4月17日(日):礼拝メッセージ

4月17日  礼拝メモ       (T・O)
  創世記22章1~14節  (説教) 朝比奈悦也師
 「アブラハムの信仰」
 人は思いがけない出来事に直面したとき、その人が何を土台として生きてきたかが問われる。本日は、アブラハムが直面した出来事を通して、アブラハムが人生の土台として生きてきた彼の信仰について学ぶ。


一、信じる信仰
 アブラハムはたったひとりの息子イサクを神様に献げよとの厳しい命令を受けた。親としてとても受け入れがたいことであり、しかもアブラハムは神様から、あなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やすと約束されていたにもかかわらず、一粒種の息子がいなくなればその約束が成就できなくなることであり、あり得ないことであった。しかし彼は躊躇す ることなく即従い、行動した。人間的に理に適わなくとも、アブラハムには神様に対する信仰があった。

 

二、見ずして信じる信仰
 復活されたイエス様が、主の復活を疑う使徒トマスに対して語られたおことばがある。「見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20:29)。アブラハムは神様の召命を受けて父の家を離れ、約束の地に向かうとき、行くべき所を知らずして出発した。彼はまさに見ずに信じる者であった。またイサクを献げよと言われたときも、全く先を見通せなかったが、ただ神を信頼して従った。そしてその途中でイサクから「火と薪はあるが、献げ物の羊はどこにあるのか」と問われたときも、愛する息子の父親として非常に辛い出来事の中にも、「神ご自身が備えてくださる」との神への強い信仰を持って知恵に満ちた答えをなした。

 

三、見ずして信じるぶれない信仰
 アブラハムは神様から星の数ほど多くの子孫の繁栄を約束されていたが、いつまでも子どもが与えられないため、妻サラから仕え女を通して子孫を得る提案を受け、人間的考えで子孫の実現を得ようとした。しかしその結果、サラとハガルの間に、ハガルの生んだイシュマエルと約束の子イサクとの間に様々な摩擦、家庭内のごたごたが生じた。これらの辛い経験を通してアブラハムは、神様からぶれない信仰 の大切さを学ばされた。この後イサクを献げよとのおことばを受けた時、見ずして信じ、すぐさま従い、イサクを献げる最終段階に至るまでぶれない信仰を貫いた。その結果、神様が最も必要な時に最も必要なものを備えてくださるという栄光を拝した。
 アブラハムの生きた信仰を学び、自らの信仰を省みたい。外れているなら謙って主を仰ぎ、示された信仰に立ち、信仰に生きよう。主は栄光を現してくださる。