8月28日(日):礼拝メッセージ

 8月28日  礼拝メモ            (T・O)
 コリⅠ12:31~14:1    (説教) 松尾信子神学生
「神の賜物」

 

 パウロがコリント教会に宛てて書いた手紙であるが、12章からは賜物について教えている。神様は私たちに御霊によってみなの益となるために様々な種類の賜物を与えてくださるが、中でもよりすぐれた賜物である愛を追い求めるように勧められている。13章4~8節に愛とは如何なるものかが記されているが、実際それを実践することは非常に難しいことを自覚させられる。しかしクリスチャンには、愛は聖霊によって与えられると教えられている。この愛について3つのことを学ぶ。

 

一、愛は神の賜物の中で最もすぐれた賜物
 コリント教会には素晴らしい賜物をもった信仰者が多かったようだが、パウロはその中に問題点があることを指摘した。表面上は立派な奉仕をなしていても愛が欠けていた。神を愛するがゆえの奉仕であるのか、人の益となるための奉仕がなされているのか、愛のない奉仕は何の値打ちもないと。しかし聖書は、信仰者には神様から最高の愛の賜物であるイエス様ご自身を与えていただいていると教える。ご自分を無にし、十字架について死なれ、よみがえられ、私たちを完全に救ってくださった。愛そのものであられるイエス様が信じる私た ち一人一人の内に住んでくださっている。愛なるイエス様をいただいているお互いは、この愛を実践させていただきたい。

 

二、愛はいつまでも残る賜物
 預言や異言、知識などの賜物は不完全なもので、やがてすたれる(13章8~10節)とある。クリスチャンはこの地上生涯を終えて天に帰るときを迎える。そのときイエス様と顔と顔を合わせて対面することになり、それまでのおぼろげであった理解が明確なものとされる。この世にいる間、必要とされた預言や異言や知識はもう全く必要ではなくなるのである。しかし、信仰と希望と愛は天国にあってなお永遠に続くもの。そしてその中で一番すぐれているのが愛だと教える。

 

三、愛は追い求める賜物
 熱心に求めなさい(12:31)、追い求めなさい(14:1)と勧められている。私たちは様々なものに関心を寄せるが、愛の乏しい自分にどれだけ関心を払い、向き合おうとしているか。神様を大切に思い、神様との交わりをどれだけ大切にしているか。聖書は私たちにいつまでも残るものを、その中で一番すぐれている愛を何よりも追い求めるように教えている。信仰と希望は天国に行ったときに実現し、完成するが、愛は天国にあってもなお追い求め続け、成長し続けることのできるもの。それゆえ愛を追い求め、成長できるよう、真実に祈り求めなければならない。またイエス様もこの私たちのために執り成し祈っていてくださる。祈り求めて行く者を神の愛から引き離すものは何もない(ロマ8:35~39)とある。ご自分を犠牲にし、ご自分の利益を求めず、私たちに尊い救いをもたらしてくださった主の愛の足跡に倣わせていただきたい。

 

 信じる私たちが頂戴している最高の愛の賜物であるイエス様の御助けと恵みにより、愛の道を選択して進ませていただこう。