10月18日:礼拝メッセージ

10月18日   礼拝メモ       (T・O)
  ローマ10章1節 (説教) 朝比奈悦也師
 「信仰者パウロの祈り」


  ローマ人への手紙はパウロによって記された。彼は、信仰者として、使徒として、伝道者として、牧会者として、神学者として、各方面で偉大な働きをした器であった。信仰者は生涯学ばなければならない人物である。本日は10章1節のおことば、一信仰者としてのパウロの祈りに目を向けたい。彼の祈りは形式的義務的祈りではなく、根底には愛があった。今朝、その愛とはどのようなものかを学ぶ。


一、愛は祈る
  神を愛する人は神に祈る。人を愛する人は、その人の善を願い、神に祈る。私たちは祈っているだろうか。まわりの方々のために祈っているだろうか。


二、愛は救いを祈る
  愛は祈る。愛は救いを祈る。神様が最も願い求めておられることは、すべての人が救われることである。人にとって最高のことは永遠のいのちをもつこと、救われることである。イエス様は十字架上で私たち罪人の救いのために祈ってくださった。私たちはまわりの人の最も必要な救いのためにどれだけ祈っているだろうか。人のこの世の繁栄やこの世の幸せばかりを願って祈っていないだろうか。人にとって救いが最も重要なことであることを捉えて祈る者でありたい。


三、愛は尽くす
  愛は祈った救いのために尽くす。祈りは祈りだけでは終わらない。救いのために自分にできることを何とかして果たそうと努める。イエス様は罪人の救いのために切に祈られただけではなく、ご自分から十字架について死んでくださり、救いの道を開いてくださった。パウロは人々の救いのために祈り、生涯かけて伝道し、殉教していった。私たちも人の救いを祈り、人の救いのために尽くす者でありたい。

 

  今週末に東大阪特伝を前にしているお互いであるが、これはこの教会に属している私たち一人一人に神様が与えてくださった愛の実践の場所である。真実に人を愛して祈り、その人の救いを祈り、その人の救いのために尽くすお互いでありたい。東大阪特伝において愛の実践を果たさせていただこう。神様が何より私たちにそう することを願っていてくださることを覚えつつ。