7月12日:礼拝メッセージ

7月12日   礼拝メモ       (T・O)
  マルコ5章1~20節  (説教) 朝比奈悦也師
 「知らせなさい」
      

  ここにはレギオンとも呼ばれる悪霊に憑かれた異常な人生を送っていた人物が登場してくる。彼は墓場に住み、裸で生活し、夜となく昼となく大声で叫び、石で自分のからだを傷つけていた。彼自身自分でどうすることもできず、周囲の人々も何とかしようと色々考え鎖で繋いだりもしたがそれを引きちぎり、全く手の施しようがなかった。聖書は、罪の生活とは正にこのような状態だと教える。その人物をイエス様は驚くような仕方でお救いになった。そして彼は正気に戻り、服を着て静かに座っていたとある。周囲の人々は驚き恐れた。誰よりも彼自身が驚き、救われた喜びを味わっていたに違いない。18節19節にはイエス様とその人との会話が記されているが、そこから伝道とはどのようなものかを学ぶ。


一、だれが伝道をするのか。19節
  救われた人物はイエス様に着いていくことを願ったが、それをお許しにならず、あなたがこのことを人々に知らせなさいと語られた。彼は社会的には人々から認められるようなものは何も無かったが、大いなる救いの体験があった。イエス様は私たちにも救いを経験したあなたが知らせなさいと、言われる。


二、何をすればよいのか。19節
  イエス様は「主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい」と言われた。体験した事実 を知らせることが伝道である。どうにもならない、居ない方が良いと思われるような存在であった彼にイエス様は目をかけ、そこから救い出された。そのことを知らせなさいと。主はこの私たちひとりひとりのために十字架に架かり、罪の赦しを与え、永遠のいのちを与えてくださった。その救いの体験、私しか語れないその救いの証しをすればよいと。


三、だれに伝道するのか。20節
  彼は自分の住んでいるデカポリスの地方で言い広めた。自分の住んでいる場所で、すぐそばに居る人々にである。私しか知らせることができない人々が周囲に居ることを覚えたい。伴侶者、家族、友人、知人等々に、主は知らせなさいと語っておられる。


  特伝を前に伝道とは何かを捉えなおした上で、それぞれの奉仕に備えたい。伝道をするのは救われた私たちひとりひとり。何にも代えがたい尊い救いの経験をすぐそばの人々に恐れず知らせなさい、とのおことばに従ってなすべきことを果たさせていただきたい。