12月11日(日):礼拝メッセージ

12月11日 礼拝メモ          (T・O)
ルカ2章8~20節   (説教) 朝比奈悦也師

「この方こそ主キリスト」
 聖書は救い主イエス・キリストを光なるお方として指し示している。11/27の礼拝では、ヨセフが絶望の淵から救い主誕生のお告げを信じ、希望と確信に導かれた出来事を学んだ。今日は羊飼いを通して、ヘロデと対比しつつ、キリストのもたらす光について学ぶ。

 

一、羊飼い
 当時、羊飼いは下層階級と見なされる立場にあり、目立たない存在であった。その彼らに御使いが現れ、救い主の誕生の知らせを告げた。彼らはその時ひどく恐れたが、御使いの言葉を聞いて信じ、救い主を捜し当てた。しかし、その救い主の誕生の知らせの内容は、千年の長きに亘っていくつもの強国に支配され続けた苦しみから救い出してくれる救い主のイメージとはかけ離れたみすぼらしい「飼馬おけに寝ておられるみどりご」というものであった。けれども羊飼いたちはそのお告げをそのまま信じ、救い主を捜し求めて遂に探し当てた。彼らは御使いから告げられたとおりであることを体験し、心から神をあがめ、賛美しながら帰って行った。ここに光なるお方のもとに来て光を経験した羊飼いの姿を見る。

 

二、ヘロデ
 マタイ2章で、東方の博士達がユダヤ人の王として生まれた救い主の誕生を祝うために訪ねて来たとき、ヘロデはそれを聞いて恐れ惑った。そして博士達を騙し、その王として誕生した救い主を抹殺しようと企んだ。聖霊に導かれた博士達は救い主にお目にかかった後、ヘロデの所に戻らなかった。ヘロデは博士達を騙しておきながら、自分は博士達に騙されたと怒り、2才以下の男児を虐殺し、悲劇を招いた。救い主を認めない罪人の姿がここにある。

 

三、人生の分かれ道
 羊飼いとヘロデ王を対比するとき、下層階級と言われる羊飼い達が大きな喜びを経験し、王の座にいたヘロデが悲劇を刈り取った。置かれている環境とは逆の結果を招いた。その分かれ道は何か。人生に真の光をもたらすのは環境や立場ではない。それは信仰。信仰のあるところには光がもたらされ、信仰のないところには罪が入り込み、遂には滅びを招く。

 

 この朝、聖書の語るメッセージに心を開いて受け止めたい。心を開き、素直にキリストを信頼して進みたい。そうすれば光なるキリストにお会いでき、大きな喜びと感謝に満ちた人生を送ることができる。このクリスマスが光なるキリストにお会いし、恵み溢れたときとなるように。