12月25日 礼拝メモ (T・O)
ヨハネ1章9~12節他 (説教) 朝比奈悦也師
「人を照らすまことの光」
このクリスマスシーズンでは、光なるキリストについて学んでいる。今朝も私たちにとってキリストはどのようなお方であるのかを3つの点から学ぶ。
一、光
キリストが光であるとは、キリストが私たちを導くお方であるということを意味する。自然界の大きな力の前にはどんなに人間の知恵や能力を結集しても太刀打ちできず、その被害の故に苦しんでいる多くの人がいる。また社会を見渡すとき、政治世界にも教育の世界にもどうしようもない混迷した悲しい現実がある。そして人間ひとりひとりの心の中には罪という暗い闇が厳然と存在している。光であるイエス・キリストは、これらの闇の中で迷い、傷つき、疲れ果てている人々に、立ち上がることができるように導き、勇気と力を与えることのできるお方である。
二、まことの光
キリストは、まことの光であり、真の幸いに導くお方である。人は屡々、誤った光に魅せられ、とんでもない悲劇を招いてしまっている多くの人の姿を見る。しかし、キリストは私たちを真の幸いに導くまことの光である。キリストの導く幸いは、永遠のいのちにまで至らせるものである。
三、すべての人を照らすまことの光
キリストの光は、一部の限られた人だけを照らすというものではない。どのような人にも、すべての人にもたらされる光である。キリストの光は、あなたを照らし、私を照らし、導かれる。
私たちは、この光なるお方に対してどのような態度をとるであろうか。この一年の締め括りにあたり、キリストの導きを受け入れ、キリストにあって新しい年を迎え、真に幸いな生涯を送るお互いとならせていただきたい。