11月6日(日):礼拝メッセージ

11月6日 礼拝メモ          (T・O)
 ルカ19章1~10節   (説教) 朝比奈悦也師
「ザアカイの救いの体験」
 キリスト教は救いを語る宗教であり、その救いは驚くべきすばらしい救いである。ザアカイという人物が身をもってそれを体験した。この救いの素晴らしさについて3つの点から学ぶ。

 

一、人生の刷新
 これまで人々は、世界を社会を人を変えようと取り組み、それができると期待してきたが、結局は何も変わらない現実を知らされ、失望落胆せざるを得なかった。しかし聖書は、私たちの人生を変えることができると教える。人々を不幸にし、人々から嫌われ、救いようがないと見られていたザアカイ。そんな彼は人目を跳ね返すような反骨精神でひたすら仕事に打ち込み、没頭した。しかし強がれば強がるほど心は空しさや孤独感で占められ、自分の人生をどうすることもできないことを思い知らされていた。そのようなザアカイが全く変えられ、周囲の人々に幸せを提供する人物に変わった。キリスト教の救いは、人生を全く変える体験をさせるものである。

 

二、心の刷新
 ザアカイはイエス様に出会って心が変えられた。それまでのザアカイは、嘘やごまかし、裏切り、盗みの人生を送っていた。それらの罪の解決がなされ、全く新しい人生に変えられた。心にある罪からの救いを得、心の健康が回復した。自分の利益しか考えられなかったザアカイが、不幸になった人々への償いを決意した。それは、キリストが彼に近づき、彼に話しかけ、彼の家に泊まり、親しく交わることにより、ザアカイはキリストの愛に触れることができ、心が解かされ、彼の心が変えられた。彼の心に愛が与えられ、心の豊かな者に変えられたのである。

 

三、信仰による心の刷新と人生の刷新
 機転が利き、行動力のあるザアカイは高い木に登って人々を見下ろしていた。そのごとく彼は自己過信、傲慢さ、頑なさを持った人物であった。イエス様はそこから降りてきなさいと語られた。謙遜になり、柔らかい心をもって見る時、解決しなければならない心の問題が見えてくる。ザアカイの家に泊まると語られたイエス様を「主よ」と呼んで応答し、自分の人生の主としてお迎えした。聖書はこれを信仰と言う。ザアカイは木から下りて、イエス様を主と呼んだ時から全く変えられた。

 

 心が変わらなければ人生は変わらない。心を変えてくださるイエス様の招きの声に速やかに応答し、厳しい現実社会をイエス様と共に祝福の道を進み出そう。