8月14日(日):礼拝メッセージ

8月14日  礼拝メモ            (T・O)
ルカ15章11~32節      (説教) 朝比奈悦也師

「恵みの世界での原理」

 

 ここには愚かな放蕩生活を送っていた弟と忠実にまじめに仕事をしていた兄の二人が出てくるが、あるとき二人の立場が逆転してしまった。それにはこの二人が「恵み」に対してどう向き合ったかによった。恵みの視点からこの二人の姿を学ぶ。

 

一、恵みの視点から見た弟と兄の姿
 弟は父親から財産を譲り受け、幸せを求めて遠国に行き、毎日快楽にふけった。やがて全て財産を使い果たした時、飢饉に見舞われ、死を覚悟せざるを得ない窮地に陥り、自分の愚かさに目覚め、父に背を向けた生き方を反省し、父の元に帰り、自分の罪を詫びた。そのとき想像だにしていなかった溢れるばかりの恵みを父から受けた。この中で彼は本当の幸せを体験し、喜びに満たされた。兄はその間、父の元で忠実に仕え、弟が経験した不幸や絶望は味わわずに済んだ。しかしそんな弟が戻ってきて大歓迎を受けているのを聞き、怒り、父に不平不満をぶちまけた。31節で父から、彼はいつでも父と共に居り、父のすべての恵みが与えられているではないかと諭されている。兄は弟と比べものにならない大きな恵みの中にいながらそれが分からずに怒り、不平不満に満たされた。

 

二、恵みの世界の原理、その①(謙遜と傲慢、ペテロⅠ5:5)
 弟は与えられた恵みを心から喜ぶことができたが、兄は与えられている恵みに気づかず、腹を立て、不幸になっている。この違いはどこにあるのか。弟は自業自得の結果を受けて反省し、罪を自覚した。父からは子と呼ばれる資格のない者であり、雇い人の一人にしてもらうつもりで戻ったが、それすら言えなかった。罪を自覚し謙っていた。謙遜になって父のしてくれたことを見たとき、身に余る恵みであることが分かり、感謝と喜びに満たされた。一方の兄は、彼の誕生以来彼を守り育て、彼の必要を全て与え続けてくれた父であり、こ れからもそうであり続けるのに、この事実に目が向かず、まじめに働き続けてきた自分は弟よりもっと評価される資格があると、自分にばかり目を向け、周囲を評価できなかった。これは傲慢であり、傲慢になると恵みを見失う。しかし謙遜になるとき、困難な中にも恵みが満ちあふれていることが分かる(ロマ8:28))。

 

三、恵みの世界の原理、その②(失敗と成功)
 弟は失敗と失望のどん底で謙遜を学んだ。反省は失敗を通してできること。失敗はチャンス。反省をする人は謙遜を学んでいく。失敗や苦しみに遭うとき、逃げ出すことを考えやすいが、静かに顧み反省すること。神様はこれを待っておられる。そして謙遜になれたとき、大いなる神の恵みを知り、感謝できる。傲慢になる弱さを持っているのが人間。失敗した時も成功の中でも、謙遜は恵みの中に私達を保ち続ける宝。神様の前にも人々の前にも謙遜であらせていただきたい。

 

 謙遜であり続けるためには自分の頑張りではできない。私達のためにご自分を無にして死んでくださったイエス様を見上げ、謙遜を学ばせていただきながら今週も歩み続けよう。