様はどこにでもいらっしゃるお方であります。土中、底深くもぐっても、神様はそこにもい給うのです。空高く飛びゆいても、神様はなおそこにい給います。私共は神様の中に生きているのです。ちょうど生まれた時から私共は空気の中に包まれて生きているように、神様の中に生き、またその中で動き、仕事をし、存在を続けているのであります。私共が神様の中にあって生きているのだという真理は驚くべきことであります。神様は石の中、水の中、木の中、山の中、砂の中、どこにでもおられるのです。一切の中に神を見、一切を包む神を知る時、私共の心には大いなる平安が生まれます。

 

*寸想*

○神が一切を包んでい給う。神の愛の中に一切は置かれているのだ。

○一切の中に神を見出だす目を持て。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は今、この所におられることを知り、感謝致します。この小さきしもべを恵みの中に包み、み守りの中に置いて、真理を更に知る者としてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月21日

聖書 詩篇 139篇 7節

「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。」

「私はどこへ行けるでしょう。 あなたの御霊から離れて。 どこへ逃れられるでしょう。 あなたの御前を離れて。」

 

 神様は常に私共の前にい給う。すなわち常に私共の一切を知ってい給うのであります。これによって罪を犯す者は非常な恐れを感ずるでありましょう。なぜかならば、彼の犯した一切の罪は、みな神様に知られていることになるからであります。けれども信仰者は、神様が常に自分の前にい給うことを知って、非常な喜びと平安を経験するのであります。愛なる神、守り給う神、救い給う力ある神が、常に自分の前にい給うことを知るからであります。疑いや不安に心を占領されてはなりません。神様は常に私共とともにい給うお方なのであります。

 

*寸想*

○神は近くいまし給う。悲しみの中にて神に触れよ。神は共にいまし給う。苦難の中にて神の力を味わえ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は常に私共とともにいてくださるお方であることを教えてくださり感謝致します。このことをもっと深く知り、喜ぶことができますように。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月22日

聖書 コロサイ人への手紙 1章11節

「神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、」

「神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。」

 

 神様は力の本源であります。神様は力を豊かに与えることができるお方であります。神様に力を求めましょう。霊的に強くなって悪魔と罪に勝ち、心を強くして頂いて気分や感情に支配されぬ者となり、肉体も強めて頂いて苦難に耐える信仰者となるべきであります。あらゆる問題の中で、心中の喜びを失わぬ者でありたいものです。神様は私共をそのような者にしてくださいます。神様は御自分の力を最もよく忍耐において示しておられます。人間はその偉大さを忍耐力によって示します。神の力によって忍耐の人とさせて頂きましょう。

 

*寸想*

○信仰とは耐え忍ぶ原理である。

○信仰者でありながら忍ぶことができない者は、何か大切なものを欠いている。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、弱い私共に今日も聖霊によって力を与えてください。全ての中で喜びを失わぬ者、全てのことを忍び耐えてゆく者にしてください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


11月23日

聖書 ヨハネの福音書 9章 4節

「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」

「わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。」

 

 今日なすべきことを中途半端のままにして明日に残すならば、今日味わうことができるはずの喜びと感謝を失ってしまうことになる。神様は、私共にある使命を与えて、この地上に生まれさせてくださったのであります。その使命、その目的を私共は毎日正しく果たしているでしょうか。私共に健康が与えられ、生命が与えられ、時間が与えられている間に、この使命を果たすべきであります。これは昼であります。やがて夜が来ます。何もかも中止せねばならぬ時です。機会が去ってしまった時です。その夜が来る前に私共は専心、使命を果たすべきであります。

 

*寸想*

○まあいいや、明日があるんだから、という考えから、機会を失った人が何人あることだろうか。今が恵みの時である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共を怠る心から救い出し、一生懸命神様から与えられている使命を果たすことを努めることができるように守ってください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月24日

聖書 イザヤ書 44章 21節

「イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。」

「イスラエルよ、あなたはわたしのしもべ。わたしがあなたを形造った。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ、あなたはわたしに忘れられることがない。」

 

 私共信仰者が心に深く止めるべきことは、私共が神様のしもべであるということであります。神様に仕え、神様に従い、その御心を果すことを任務として受けている者であります。神様はどう思っておられるであろうか、ということを考えずに何でも自由勝手にしてよいのではありません。もし私共が神様に造られ、そのあわれみによって神様のしもべとされ、信仰を持つことができたことを知って忠実に従うならば、神様は私共を守り、いかなる時にも私共を忘れることなく、御心にとめてくださいます。神様に常に覚えられている者であることを忘れぬように。

 

*寸想*

○しもべはその主人への服従によって、その忠実さがはかられ、主人への愛によってその忠実の真偽が立証される。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私共を御自分のしもべとして召してくださいました。不忠実なしもべでありますが、忍耐してくださいました。なお教え導いてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月25日

聖書 イザヤ書 41章 10節

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。…わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

 

 困難なことが渦を巻いて私共に迫ってくる時も「恐れるな」と神様は仰せられます。面倒なことが重なり、心配なことが次から次と起こり、心身ともに疲れきってしまうような時に、「わたしはあなたを強める」という声が響いてきます。自分ではもうどうすることもできないと思われる時に、「わたしはあなたを助ける」と神様は声をかけてくださいます。神様を信じ仰ぎなさい。困難の中に、無力なる自分が激しい戦いを続けなければならないからこそ、神様に頼るべきであります。神様の力ある右の手が必ず私共に差し伸べられ、私共を支えてくださいます。

