8月21日(日):礼拝メッセージ

8月21日  礼拝メモ            (T・O)
使徒4章32~35節      (説教) 朝比奈悦也師
「愛のコイノニア」

 

 この箇所には初代教会の愛の交わりが記されている。「交わり」という言葉は、ギリシャ語でコイノニア、英語ではフェロシップと言う。主イエスが教えられた愛による交わりが表されている。本日は教会に示されたキリストによる真の愛の交わりとはどのようなものなのかを3つの点から学ぶ。

 

一、愛のコイノニア:愛ゆえの理解があった
 愛とは非常に深い意味をもった言葉であるが、愛は、愛する者に目を向け、理解し、受け入れようとする、3つの行動をとらせる。愛とは正反対の無関心はこれらの行為をせず、不幸にしてしまう。人間にはそれぞれ個性があり、好みや考え方にも違いがあるもので、しばしばその違いが互いの障害となって、相手に目を向けようとせず、敵対視すらしてしまう。このため政治・経済・文化・宗教・人種等の違いによって、世界中の人々をどれほど不幸に陥れてきたことだろうか。互いの違いを理解した上で、相手に目を向け、認め理解し、 受け入れ合うことが如何に大切であるか。愛を抜きにしては 経済力や科学の進歩で人の幸いは得られない。しかし教会では共有ということの中に、互いに自己主張することなく、認め合い分かち合い、愛の交わりがなされていた(32節)。 

 

二、愛のコイノニア:愛ゆえの協力があった
 互いに理解し合い、受け入れ合うとき、そこには絆ができる。その絆の根底に愛があるとき、互いのために力になろうとする。それが協力であり、愛である。互いの個性は認め合いながら、心と思いを一つにし、一致協力する姿を生み出す。愛は互いの足りないところ、出来ていないところを認めた上でカバーしようとする。この姿勢こそが本当の一致を生み出す。愛が人間関係の中で無くてはならないものである。教会は、各々自発的に喜んでカバーし合い、麗しい一致協力の中でそれぞれの必要が満たされていった(34・35節)。

 

三、愛のコイノニア:愛ゆえの平和があった
 理解し合い、一致協力し合うところには平和がある。人はこの平和の中に安らぎと憩いを味わうことができる。そして「大きな恵みがそのすべての者の上にあった。彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。」(33・34節)とある。強かろうが弱かろうが、富んでいようが貧しかろうが、教会の中ですべての人が幸いを経験している。これが愛ゆえの平和であり、イエス・キリストにある愛のコイノニアである。私達は日々の営みの中で疲れを覚えるが、平和の中でそれが癒やされる。週の初めの日、愛のコイノニアのある教会に来て癒やされ、新しい週のために新たな力をいただいて立ち上がる、それが教会である。

 

 伝法教会がこのような教会であるように。そして午後から持たれる親睦会においてもそのような営みであらせていただきたい。そのために、一人一人がイエス様を信じ、この愛に生きる者としていただこう。そしてこの信仰の道をまっすぐに進みゆくお互いであらせていただきたい。