3月6日:礼拝メッセージ

   3月6日   礼拝メモ       (T・O)
  マルコ9章17~27節   (説教) 朝比奈悦也師
 「最高の人生への秘訣」

 

 最高の人生をすべての人に提供するのが聖書である。本日の聖書箇所には、最低最悪の人生から最高の人生を手に入れた人のことが記されている。その最高の人生を送るためには3つのことを果たさなければならないと教えられている。その条件の3ポイントを取り挙げて学ぶ。

 

一、自分の問題として受け取る。
 どうにもならない耐え難い病をもった息子を、父親がイエス・キリストのもとに連れて来て助けを求めた。この記事の中で、父親は大切なことに目覚めていっている。「私の息子を」(17節)→「私たちを」 (22節)→「私を」(24節)と、問題の所在が息子から 自分にあるということに気づき、自分の問題として取り組んだ。周囲が問題なのだというのではなく、自分自身が問題だとして取り組まなければならない。

 

二、疑いなく、本気で求める。
 父親はイエス様に問題の解決を「ただ、もし、おできになるのなら…」(22節)と願い出た。イエス様に対する彼の心は、(できるかどうか分からない…)という半信半疑の気持ちであった。その心を見抜いたイエス様は彼に、「できるものなら、というのか。」(23節)と語られた。疑いの気持ちをもっていては本気になれない。本気で解決を求めるなら半信半疑ではなく、本気で信じて熱心に求めなさいと教えられている。

 

三、求める先はイエス・キリスト。
 これまで父親は息子の病のために期待できそうなありとあらゆることに取り組み、財も時も費やしてきたが、すべて裏切られ、なすすべもないまま、その息子をイエス様の弟子達の所に連れてきた。が、彼らもまた何もできなかった。しかしイエス様は「その子をわたしのところに連れてきなさい」と引き受けてくださったのである。そして息子の唯ならない状況に接しても冷静沈着に対応し(20・21節)、父親が気づかなければならないことを指導して分からせてくださった。そして遂には、人々が見ている前でこの息子の病を癒された。イエス様こそ決して裏切ることのない頼るべきお方であることを、だれも否定できない事実として示されたのである。聖書は私たちに、本気でイエス様にお頼りして人生の厳しい現 実に取り組んでいくべきであると教えている。


 最高の人生を手に入れた父親のように「信じます。不信仰な私をお助けください」とイエス様の前に出て本当に幸いな人生に踏み出されるように。