 

*寸想*

○心を静めて、神に力があることを思え。

○心を定めて、神は助けうることを信ぜよ。

○上を見て、神の無限の愛に心を開け。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、無力である私共、疲れ衰えやすい私共、不信に破られるような弱い信仰者でありますが、今日も私共を支え、信仰の道に進ませてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


11月26日

聖書 イザヤ書 26章 3節

「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」

「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」

 

 神のおられる所には常に平安があります。嵐の中にも、強風の中にも、神による平安があります。苦しみの中にも、悲しみの中にも、神による平安はなくなりません。その平安は、神により頼む心を堅くする者に与えられる恵みであります。強く心を定めて神により頼みなさい。神様は間違いなく、その心に答えてくださいます。真実な信仰は、決して空しく消えるようなものではなく、神様からの応答を握ることができるものです。心を動揺させてはいけません。あれこれと迷ってはなりません。心ひとすじに神様に信頼し続けなさい。

 

*寸想*

○心が分かれるのを迷うという。

○心が一つである時は迷っていない。

○一心にただ神を信じ仰ぐところに力あり。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様を仰ぐこのしもべに力を与えてください。心一筋に終わりまであなたを信じ、あなたに従い続ける者としてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月27日

聖書 箴言 16章 3節

「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」

「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」

 

 何事をするにせよ、まずその事にかかわる一切を、神にまかせて始めるのが、信仰者であります。仕事が良くできなければ自分が恥をかくから、ぜひうまくしなければとか、この問題が都合よく行かなければ自分は承知できない、というような条件付きでは、神様にまかせることにはなりません。しかしこのような態度は、運命にまかせるということとは全然違います。私共は、自分にも、周囲の人にも、神様にも、何か最も善いことであるかを知らないので、そのことを知り、その善いことを実現してくださる神様に一切をまかせるのであります。

 

*寸想*

○まかせるということは放任ではない。

○神が最善になし給うことを信じて心配せずに自己の最善の努力を尽くすことである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、一切の事をあなた様におまかせ致します。最善に導いてください。決してつぶやかず、疑わずにあなた様にまかせて従う者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


11月28日

聖書 詩篇 145篇 2節

「日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。」

「日ごとにあなたをほめたたえ あなたの御名を世々限りなく賛美します。」

 

 昔から多くの信仰者たちは、神様に感謝をささげることを努めてまいりました。神様に対する感謝はいろいろな形において表わされるのでありますが、その一つは神様に対してさんびをすることであります。神様に対してさんびをもって感謝の心を表わすのは、非常に美しいことであり、神様に喜ばれることであります。もっと日毎にさんびをささげる者にさせて頂きましょう。自己の楽しみ、自己の趣味としてさんびを歌うのではなく、神様への感謝のささげものとして歌うべきであります。もっと多く、さんびのささげものを神様にささげる信仰者とせられんことを。

 

*寸想*

○さんびせよ。そして生活を明るくせよ。

○さんびせよ。そして悲嘆を追放せよ。

○さんびせよ。そして疑惑を払い去れ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日まで私共を守り導いてくださいましたことを感謝致します。しかし感謝のさんびをささげることが少なくありましたことをお詫び致します。聖名によってお祈りします。アーメン

 


11月29日

聖書 ヨハネの手紙第一 4章 13節

「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。」

「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」

 

 私共が本当に救われているという証拠はどこにあるのでしょうか。私共が神様のものとなり、神様が私共とともにいてくださること、神様が私共の内にいてくださることは、何によって知ることができるのでしょうか。それは私共に与えられている聖霊によって知ることができ、確信することができるのであります。私共がイエス様を信じた時、私共の心には神よりの聖霊が宿ってくださったのであります。心から「神様」と呼びかけ、祈ることができるのは聖霊の働きによるのです。良心の働きが鋭くなるのも、聖書の真理がわかり始めるのも皆、私共の心にある聖霊の働きであります。

 

*寸想*

○聖霊は力の源である。心に宿り給う聖霊の力によって強くあれ。

○日々、心に聖霊のいますことを信じ認めよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私共の心に聖霊を送ってくださいましたことを感謝申し上げます。聖霊のささやきに従い、もっと聖霊によって生活する者にしてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


11月30日

聖書 ヤコブの手紙 1章 26節

「自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。」

「自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。」

 

 「罪深き言葉、正しからぬ行為、ほしいままにさすらう思想、その一つだに許すな。ただ単純なる真理のみ、汝が舌にあれ。汝が心には愛あらしめよ。」と聖アンブロシウスは申しました。言葉に慎みがないことは信仰者として深く考えねばならぬことです。未信者の時のように何でも出まかせに口から言葉を出しているのは、真の信仰者の姿ではありません。言葉にブレーキをかけなさい。むだなおしゃべり、うわさ話をやめなさい。中傷や悪口は決して言うべきではありません。良心のささやきにすぐ従って、言葉を慎みなさい。

 

*寸想*

○感情に動かされて言葉を出すな。

○祈りながら言葉を出すようにせよ。

○心と言葉を聖霊によって支配されよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共の口からもっと祈りとさんびが、また感謝の言葉と人の信仰を益する言葉が出されますように守り導いてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン