12月6日:礼拝メッセージ

12月6日   礼拝メモ       (T・O)
 イザヤ9章6、7節   (説教) 朝比奈悦也師
 「信仰・主権在神」
      
  人が幸せであるためには争いではなく平和が求められる。聖書は平和を解き明かす書物であり、それは確かな揺るがされない平和である。その聖書の教える平和とキリストの誕生とは切り離せない。なぜならキリストによってその平和がもたらされるから。


一、主権在民
  主権在民とは、国を治める最高権威は一般民衆にあるとの意味である。素晴らしい制度ではあるが、それでは不十分。人間ほど素晴らしい知恵や英知を持った生き物はない。同時に自己中心で愚かな存在でもある。自分の利益を優先し、そのためには不義・不正・暴力を平気で行う。これが人間の姿であって、この人間が主権をとる時、人は人間のその行為を受け入れられず、摩擦や争いが至るところで生じる。 この争いは、小さな人間関係から始まって社会の至る所で、民族間、国家間で、権力闘争や戦争が繰り広げられ、人類歴史の中でそれが繰り返されてきた。主権在民のあるところには争いはなくならない。


二、主権在神
  聖書は、主権在民では不十分であって、もっと大切な最高の権威は神、イエス・キリストにあると教えている。イエス・キリストは「さばきと正義」によって治めると教えている。この「さばき」は「公正」を意味することばであって、キリストはご在世中、その通りの生涯を送られた。神の統治は公正と正義であり、そのあり方は決して変わることなく永久に続く。神の統治の中で平和は揺るぐことがない。


三、信仰
  キリストへの信仰とは、主権が神にあることを認めること。自分の意のままに生きる生き方から神の意に従って生きる生き方に変えること。民主主義から「神主主義」に、民意から神意を重んじる生き方に変えるとき、本当の平和がもたらされ、真の幸いを実感して生きることができる。イエス・キリストは、神様と私たちを断絶させている罪を解決し、平和を与えてくださる。罪赦され、神様との絆が結ばれて いるなら、いかなる状況に直面しようとも神様から来る平安は失われない。イエス・キリストを信じる信仰は、状況や環境に関係なく心に平和・真の幸い・平安をもたらす。


  人が主権を握っていがみ合いや争いのつきない生き方から、イエス・キリストに信頼して平安と確信を失わない人生へ踏み出されるように。