6月21日:礼拝メッセージ

6月21日   礼拝メモ       (T・O)
  コリントⅠ15章10節他 (説教) 朝比奈悦也師
 「恵みに生きる信仰者」

 

  15章でパウロは、キリストの甦りは欠かすことのできない大切なことであると解き明かしている。義なる神は、罪に対しては一切妥協することなく、徹底した裁きをなさるお方であると同時に、神は愛なるお方であり、恵みと祝福をお与えになるお方である。キリストは十字架による罪の贖いを成し遂げ、甦られて恵みをお与えくださるお方であり、パウロはその恵みの中に生きていると証ししている。クリスチャンとは恵みの中に生きている人のこと。この恵みについて学ぶ。

 

一、救い
  救いこそ恵み。パウロは、自分はクリスチャンを迫害して回っていた者であり、神の救いを受けるに最もふさわしくない者であったが、そのような者のために主は十字架にかかり、徹底した裁きを受けて罪を完全に帳消しにしてくださった。それ故に一切の罪の裁きから解放され、神の子とされるというすばらしい救いに与った。これは唯々神の恵み以外の何ものでもないと語る。

 

二、救われた後、今日まで
  救われたパウロは、今日まで使徒として一生懸命しかも人より多く働くことができ、数え切れない多くの困難や迫害の中にあっても助け支えられ、励まし力付けられ、知恵と勇気を与えられて、伝道の道を真っ直ぐに進み続けてくることができたこと、そして今あるのはただ神の恵みであると証しする。私たちも救われた後、なぜ?と思うような試練の中を 時に通過してきた。しかしその中にあっても神様の支え、力づけ、導きをいただいて今日を迎えていることを思うとき、今あるのはただ神の恵みである。


三、さらに大いなる恵み(ヤコブ4・6、ローマ8・28)
  救いの恵みに与り、神様に従って歩んでいく中で 神様の恵みを経験するようになる。そして生涯のすべてのことを恵みだと心から頷くことができ、さらに豊かな恵みが信仰生涯に備えられているとパウロは語る。群れの中にも身をもって証ししておられる方々の故に感謝する。神様によってでしか得られない大いなる恵みの数々が、やがて迎え入れられる天での大いなる恵みと共に私たちに備えられている。


  救いの恵みに与った私たちが、この恵みに生かされ、恵みを味わいだしたとき、感謝を失わない者となる。神様の前に謙り、神様を信頼して進もう。上半期を締め括るにあたり、神様の恵みに感謝し、向かう半年のために神様の大いなる恵みの備えを信じて踏み出そう。