8月23日:礼拝メッセージ

  8月23日   礼拝メモ       (T・O)
  使徒10章1~48節   (説教) 朝比奈悦也師
 「真の礼拝者」
      

  今やキリスト教は全世界に宣べ伝えられ、4人に1人がクリスチャンと言われるが、最初イエス様が伝道を始めた時は一民族一地域のユダヤ人達だけであった。それが世界大の宗教へと発展していく先駆けとなった出来事が今日の箇所に記されている。ユダヤ人ではないローマ人の百人隊長コルネリオが使徒ペテロを自宅に招き、家族関係者と共に福音を聞き、信仰に導かれた。この時コルネリオがペテロに語った言葉33節から真の礼拝者とは三つの姿勢を取る者であることを学ぶ。


一、「みな神の御前に出」る姿勢
  礼拝を守るとき、神様の御前に出ているという意識をしっかりもって礼拝に臨む姿勢である。神様を意識して礼拝に臨むとは、神様を畏れ敬う心をもって臨むこと。もし礼拝を守るために支障が出た場合、神様を畏れ敬う心をもって何とか段取りを付けて神様の御前に出ようと努力をするものである。また大切なお方の御前に出るためには時間を守るし、 服装も整えて出席し、プログラムの一つ一つにも心を込めて臨むものである。主の御前に出る意識が薄れるとき、こうした姿勢が崩れる。注意したい。


二、「主があなたにお命じになったすべてのことを伺う」 姿勢
  主が立てられた器に語られた教えに耳を傾け、その教えを捉えることである。そのため、立てられた器は主の前に祈り求めながらみことばを聴き、研鑽し、聞く方々に届くよう備えなければならない。また聞く側は、主が語ろうとしておられるすべてのことを選り好みせず、神様から自分への語りかけとしてすべてを捉える姿勢を取らなければならない。


三、「…すべてのことを伺う」姿勢
  伺う、という言葉は、戦場において部下が上官の命令を聞く時に使う言葉である。異論、反論、議論をすることなく、そっくりそのまま受け取り、聞いたとおりに実行することである。真の礼拝とは、神様の語りかけを聞いたとおり素直に受け取り、日常生活の中で実践していくことである。


  一回一回の礼拝を守るとき、形式的な心の伴わない礼拝者とならないよう警戒しつつ、御前に出る意識をしっかりと持ち、主のすべての語りかけを真摯に捉え、聞いたとおりに謙ってみことばを実践していく真の礼拝者とならせていただこう。この姿勢をとり続けるならコルネリオのような敬虔な個人生活(222節)を送り、社会的にも個人的にも幸いな生活を送れる者となる。