『みちの光』

インマヌエル綜合伝道団 大阪伝法キリスト教会牧師 朝比奈寛著

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

                 (詩篇119篇105節)

8月1日

聖書 ルカの福音書 18章 27節

「人にはできないことが、神にはできるのです。」

「人にはできないことが、神にはできるのです。」

 

 信仰者の生涯には様々の試練があります。また困難もあります。その時に私共はとても信仰生涯を全うすることができないのではないか、という思いに捕らわれてしまうことがあります。しかし人間的に不可能なように見えることも神様には不可能ではありません。暗く見える前途を思ってある人は何かを中止しようと思ったり、信仰を捨ててしまうような誘惑をうけたりするかも知れません。しかし、信仰生涯は自分の力で送るものではなくて、神を信じ、神に期待を置き、神の力と恵みによって送るものであることを知って、大胆に信仰をもって進んでいただきたいと思います。

 

*寸想*

○徹底的に自己の無力を知れ。

○それは絶望に導くものではなくて、真の希望と信仰に導くものである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ともすれば自分を見たり自分の周囲を見ては気の弱くなる者ですが、あなた様を見上げて進みますからなお導いてください。イエス様の聖名によりお祈りします。アーメン

 


8月2日

 聖書 詩篇 94篇 17節

「もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに、沈黙のうちに住んだことでしょう。」

「もしも主が私の助けでなかったなら 私のたましいは ただちに 沈黙のうちに とどまったでしょう。」

 

 私共は今日まで信仰の歩みを続けてまいりました。ある人は30年、40年、ある人は1年と、その信仰年月に差はあるでしょう。けれども入信の時から今日に至るまで神様の助けと守りがなかったならば、私共の信仰はどうなっていたか分かりませんし、それと共に現在あるような状態にとどまり得たかどうか分かりません。むしろ「沈黙のうちに」と書かれているように希望の光も、喜びもない暗黒の中に落ち込み、あるいは滅亡の中に陥っていたかも知れません。神様は今日まで守ってくださったごとく、今後も守り給うことを信じて進みましょう。

 

*寸想*

○落胆を信仰をもって追放せよ。

○落ち着くことがなによりも大切である。

○そのためにまず祈るべきである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日まで守り導いてくださいましたごとく、この後も守り助け導いてくださることを信じ、あなた様に従います。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


8月3日

聖書 ヨハネの福音書 18章 11節

「父がわたしにくださった杯を、どうして飲まずにいられよう。」

「父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」

 

 主イエス様は常に神様の御心に従い続け、少しも変わることのない生涯を送られました。神様は喜びの杯、恵みの杯を与えなさると共に、また十字架の杯をも与えなさいます。それは時に苦く、またつらい杯であり、受けたくない杯でもありましょう。しかしイエス様は父なる神様が与えなさるすべての杯を心から受け、飲み干されたのであります。喜ばしいことも悲しく思われ、辛く見えることもすべて神様の御心に従って、これをお受けになったのです。私共もまた自分に喜ばしいと見えることにだけ服従しようとするわがままな心を去って神様に従うべき者であります。

 

*寸想*

○神様が与えなさるものは一切が恵みの賜物である。それが表面的、一時的に悲しく、つらく見えることでも。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はまだまだわがままな信仰者です。もっと一切のことにおいて神様の御心に従って行く者にしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


8月4日

聖書 申命記 15章 10節

「あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝してくださる。」

「あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださるからである。」

 

 神様は祝福の本源であります。なぜかならば、神様は愛だからであります。愛はわざわいを与えませんし、呪いを加えません。それですからもし神様のことばに従い、神様の戒めを守るならば必ず祝福が与えられます。神様の祝福は、まず私共自身の心に来ます。性質に来ます。そして私共がする一切の仕事、職業、計画の上に来るのであります。どういう形態の祝福であるかは神様が決定なさいます。けれども祝福の程度はその人の神様に対する態度によって決定されます。全き服従によって満ちあふれる祝福にあずかられんことを。

 

