10月11日:礼拝メッセージ

   10月11日   礼拝メモ       (T・O)
  使徒4章36節~5章11節 (説教) 朝比奈悦也師
 「信仰者への警告」


  使徒の働きには、聖霊によって弟子達は力強い伝道をなし、多くの人々が救われ、救われた人々によって教会が形成され、福音が世界に拡大されていったことが記されている。最初に誕生したエルサレル教会はすべての教会の模範である。その教会に大事件(アナニヤとサッピラ事件)が起こった。この中にも学ばなければならない大切な教えがある。この出来事から三点を学ぶ。


一、うるわしいエルサレム教会の姿
  大勢の人々が救われ、教会に集い、力強い伝道の働きをなしたエルサレル教会には、祈りによる一致、生活の一致(分かち合い、共有し、捧げる)、伝道に おける一致があった。それ故に大きな恵みがすべての者の上にあり、だれひとり乏しい人はいなかった。


二、忌まわしい悲劇
  うるわしい教会に忌まわしい悲劇が生じた。アナ ニヤとサッピラ夫妻が献金を捧げたのは素晴らしいことであったが、人々の称賛を得ようと偽って報告した。そのため教会の人々の目前でアナニヤが倒れて息絶え、遅れてやって来た妻も同様、死んだ。二度と起きて欲しくない事件が起き、教会全体に非常な恐れが生じた。原因は、アナニヤとサッピラの嘘、意図的企み、偽善である。3節には彼らはサタンに心が奪われたとある。彼らは人を欺いただけではなく神様をも欺いたのである。罪は悲劇をもたらし、死を招く。決して罪を甘く見てはならない。


三、信仰者への警告
  アナニヤとサッピラは人々から賛辞を期待して偽って捧げ物をした。捧げ物の動機は神様のため人々のためではなく自分のためであった。信仰者の心奥を聖霊が照らすとき、わがまま、自己中心の思いが渦巻いていることを指摘する。神様の御心と自分の願いが同じである時は問題はないが、自分にとって重要であればあるほど、神様の御心と違う思いをもっているとき、神様の御心を押しのけて自分の願いを選び取り、表向きは神様の御心を行っているかのようにしてしまうことがある。あのダビデが内に潜む罪に負けて人妻を奪い、その夫を亡き者にするという大罪を犯してしまった。しかし罪を示されたとき、心から悔いて神の赦しを請い、罪の解決を経験した。主の十字架は私たちの罪を赦し、心の奥に潜む罪の性質を全くきよめて解決してくださることができる。自己中心の生き方に傾きやすい罪の性質を放置せず、神様の前に出て扱っていただき、解決していただこう。