9月11日(日):礼拝メッセージ

9月11日  礼拝メモ          (T・O)
 サムエルⅠ 17章    (説教) 朝比奈悦也師
「信仰による勝利」

 

 聖書は信仰による人生の勝利者となることができると教える。イスラエルの旧約の歴史を見ると、民が不信仰になると国は敗北し、信仰に立ち返ると勝利を収めたとある。また新約の時代に入って今日まで、キリスト教はあらゆるところで迫害を受けてきたが、滅びることなく力強く福音が宣べ伝えられ続け、人々を生かし続けてきた。今日の聖書箇所より、ダビデとゴリアテの戦いを通して、戦いに勝利するために3つの必要なことが信仰によってもたらされることを学ぶ。

 

一、戦力
 ゴリアテは、戦士としての十二分な体格・体力・経験・武器を兼ね備えていた。一方のダビデは年齢も経験も未熟ではあったが、体格・体力・精神力には恵まれ、申し分のない人物であった。しかし彼の 武器を見るなら、杖と石投げ器と石5つであって、常識的にもゴリアテとは比べものにならない粗末なものであった。ダビデはなぜそれを武器として用いたか。それは信仰の故に常日頃忠実に果たす仕事の中で身につけた武器を戦力として選び取った(17:34~37)。私たちも信仰生活を真実に忠実に歩んでいくとき、いざという時に大きな戦力となり、力を発揮する。祈り続けよう。みことばに触れ続けよう。

 

二、戦略
 戦力はあっても戦略がなければ意味がない。ゴリアテの戦略は頑丈な鎧で身を固め、強力な武器で敵を倒すというものであった。ダビデは普段使い慣れた道具、日々の営みの中で身についた戦い方を選び、相手の武器が飛んでくる前に相手の急所を一撃し、一瞬にして倒すというものであった。これは信仰を土台にした敬虔な普段の生活からくる知恵であった。神様は無尽蔵の知恵を私たちに与えてくださる。

 

三、戦意
 戦力、戦略はあっても、戦う意欲がなければ勝てない。ゴリアテには強大な戦意があったが、イスラエルの兵士達は戦意喪失、恐れて逃げた。しかしダビデはゴリアテを前にしても恐れず、勇気に満ちて向かっていった(32、37、45~47)。その戦意は信仰に基づくもので、現実生活の中で経験的に得た不動の確信、強大な戦意が彼にはあった。

 

 ダビデは絶体絶命の戦いの中で、信仰によって戦いに勝利した。信仰は私たちに、信仰による戦力、信仰による知恵に満ちた戦略、信仰による不動の戦意を与える。私たちも、様々な戦いのあるこの生涯を信仰によって、勝利する歩みをさせていただく者でありたい。