*寸想*

○神から来るものだけが祝福である。

○罪より生まれ、また罪によって得たものは祝福とはならず、必ず呪いとなる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私の上に神様の祝福があることを信じて感謝申し上げます。なお祝福を加え続けてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


8月5日

聖書 伝道者の書 9章 10節

「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。」

「あなたの手がなし得ると分かったことはすべて、自分の力でそれをせよ。」

 

 自分の現在の仕事に心を打ち込んで、最善の努力を尽くしてごらんなさい。心に必ず喜びと満足が与えられます。神様のために、神様の御心を喜ばせるために全力を傾けてあたるのです。その結果について、あれこれと思い煩うことを止めなさい。結果については神様にまかせて、思い煩いをすてて、現在の仕事にあたりなさい。またあなたのできる愛の奉仕に励みなさい。自分の手のとどかないことを望まないで、今自分にできる小さなことから始めなさい。病人を見舞い、友を助け、他の信仰者を励ますことなど出来ることをやりなさい。力を尽してやりなさい。今日も怠らぬように。

 

*寸想*

○信仰者はなまけ者であってはならぬ。

○何もしていないような時を過ごすな。

○片手間な仕事をするくせをつけるな。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私はこの地上に生かされています。毎日毎日を力を尽くして心から奉仕なす日とすることができますように力を与えてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月6日

聖書 詩篇 121篇 1節

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。」

「私は山に向かって目を上げる。 私の助けは どこから来るのか。」

 

 神様を仰ぐ、ということが信仰者にとっていかなる時にもなされるべき態度であります。他のものには真の意味において望みを置くことはできないのであります。様々な問題に囲まれ、いろいろな困難につきあたりますと、私共はどうしようか、という思いに動かされ、右に走り、左に行って人間的手段を尽くすことに夢中になります。しかし、まず第一になすべきことは走りまわることでも、人間の助けを求めて歩くことでもなくて、神様に信頼を置くことと、それゆえに祈って神様の指導を受けることであります。神様に対する信仰は必ず祈りとなります。今日も神様に目をつけましょう。

 

*寸想*

○神を仰ぐとは、神によって望みを心に持ち続けるということである。

○事があるたびにすぐ神様に祈れ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日もあなた様を仰ぎ、あなた様に目をつけます。周囲の出来事によって心をまどわされ、お祈りする心を失うことがないように守ってください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


8月7日

聖書 コリント人への手紙第二 12章 9節

「わたしの恵みは、あなたに十分である。」

「わたしの恵みはあなたに十分である。」

 

 いつも私共の行く道にある、避けることができないうるさいこと、心をいらいらさせるようなこと、細かい面倒なこと、気をくさらせやすいことなどの中で、どうしたならば明るく生活して行くことができるのでしょうか。どんな生活をしても、困難なこと、苦しいこと、つらいこと、骨が折れることに必ず人間は直面するものでなのであります。信仰者であってもそれは同じことであります。しかし信仰者はその中にあって、困難やつらいことがむしろ形の変わった神様の恵み、色の違った神様の賜物であることを知るのであります。一切は神の恵みであってそれ以外の何ものでもないことを知る時、神様の恵みが十分であることを悟ります。

 

*寸想*

○神の恵みに対して盲目者になるな。

○一切を感謝を持って受けて行け。

○感謝の念から勝利の力は出て来る。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も変わらずあなた様の恵みは私の上に注がれていることを信じて感謝致します。もっと深く神様の恵みを悟る者にしてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


8月8日

聖書 テモテヘの手紙第二 1章 7節

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」

「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。」

 

 私共クリスチャンはイエス様を信じた時、聖霊を受け、心中に宿しているのであります。聖霊を受けていない者は真のクリスチャンではありません。この神の霊であるところの聖霊は私共に力を与え、確信を与えて大胆なる者とならしめるのであります。「おくびょうの霊ではなく」と書いてありますが、聖霊は雄々しからしめる霊であります。また聖霊は罪と誘惑に勝たしめる力の霊であります。それと共に心中に真の愛を与えて神と人とを愛せしめる霊であり、自分を制することをなさしめる慎みの霊であります。今日も我が内に宿ってい給う聖霊に導かれて進まれんことを。

