7月31日 礼拝メモ (T・O)
ガラテヤ5章2425節他 (説教) 朝比奈悦也師
「御霊によって生きる」
ガラテヤ人への手紙は、パウロが第三次伝道旅行でエペソに滞在中、ガラテヤ諸教会に問題があり、彼らに正しい教えをするために記した手紙である。その問題とは、ユダヤ教の習慣を重んじる人々が、モーセの律法を遵守し、割礼を受けることによって救われると捉えていたところに大きな問題があった。クリスチャンとは、律法と割礼によって生きるのではなく、御霊によって生きる者であることを教えている(25節)。御霊とは神様であり、御霊によって生きるとは、神様によって生きること。御霊によって生きるとはどういう人生であるのかを3つのポイントから学ぶ。
一、神(御霊)がともにいてくださる生活
パウロはガリラヤのクリスチャン達に4章6節で、キリストを信じて神の子とされた者の心に聖霊を遣わ してくださり、いついかなる時も何処にでも神様が共にいてくださると語っている。共にいてくださるお方 は、私達が裏切ろうとも私達のために命まで捨てて愛してくださったお方である。私達のすべてをご存じの 上で私達のために最善をなしてくださるお方であり、そのお方が共にいてくださるのであるから、信仰者は 恐れることなく安心して生きることができる。
二、神(御霊)によって歩む生活
神様に導かれ、神様によって歩むとき、迷うことなく確かな人生に導かれる。神様は信仰者に、みことば を通し、祈りを通し、様々なことを通して歩むべき真理の道を教え、導いてくださる(ヨハネ14章6節)。そ して人間を不幸に陥れる罪から守られるよう導いてくださる(5章16節)。
三、神(御霊)に導かれて進む生活
5章25節、御霊に導かれて進むとは、生きる目標をしっかりと持って進むこと。私達の目標とは、神の国 である。神の国は、この地上の人生の苦労や努力に対して豊かに報いてくださるところである。この目標を しっかりと持って歩むとき、勝利と御国への凱旋が約束されている。それを手にすることができるのは、自 分の悟りや経験によって生きるのではなく、御霊に導かれて歩むときに実現可能となる。
私たち一人一人が、このような幸いな人生を歩むことができる立場に置かれていることを感謝しながら、神様から離れず、神様の語りかけに耳を傾け、神様によって歩み、神様に導かれて進むお互いであらせていただきたい。