2月5日(日):礼拝メッセージ

2月5日  礼拝メモ          (T・O)
 テサⅠ5章16~18節   (説教) 朝比奈悦也師
「信仰生活の幸い」

 

 聖書は人類史上最も多くの人々に読まれ続けてきた書物である。聖書は、イエス・キリストを信じるとき、人は本当の幸いな人生を歩めると語る。事実、多くの人々はイエス様を信じて幸いな人生を見いだしてきた。その幸いな人生とは如何なるものであるのかを、今日の聖書箇所を通して三つの特色ある生活であることを学ぶ。

 

一、いつも喜ぶ生活
 私たちは喜怒哀楽の人生を送っており、時には悲しみや寂しさ、耐えがたいほどの苦しみや辛さの中を通過することがある。しかし聖書は、そうした中にあっても消え失せない喜びがあると語る。私たちのためにご自分のいのちを捨ててまで愛してくださり、その愛は決して変質することがなく、いつ如何なる時にも私たちと共にいて愛し、包み、支えてくださるイエス様を体験するとき、人生の荒波の中にあっても言いしれない喜びをあじわう。そして厳しい中にあるからこそ味わえ得る喜びである。イエス様を信じる生涯は、いつ、どのような中にあっても喜んで生活できる。

 

二、絶えず祈る生活
 人は自分の幸せを願い、また人生の問題解決のために助けや救いを求めて祈ることをする。しかし祈るとき、どのような対象に向かって祈っているだろうか。祈りを確かに受け止めて、応えてくださるお方に向かって祈らなければ空しい。真実で能力あるイエス様は私たちの祈りに耳を傾け、応えてくださるお方。私たちを裏切るようなお方ではない。最善をもって応えてくださるお方である。イエス様に私たちはいつでも、どんなときにも、どのようなことでも、絶えず祈ることができる。

 

三、すべてのことについて感謝する生活
 イエス様がいつも共にいて、どんな祈りにも耳を傾け、応えてくださり、教え導いていただける幸い。何と感謝なことか。物事が希望通りにうまく運ぶから感謝なのではない。厳しい現実の中にあっても、否かえってそうあればあるほど、イエス様が共にいて助け励ましていてくださる幸いを味わい、深い喜びと感謝の心を持つことができる生活が送れる。


 神様は、私たちがこのような幸いな生活を送ることを願っておられる。これからの人生が、ぜひこのようにいつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝する生活、心から納得できる幸いな歩みとなるように。