 

*寸想*

○我が内に在す聖霊を心から崇めよ。

○聖霊が宿ってい給うことを感謝せよ。

○からだは聖霊の宮であることを覚えよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は私のうちに聖霊を宿してくださいましたが、もっと深くこのことを知り、聖霊に全く支配されて生活をする者にしてください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン

 


8月9日

聖書 ガラテヤ人への手紙 6章 7節

「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」

「人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」

 

 

 「この世の生活が終わり、天上の生活に入る時、それはこの地上の生活の熟した実であることを知るでしょう。愛を蒔いて愛の清い実を刈り入れ、平和を蒔いて朗かなる実を刈り入れるのです。」とH・ボナーは歌いました。この地上の生涯はこの地上で万事終わるのではなくて、この地上の生涯の結実が来たる世に残されていて、私共はそれを刈り取る来世に移るのであります。私共は自分が蒔いた所のものを必ず刈り取るのであります。この地上においてもこの事実はありますが、最も正確に、かつ厳密に来世においてこのことがあるのです。私共は今日何を蒔くでしょう。

 

*寸想*

○悪しき種を蒔く者は悪しき実を刈る。

○罪は必ず審判と刑罰とをもたらす。

○罪悪の解決はただキリストにのみある。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、日々の生涯というものが責任の伴う、非常に厳粛なものであることを知り、目覚めた毎日を送る者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月10日

聖書 詩篇 86篇 16節

「私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与え、お救いください。」

「私をあわれんでください。 あなたのしもべに御力を与え あなたのはしための子をお救いください。」

 

 祈る信仰者は力を神様から与えられます。祈る信仰者は神様のあわれみを得ることができます。信仰者は祈ることによって神に触れ、力と助けと救いと恵みとを豊かに与えられるのであります。祈らないのは自分で恵みの門を閉じるようなことをしているのです。今私共はどんな立場、どんな環境におかれているか知りませんが、祈ることが最も大切なことであることに気がついているでしょうか。祈りに時間をかけていますか。真面目に毎日きちんと祈っていますか。この詩篇の作者のごとく、神様の前に謙遜に出て、神様の助け、神様の救いとあわれみを信仰をもって祈り求めましょう。

 

*寸想*

○祈りを軽視する信仰者はごう慢である。

○ごう慢な者は必ず神にこらしめられる。

○謙遜な者は必ず神の恵みを受ける。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はあなた様の助け、恵み、あわれみ、救いを必要としている者であります。どうぞこれらのものをお与えください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月11日

聖書 テサロニケ人への手紙第二 3章 16節

「平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。」

「平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。」

 

 心の奥深く、静かな、きよい平和を持つことができるのは信仰者の特権であります。苦しいことが迫って来て私共を悩まそうとする時、あるいは失望の穴の中に落ち込まんとする時、心中の平和は、私共を励ます力の源泉となります。この平和は、平和の主であるイエス様が私共の心中に宿っておられる時にのみ私共の心を支配するのであります。心の中に平和を持つことは勝利の秘密であります。イエス様は罪を全く解決してくださるので、私共の心中に平和がもたらされるのであります。平和な心をもって今日も一日を過ごされんことを。

 

*寸想*

○ゆだねる心に平和は必ずある。

○罪をすてた心を平和が支配する。

○ゆるす心に平和の喜びがあふれる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私共の心を支配してください。一切をあなた様におまかせ致します。心の中に変わらぬ平和、平安を与えてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月12日

聖書 詩篇 29篇 11節

「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」

「主は ご自分の民に力をお与えになる。 主は ご自分の民を 平安をもって祝福される。」

 

 感謝をもって何事をも始めなさい。感謝の心は力の泉です。不平と不満は持っている力を削りとる力です。けれども感謝は持っている力を十分に働かせる力となります。神様に向かって一切のことについて感謝をする時、私共の心には不思議な力が湧いてきます。失望している心、暗い気分になっている時、まず感謝して、今日までの神様の恵みを静かに思い返し数えてごらんなさい。そして、「神様、あなた様を信じます。終わりまで従います。」と祈ってごらんなさい。悪魔の攻撃は力を失い始めます。神は力を与えてくださいます。力を得て雄々しく前進致しましょう。

