7月10日(日):礼拝メッセージ

7月10日  礼拝メモ       (T・O)
 コリントⅠ6章19~20節  (説教) 朝比奈悦也師
「知らないのですか」   

 

 人は生きていく上で自分自身を正しく知り、わきまえることは大切なこと。今日の聖書箇所には、クリスチャンとはいかなる者で、どのように生きるべきかが記されている。信仰者としてそれをわきまえたい。

 

一、クリスチャンとは何者か
 クリスチャンになる前の私たちは、神様から離れ、自分中心の生き方をしてきた者であるが、20節にはクリスチャンとは、キリストの尊いいのちの犠牲と代価によって罪の迷いと滅びから救い出され、神様によって買い取られた存在、神のものとして生かされている存在である、と記されている。神様によって救われた私たちの主権は、創造者であり、救い主である神様にあることを覚えなければいけない。そうであるなら、主権者である神様のみこころに従って生きるのがクリスチャンであって、神様の主権を侵害してはならない。もし、神様に逆らい、誤った道を進むなら、その結果は滅びを刈り取ることになる。イスラエルの歴史はそれを物語っている。このように私たちは何者であるかを見失ってはならない。

 

二、クリスチャンとは何をする人か
 神様の救いに与ったクリスチャンの主権者は神様であって、神様に従い、神様の栄光をあらわすために生きるのがクリスチャンであることを教えられる。神様の栄光をあらわすとは、私たちの救い主であり、生きて働いておられる神様の素晴らしさを宣べ伝えることである。私たちを罪と滅びから救い出し、永遠のいのちを与えてくださるお方は、イエス・キリスト以外にはおられない。この最も価値あるニュースを伝えるのがクリスチャンである。

 

三、どのような方法でそれをするのか
 信仰者自身が経験した罪からの救い、永遠のいのちの約束を頂戴することができた経験、また日々の生活の中で具体的に経験している神様の恵み、信仰 生活の幸い、喜びの事実を証しすることによって福音を伝えるのである。この信仰の体験は、信仰を持ったクリスチャンでしかできない尊い証しである。
 特伝を前にしたこの一週間、クリスチャンとしての証しの務めを果たさせていただきたい。