7月5日:礼拝メッセージ

 7月5日   礼拝メモ       (T・O)
  ヨハネ8章1~12節  (説教) 朝比奈悦也師
 「イエスの三重の救い」
      
  ここには人生の破滅を経験したひとりの女性が出てくる。この女性は悲劇的破滅状態からイエス・キリストによって救い出された。この出来事を通してキリスト教の救いとはどのようなものかを学ぶ。


一、三重の救い
 ①不幸からの救い:女性は最も恥ずかしい部分を人前に暴露され、断罪する人々に取り囲まれ、身動きできない状況に置かれた。恥ずかしさと恐怖におののいていた。イエス様はそれらの人々を去らせ、ふたりだけが残った。これは不幸からの救いを意味する。

 ②裁きからの救い:姦淫の現場で捕らえられ、さらし者にされた後にはもっと恐ろしい裁きが待っていた。姦淫の罪に対する刑罰は石打ちによる死刑であって、女性は死刑となるまで追い込まれていた。イエス様はすべての人を去らせ、酷たらしい裁きからこの女性を救った。

 ③罪からの救い:この女性が経験した不幸、裁きを受けなければならなかった原因は姦淫の罪にあった。イエス様は、不幸と裁きの根本原因である罪から解き放ち(11節)、救われた。


二、すべての人が三重の救いを必要としている
  イエス様が女性を告発した人々に対して「罪のない者が最初に彼女に石を投げなさい」と言われたとき、石を投げられる者がひとりもいなかった。当時の指導者であり聖人と言われていた律法学者とパリサイ人達の真の動機は、イエス様の教えや業を妬む余り、この告発を通してイエス様を陥れ、亡き者にするため(6節)であった。彼らは罪を犯した女性よりもっと醜い悪辣な人々であった。人はすべて罪人であり、救いを必要としている者であると聖書は教えている。罪はどの時代の人々にも不幸をもたらしてきた。そして罪には裁きが伴う。神様は罪に対して徹底して裁かれるお方であって、歴史を通してその事実がいくつも示されている。やがてすべてが裁かれ、滅ぼし尽くされるときが来る。すべての人に、罪と罪の不幸、罪の裁きから救われる必要がある。


三、救いはイエス・キリストによってもたらされる
  キリストは人間の罪のためにいのちを投げ出して贖いを成し遂げ、罪の救いをもたらしてくださった。このお方以外には罪の赦しも、罪の不幸からの解放も、罪の裁きからの救いも得られない。
  イエス・キリストを単純に信じてこの救いを経験し、感謝と喜びを味わいながら、死の現実を前にしても永遠への希望をもって進む人生をぜひ歩まれるように。