 

*寸想*

○人生において勝ち抜かしめる力は、心の中から出てくる神の力である。

○信仰は神の力を注ぎ込む導管である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、力を与えてください。罪に勝ち、誘惑に勝ち、不平と不満に勝ち、絶望と落胆に勝つ力を与えてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


8月13日

聖書 エペソ人への手紙 5章 19節

「主に向って、心から歌い、また賛美しなさい。」

「主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」

 

 信仰者とは神を賛美する人々であります。それは神に対する感謝をあらわし、神に栄光を帰してほめまつる事であり、神を喜びとする信仰の告白なのであります。賛美は信仰者が神に献げるささげものであり、また神様が喜んで受けてくださるものであります。賛美は心の中に恵みを注ぎ、それを聞く者に励ましと希望とを与え、信仰を呼び起こすものなのであります。賛美は疲れた心、衰えた霊魂を生かし強める働きを致します。つぶやきよりも賛美を、私共が生活の中に入れるならば、家庭も、社会も明るく、さわやかなものとなるでありましょう。

 

*寸想*

○賛美は気分で歌うよりも、信仰で歌うべきものである。

○賛美はそのまま、祈りともなる。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様に心から賛美をささげ、聖名に栄光を帰する者、あなた様を喜ぶ者、信仰の友を励ます者にしてください。イエス様の聖名によって感謝してお祈り致します。アーメン

 


8月14日

聖書 ペテロの手紙第一 3章15節

「心の中でキリストを主としてあがめなさい。」

「心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。」

 

 私共はキリスト様を信じている者であります。信ずるとは受け入れるということを意味しているのですが、私共は何を受け入れているのでしょうか。イエス様を信ずるとはイエス様を受け入れるということなのであります。イエス様を信じた私共は、イエス様を心にお迎えしているのであります。しかしながら、イエス様はお客様として遠慮しながら私共の心の片隅にいらっしゃるのではないでしょうか。イエス様を王様として心の中にお迎えしているでしょうか。あなたの心の中の王は誰ですか。あなたのわがままですか。欲望ですか、心配ですか、怒りですか、失望ですか。心中にキリスト様を王として崇められよ。

 

*寸想*

○心の中にキリストを崇めるとは、キリストを我が王として迎える事である。

○王とは絶対の主権者の事である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、信仰者でありながらイエス様の命令、イエス様の願いに従わず勝手なことをして来ましたが、今日からイエス様を王として迎え一切従います。聖名によってお祈りします。アーメン

 


8月15日

聖書 ヘブル人への手紙 6章11,12節

「あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、…確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに…」

「あなたがた一人ひとりが同じ熱心さを示して、最後まで…確信を持ち続け、その結果、怠け者とならずに…」

 

 信仰者の生涯において私共が注意しなければならないことは、ゆるみと怠りであります。初めは一生懸命ですが、いつの間にか悪魔の上手なささやきによってなまけるようになって来ます。祈らなくなったり、聖書を読まなくなり、反省をしなくなり、集会に出て教えを受けたり、奉仕をすることを少しずつ怠るようになります。そして怠る時には正当な理由をつけている心算です。けれども私共はそのままであってはなりません。信仰はずるずると泥沼に落ち込むように力を失い、無信仰者と同じようになります。怠らず励んで努めましょう。

 

*寸想*

○三食の食事は間違いなく忘れずにとるが、聖書を読まぬ信仰者がある。

○なまけ癖をつけぬようにせよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も私共に警告の言葉を与えてくださったことを感謝致します。怠らず励んで信仰の道をたどる者にしてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月16日

聖書 テサロニケ人への手紙第二 3章 3節

「主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。」

「主は真実な方です。あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。」

 

