9月20日 礼拝メモ (T・O)
詩篇23篇1~6節 (説教) 朝比奈悦也師
「ダビデの信仰告白」
人は現実生活の中で悩み、苦しみ、呻くような経験をする。イエス様もこの世にあって涙を流し、時には憤られ、悲しみ苦悶された。これが人生を生きる人の姿である。詩篇には様々なそのような姿が記されていて、そこから多くの慰めや励ましを得ることができる。この23篇には、ダビデが生涯を通して経験した信仰告白が記されている。神を愛し、神を見上げながら厳しい現実を生き抜いた信仰告白である。以下3点を学ぶ。
一、ダビデの信仰告白(1節)
ダビデは神と自分の関係を羊飼いと羊の関係に譬え、自分は、他の動物と比べると弱く乏しく迷いやすい羊のような存在であると認めている。彼は父や兄弟から、サウル王や敵のゴリアテからも小さな者、論外と見なされる存在であった。しかし彼は、乏しいことがない、と語った通りの人生を送った。私たちもどんなに乏しさを自覚することがあっても、乏 しさを乗り越え、乏しいことはないと言える人生が備えられている。
二、ダビデの信仰告白の根拠(2~5節)
その根拠は、羊飼いとなってくださる神様にある。
①肉体的物質的必要を満たしてくださるお方(2節)。
②精神的霊的に力を与え、迷いから救い出してくださるお方(3節)。
③死の陰を通過することがあっても永遠の滅びから救い出してくださるお方であって、
羊の敵には鞭を持って臨み、羊には杖を持って守り導かれるお方(4節)。
④戦いのためには必要な心備え、知恵、忍耐・勇気等を与え、果たすべき務めを
全うすることができるよう油を注ぎ、勝利へと導くお方(5節)。
ダビデの生涯はそのことを体験した。
三、信仰者ダビデの確信と決意
ダビデの人生のどの部分をとっても神様のいつくしみと恵みがあったことを回顧し、その先の生涯も必ずいつくしみと恵みが追ってくるに違いないと確信できた。何という幸い。そしてダビデは、いつまでも主の家に住まおうと決意している。なぜならこのいつくしみと恵みは主によってもたらされるから。主の家の主人は主。私たちも主の家に住まい従おう。
この先、何が起こるかわからない私たちの人生。しかし羊飼いであってくださる主に従っていくなら、必ず主のいつくしみと恵みとを経験し、心から納得できる生涯を歩むことができる。信仰を新たにし、羊飼いなる主を仰ぎ、この週もその先も主に伴われて、乏しいことはないと言える生涯を全うさせていただきたい。