11月13日(日):礼拝メッセージ

 11月13日 礼拝メモ          (T・O)
ヨハネ3章16節    (説教) 朝比奈悦也師
「永遠のいのちを持つ」

 

 ヨハネ3章16節は、聖書全巻の教えが集約されたおことばであると言われている。今日のこの箇所から、聖書が教える3つのことを学ぶ。

 

一、神
 聖書の冒頭、創世記1章1節が「はじめに神が…」で始まっているが、聖書は、神が存在するという前提のもとに記されている。世の中には人間の都合に合わせて作り上げられた偶像、偽物の神々で溢れているが、聖書の神は全世界を創造された生ける真の神である。そしてその神は「世を愛された」とあるように愛の神である。父なる神は御子を世に遣わし、十字架につけて罪人のための犠牲として献げてくださった。御子を十字架につけるということは、神の義をも現している。神は愛であり、義なる方である。人が生きる上で義と愛は必要不可欠。もしなければ人間は混乱し不幸に陥ってしまう。真の神は、私たちに必要な義と愛を与えてくださるお方である。

 

二、イエス・キリスト
 神の御子イエス・キリストの地上生涯(ことば、態度、行動、生活のすべて)を通して生ける神が居られることを実証された。その生涯は義で貫かれ、愛で貫かれたものであった。それを最も現したのが十字架である。罪を徹底して裁かれる神は、御子を十字架にかけて殺すことにより、罪の裁きを全うされた。罪を全く犯さなかったキリストが十字架にかかられたのは、罪人の私たちの身代わりであり、どこまでも徹底して私たちを愛してくださったがためである。御子の生き様を通して父なる神の愛が実証された。

 

三、人間
 罪人でしかない人間が、滅びることなく永遠のいのちを持つことができる、生ける真の神を通して人間は救いに与ることができると、みことばは教えている。罪は人間の内で更に増殖し、狂わせ、滅ぼしてしまう。人間は罪に対してどうすることもできず、永遠の滅びに向かわせる。しかしキリストの十字架の死によって人間の罪の購いがなし遂げられ、救いをもたらし、永遠のいのちに与かれるようにされた。私たちが神のこの救いに与り、神に従って生きるとき、喜び、平安、希望、確信を持って生きるようにしていただける。この救いに与る条件は、御子イエス・キリストを信じる、ということだけ。

 

 私たちにこのキリストを信じる信仰が与えられていることを感謝したい。この信仰を持って今週も、この年も、そしてこの先もずっと歩ませていただこう!