 神様は偽りをいうお方ではありません。神様は真実なお方ですから、その言葉を信用し、その約束に希望をつなぐことは決して危険なことではありません。私共が神様の御言である聖書の約束を心から信ずる時、私共の心は必ず強くされ、堅くされます。神様は私共の心をまず強くし、堅くして、私共の生涯を守ってくださり、わざわいから救ってくださるのであります。心が堅くないと神様の守りが内側からやぶれるのであります。神様を信じ、神様の約束を信じて、心を堅く神様に向けなさい。これが祝福への第一歩なのであります。

 

*寸想*

○自分を守ろうとするならば、まず自分の心を守らねばならない。

○神の言をもって心を支配せよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共の動きやすい心を神様を信ずることによって堅い心、不動の強い心にすることができますように助けてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月17日

聖書 ローマ人への手紙 6章 23節

「罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

 

 罪はたましいにとっては地獄であり、死であり、わざわいであります。「主よ。私はあなたに叫びます。あなたご自身を私に与えてください。そうでなければ私の生命は失われるでしょう。私を死より地獄より救い出してください。あなたがいない所が地獄であり、死であります。」とチャールス・ウェスレーは歌いました。私共は今日も罪を捨て、罪によって何かを得ようとする道を捨てて、キリスト様に信仰によって結びつくべきであります。主イエス様を信ずる時、死ではなく、わざわいではなく、永遠の生命が与えられているのです。

 

*寸想*

○罪によって得たものは、利息までつけて、我が身を滅びに落し込む。

○罪からは決して幸福は生まれない。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共をいつも罪から救い出し、守り続けてください。罪によっては決して幸福は来ません。ただ主イエス様を信じお頼り致します。聖名によってお祈りします。アーメン

 


8月18日

聖書 創世記 32章 10節

「私はあなたがしもべに賜ったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。」

「私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。」

 

 これは有名なヤコブが行き詰まりを感じ、どうにもならなくなった時、心から神様の前に祈った言葉の一節であります。ヤコブはこのときに初めて、自分という者が、神様の恵みをひとつも受ける資格のない人間であることを悟ったのでありました。もし少しでも神様から恵みを受けたとするならば、それは自分にとって過分のことであることが分かったのでありました。この心をもって神様の前に深い謙遜と感謝を持って出た時、神様は迫ってくる危険、行き詰まりから全く救い出されたのでありました。私共も心から謙遜になって神の前に出たいものであります。

 

*寸想*

○不平はごう慢から出る。そしてそれは自分はもっと大いなる恵みを受けるべき者だと思っている所から来る。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私共はまだまだごう慢でありまして、神様の前に、恵みを得るのが当然だと思っている所があります。もっと謙遜な者にしてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


8月19日

聖書 サムエル記第一 15章 22節

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、」

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、」

 

 サウル王は神に従うことよりも、神にささげものをする方が良いと考えたのでありました。神様に従わないことをしておいて、ささげもので神様につぐないができると思っていたのです。しかし、神様は、何よりも大切なこと、何よりも神様が喜ばれるのは、心からの服従であると宣言されているのです。神様に従うということは、神様を尊敬することであり、また神様を愛する心のあらわれであります。神様を心から恐れ、神様の恵みを知る者は、まず第一に神様に従うことを念願し、そのことをつとめます。聖霊は私共の心の中にあって神様に従うように語り、指導するお方です。従うことの尊さを知る者であるように。

 

*寸想*

○真に信じるならば本気で従う。

○信仰が服従をともなうときに本物となる。

○真剣に従うと信仰が生きて来る。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、信仰とは神様に心から従う決意がなくては意味がないことを知りました。従います。聖霊の力によって従い続けることができますように。イエス様の聖名により祈ります。アーメン

 


8月20日

聖書 出エジプト記 14章 13節

「恐れてはいけない。しっかり立って、きょうあなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」

「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」

 

 イスラエル人達はエジプトから出て自由の身となり、旅行を続けましたが、やがて後からエジプトの軍勢に追いかけられ、前は紅海で進むことができず、全員この所で死ぬかと思われるような立場に立った時、神様が語られた言葉が本日の聖句であります。信仰の道には時に困難もあり、苦痛もあり、敵の攻撃もあります。しかしながら恐れてはなりません。あせってはなりません。神様は私共と一緒にいらっしゃるのです。神様は私共を救うことができるお方であります。困難な時こそ神様の働きなさる時であり、救いを目前に見ることができる時です。恐れず信じてすすみましょう。

