2月28日:礼拝メッセージ

 2月28日   礼拝メモ       (T・O)
  ルカ15章11~24節    (説教) 朝比奈悦也師
 「不可欠な神の愛」

 

 この聖書箇所は説教でよく取り上げられるが、この中には聖書全部の教えがあると言われるほど、中身のあるたとえ話である。ここには、神様とは、人間とは、心の平安や希望等について、あらゆることが記されている。本日はその中から全人類に対する神の愛ということに注目する。神様の愛は人間が幸せになるためにはどうしても必要なものである。そして、それは3つの合いを実現し、保ち続けるものであることを学ぶ。

 

一、神の愛は向き合うことを実現し、それを保つ。
 13節で、弟息子はお父さんに向き合うことをせず背を向けている姿が表されている。人とは、最初は愛し合い向き合っていても、事があると相手から目を反らし向き合わなくなるもの。しかし20節で神の愛に生きたこの父親は、背を向けて去って行ってしまった息子を変わることなく愛し、片時も忘れずに思い続け、遂には見るも哀れな姿になって帰ってき た息子に対して自分から走り寄って迎える程に愛に満ち、向き合っていた。これは人間の愛と大きく違うところ。私たちは日々の人間関係の中で、神の愛から来る向き合う愛の姿勢がなければ本当に幸いな生活は送れない。弟息子は父親の真実な愛が分かったとき、向き合うということをし始めた。

 

二、神の愛は認め合うことを実現し、それを保つ。
 12節で弟息子は「お父さん」と呼びかけているが、そこでは父親を無視した一方的な要求をし、その後やりたい放題をして暮らした。遂に行き詰まり、お父さんの愛の許に戻ったとき、21節で「お父さん」と呼びかけた。その時の呼びかけは、息子がお父さんの権威を認め、受け入れ、謙って従う意志を表わしている。続く22節24節でお父さんは帰ってきた息子を何があったとしてもかけがえのない我が息子として認め、喜び受け入れている。このように互いが認め合う中に生きるときにこそ幸せがある。

 

三、神の愛は分かち合うことを実現し,それを保つ。
 弟息子は父の家から出て行くとき、自分の分け前、自分の楽しみ、自分の将来、自分のことばかりで、分かち合いはない。しかし神の愛に生きたお父さんは自分の身代を分け与え、20節で息子の痛み悲しみを思いやり、分かち合っている。そして21~24節では息子の一切の必要を備え、喜びを分かち合った。

 

 私たちが愛の神様に帰るとき、向き合い、認め合い、分かち合うことができるように、神様の愛によって生かしてくださる。神様を信頼して歩み続けよう。