9月18日(日):礼拝メッセージ

9月18日  礼拝メモ          (T・O)
ヨハネ11章      (説教) 朝比奈悦也師
「石を取りのけなさい」

 

 イエス様は人々に祝福・幸福を与える生涯を送られたが、今日のラザロの蘇りの記事から、イエス様の与える祝福について3つのポイントで学ぶ。

 

一、祝福
 マルタとマリヤの姉妹は弟ラザロが病に倒れたときにイエス様に助けを求めたが、イエス様が来られたのは死後四日が経過していた。姉妹達はイエス様に死ぬ前に来てくださっていたなら癒やしの祝福を頂戴できたろうに、今となってはもう無理だと語った。しかしイエス様は絶望の中にあっても祝福を与えるお方であり、癒やしより遙かに優る祝福があることを彼らに教えるために敢えて到着を遅らせなさった。そして彼らには思いもよらないラザロの蘇りという祝福を提供された。イエス様は私たちが必要とする健康、能力、仕事、家族等々、数えられない祝福を与えてくださったが、何より人間が経験し得る最も大いなる祝福である罪からの救いを実現してくださったお方である。

 

二、祝福の妨げ(38節)
 イエス様がラザロの墓に近づいたとき、そこには石が立てかけられてあった。石、それは祝福を妨げるものであり、神様と罪人との間を妨げる罪である。マルタとマリヤは神様を信じていたが、なお祝福を妨げる不信仰といわれる石(21・32節)があった。神様の御心に反して自分の考えや欲を優先し、神様の祝福を妨げ、祝福を失った人々が聖書の中に数多く出てくる。神様の御心よりも与えられている才能、仕事、家庭などを優先し、神様からいただける祝福を妨げる危険性があることを覚え、心して歩みたい。

 

三、祝福の条件(39・41節)
 イエス様は「石を取りのけなさい」と言われたとき、マルタは「もう臭くなっておりましょう」と答えている。しかし彼女は自分の考えを選択せず、「彼らは石を取りのけた」とある。イエス様の言われることを選択したのである。アブラハムも最愛の息子イサクを献げよとの神様のおことばを選択し、イエス様も十字架を前に苦しみの中から御心のとおりになさってくださいと祈られ、神の御心を選択された。私たちは自分の思いと神様の御心が違うとき、どちらを選択するだろうか。マルタとマリヤはイエス様のお考えを選び、驚くべき祝福を頂戴した。
 

 神様は私たちに「石を取りのけなさい」わたしを選び取りなさい、祝福を与えるのはわたしだからと、招いてくださる。このおことばに従い、祝福の道を進もう。