 

*寸想*

○神を仰げ、救いは神にのみある。

○失望を投げ捨てて、信仰を持て。

○周囲はふさがっても、天は開いている。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、様々な問題の中におかれていますが、いつも静かな信仰の心を持ってあなた様を見上げる者にしてください。イエス様の聖名によって感謝をしてお祈り致します。アーメン

 


8月21日

聖書 イザヤ書 48章 17節

「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」

「わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」

 

 神様は最善の道を知っておられるお方であります。私共自身が、どんなにこれこそ最善の道であろうと思いましても、果して本当にそうであるかどうかは分かりません。それゆえに私共は決して自分の知恵や経験を過信しないで謙遜に心から神様に導きを祈り求むべきであります。神様は真に益することを教えてくださいます。また私共各人が進むべき道を教えてくださいます。他の人が行った道をまねしてみても、果してそれが自分にとって最善の道であるかどうか分かりません。神様の御言に従って進むのが最善の道であります。

 

*寸想*

○心から服従する決意をもって神に求めよ。神は必ず導き給う。

○不信の心には導きは与えられない。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、このところまで信仰の道を導いてくださいましたことを感謝致します。今後もなお導いて正しき道を進ませてください。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月22日

聖書 ローマ人への手紙 12章 21節

「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」

「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」

 

 悪に勝つ道、それはただ一つであります。悪に勝つ方法、それは聖書の教えるところによらなければなりません。その方法、その道というのは即ち、善をもって悪に打ち勝つということであります。悪に向かうに悪をもってするのはいよいよ悪に勝利を与えることになるでしょう。善とは、神より来る愛による言葉、行ない、態度、姿であります。悪に勝つ時、祝福が実現されるのであります。悪に勝たなければ幸福は得られません。その悪の中の最大の悪は自分の心中にある自我であります。これが征服される時、悪に対する勝利は決定的なものとなります。悪に勝つ道、それがキヨメであります。

 

*寸想*

○悪口に対して祝福をもって答えよ。

○攻撃に対して愛をもって応ぜよ。これこそ真の勝利者の姿である。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、信仰とは勝利の生活を送らしめるものであると教えられておりますが、勝利の生涯は悪に勝つところから始まることを知り感謝致します。なお、教えてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


8月23日

聖書 創世記 17章 1節

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」

 

 疑いが雲のように頭の上にひろがって来る日があり、心配が嵐のように迫って来る夜もあります。自分のこと、子供のこと、家庭のこと、将来のことが眠られぬままにいろいろと心に浮かんで来る時もあるでしょう。そしてその時に、神に対する信仰を新しく持つことによって一段一段と信仰は上ってゆくのです。竹の節のように、人生の様々な問題にぶつかっては信仰が強められ成長し、充実していくのです。今日も全能の神、どんなときにも望みをおくことができる神、不可能ということのない神様に信頼の心をつなぎ、ゆるぎなく、曲がらず、悪に足を入れずに真直に進みゆかれんことを。

 

*寸想*

○現実の問題に負けてはならない。

○気をとりなおし信仰をもって神を仰げ。

○神に信頼を置いて雄々しく立ち上がれ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、時には疲れて信仰の力が全くなくなったように感ずることもありますが、この身このまま、あなた様を仰ぎ信じて進みます。導いてください。聖名により祈ります。アーメン

 


8月24日

聖書 ルカの福音書 23章 46節

「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」

「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」

 

 これはイエス様が十字架上において語られた七つの言葉のうち最後のものであります。イエス様がまさにこの地上の生涯を終らんとする時、その心には父なる神様だけがあったのです。「父よ」と呼びかけておられる言葉の中にイエス様の信仰と希望の根拠を見出すことができます。イエス様は最後まで父なる神様に信頼を置いておられるのであります。「ゆだねます」という言葉には、委託と服従の全き心が表白されています。もし私共がイエス様のごとく、一切を神様の御手にゆだねるならば、私共の心には平安と喜びがみちわたるでしょう。神様を信じ、神様に従い、まかせることが一番たしかで幸福な道であります。

 

*寸想*

○イエス様は最後まで神を信じ続けた。

○イエス様は最後まで祈り続けなさった。

○イエス様は最後まで従い続け給うた。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、イエス様の模範に従って最後まで神様を信じ、神様に従い、神様に一切をまかせて全き平安の生涯を送る者にしてください。イエス様の聖名によりお祈りします。アーメン

 


8月25日

聖書 ルカの福音書 22章 42節

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」

 

 あなたの意志を全く神の意志と一つにしなさい。それはできることです。そして一切を神様にまかせてごらんなさい。そして神様の御心が自分の生涯を通してなるようにと祈ってごらんなさい。必ず平安が感じられるようになると共に、強い確信が心に満ちてきます。神様の御心は必ずなるのです。神様の御心が自分を通してなされつつあると確信される時、私どもは勝利の生活に入っているのであります。そのところにあるものは栄光と勝利であります。そのための第一歩は、自分をむなしくして神様の御心に従う態度に出ることであります。

 

*寸想*

○信仰者の人生目的はただ一つである。

○即ち神の御心が達成されることである。

○その時、神の栄光が顕れるのである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、私の生涯を使ってあなた様が計画しておられることを実現してください。そしてあなた様の栄光をあらわしてくださるようお願い申し上げます。聖名によって祈ります。アーメン

 


8月26日

聖書 詩篇 27篇 11節

「主よ。あなたの道を私に教えてください。私を待ち伏せている者どもがおりますから、私を平らな小道に導いてください。」

「主よ あなたの道を私に教えてください。 私を待ち伏せている者どもがいますから 私を平らな道に導いてください。」

 

 「みちびき給え。親しみある光よ。周囲の暗き中に、君よ我を導き給え、遠きかなたまでとは願わじ、ただ一足先を照らし給わば足れり。」とニューマンは歌いました。神様は私共のために最善の道を備えていてくださいます。神様は私共の性質を知り、弱点を知り、能力を知っておられます。そして最もそれにふさわしい人生の道に私共を導いてくださいます。思い煩うことをやめて、神様を仰ぎましょう。心配することをやめて神様にまかせましょう。祈ってごらんなさい。神様は光を与えて正しい道に安らかに進ませてくださいます。

 

*寸想*

○一歩ずつ焦らず、止めず進みゆけ。

○事ごとに神を仰いで着手せよ。

○疑わず、怠らず、日々祈り続けよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日まで私を守り信仰を導いてくださいましたが、この後もなお教えてくださり、人生の歩みを導いて幸いな生涯を送らせてください。聖名によって祈ります。アーメン

 


8月27日

聖書 詩篇 27篇 14節

「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」

「待ち望め 主を。 雄々しくあれ。心を強くせよ。 待ち望め 主を。」

 

 時にはほとんど絶望しそうになることがあり、力がなくなり、何もできないように思われることもあるでしょう。しかし、そのような中にあっても神様を信ずる信仰をもち、神様に心を向けていると、必ず私共のうちに力が湧きあふれてきます。そして新しくなった人間のように自分の仕事に手をつけることができるようになります。神様は私共に命令を与えなさる時、それと共に、必要なる力と勇気と慰めとを与えてくださるのであります。どんな時にも神様を見上げましょう。どんな中にあっても神様に祈ることを忘れぬ者でありましょう。

 

*寸想*

○不信仰とはうなだれることである。

○大胆に頭をあげて、神に目を注げ。

○信仰によって強くあれ、と聖書は語る。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様には力があり恵みがあります。私には何もありませんが、ただあなた様を仰ぎ求めます。力を与えて強く立ち、生きる者にしてください。聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月28日

聖書 イザヤ書 40章 29節

「疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。」

「疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。」

 

 へりくだって、すなおに神様に祈ってごらんなさい。疲れ衰えた心に神さまは聖霊による慰めと力とを与えてくださるでしょう。神様に道をゆだねなさい。神様に問題をまかせなさい。神様は問題を解決し、正しき指導を与え、進むべき道に力強く前進なさしめることができるお方です。悪魔の攻撃に屈してはなりません。敵にすきを与えてはなりません。頑張りなさい。神様の約束を信じて、信仰の城を守りなさい。昔から多くの信仰者も私共と同じような、否、もっと激烈な戦いに耐え抜いて信仰のよき証を立て、勝利の冠を得て神のもとに凱旋して行ったのです。

 

*寸想*

○信仰によって雄々しく進め。

○神の力を信じてことをなせ。

○栄光はすべて神にのみ帰せよ。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、あなた様は力を与え、強く立ち上がることを得しめてくださるお方であることを信じ、感謝致します。力を与え正しく進ませてください。イエス様の聖名によってお祈りします。アーメン

 


8月29日

聖書 ローマ人への手紙 15章 1節

「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。」

「私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、」

 

 「私よりもなお弱い人がありますならば、その人を助けるために主よ、私に力を与えてください。私よりもなお暗き道にある友がありますならば、主よ私に与えられている光をもって友を導くことを得せしめてください。」とJ・Gホイッテイヤーは祈りました。私どもは自分のことばかり考え、自分に同情してもらいたい、自分を助けてもらいたい、自分を理解してもらいたいと思っており、それに不足を感ずると直ちに不満と怒りをまき散らします。けれども私共よりも、もっと同情さるべく助けらるべき友があることを思い、喜んで彼らを助くべきであります。

 

*寸想*

○人を助けてみよ、不満は去りゆく。

○人に慰めを与えよ、不快は消える。

○人の荷を負え、汝は弱き者ではない。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も誰かを助け、誰かを力づけ、誰かを慰め、誰かを励まし、信仰の道に進ましめる働きをなすことができますように。イエス様の聖名によってお祈り致します。アーメン

 


8月30日

聖書 ローマ人への手紙 12章 1節

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」

 

 他人が持っているもので自分にないものを人はうらやみの対象とします。あれがあったら、これがあったら、と思って不満を持つ人が多くあります。しかしながら、それをもってどうしようというのでしょうか。たとえなにもなくても、自分は今、生きた人間として存在しています。これを最もすばらしいものとする方法があります。それはこの身体も生命も何もかも一切を神様のものにすることです。神様は土塊のような私共を御手にうけて最も尊い器として使いなさることができるお方であります。

 

*寸想*

○神の霊を内に宿す時、我々はもはや神の宮であり、神の所有である。

○最も神聖な尊い存在となるのである。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、ごらんのようにいやしい者であり、とるに足らぬ者でありますがこの身、このすべてをささげます。お受けくださり、尊いご用に使ってください。聖名によってお祈りします。アーメン

 


8月31日

聖書 ヘブル人への手紙 12章 25節

「語っておられる方を拒まないように注意しなさい。」

「語っておられる方を拒まないように気をつけなさい。」

 

 あなたの心にこれではいけない。止めなければいけない。棄てなければいけない。悔い改めなければいけない、とささやく小さな声が聞こえる時、これをほっておいてはいけません。心を静かにして、まじめにその声に耳を傾けなさい。謙遜に、服従する心をもって聞きなさい。聖霊は良心を通してあなたに語っておられるのです。心の中の静かな声を聞き逃し、平然と世の中の人のように表面的な、浅い笑いや騒ぎや、娯楽の中に入り込んで心の耳を不具にしてしまってはなりません。心に良心の痛みを感じたならば、すぐその原因をつきとめて、神様の前に正直に立つべきであります。

 

*寸想*

○聖霊が良心を通して語られる声を、もっと鮮明に聞くことができるように、小さい声にも細心の注意を払うべし。

 

*お祈り*

 天の父なる神様、今日も語ってください。良心を通して私に語りかけ、教え、導いてください。良心を通して語るあなた様にそむかぬように守ってください。イエス様の聖名によって祈ります。アーメン