3月12日(日):礼拝メッセージ

3月12日  礼拝メモ          (T・O)
  ヨハネ15章16~19節   (説教) 朝比奈悦也師
「信仰者の自己認識」

 

 この箇所のたとえ話は、神様とクリスチャンの関係、また神様と結びついたクリスチャンはこの世の中にあってどのような存在であるのかが教えられている。自分自身の存在がどういうものであるのかを弁え知ることはその人の人生を決めるとても大切なこと。クリスチャンがクリスチャンであることを弁え知ることは、その生涯を正しく歩むための方法である。そこでクリスチャンとはどのような存在であるのかを3つの点から学ぶ。

 

一、価値ある尊い存在
 16節にあるように、クリスチャンはイエス様に選ばれ、任命された尊い価値ある存在であると教えられている。聖書に「選ぶ」「救う」「買い取る」と出てくる言葉は同じことを表現されていて、クリスチャンは選ばれ、救われ、買い取られた存在であると教えている。神様は私たちを買い取ってくださるためにイエス様ご自身のいのちを代価として払ってくださった。ご自分のいのちを差し出してくださるほど尊く価値ある存在として値積ってくださっている。

 

二、価値ある尊い目的をもった存在
 人は何のために生まれて来たのかが分からないなら人生の徘徊者となってしまう。クリスチャンとは価値ある尊い目的をもった存在であって、16節後半で、イエス様の救いを宣べ伝えるという目的をもった存在であると教えている。イエス様の弟子達はその目的に従って全世界に伝道し、至る所で結実を残していった。人間がこの世にあって経験し得る最も価値あるものはキリストの救いである。キリストの救いは罪を赦し、神の子として祝福の生涯をもたらす。人生のあらゆる経験を通して神の恵みと愛を分からせ、心から感謝ができる生涯を送らせる。更に地上生涯を終えた後には永遠のいのちが備えられている。これ以上の価値ある尊いものはない。この福音の証しのためにクリスチャンは立てられている。

 

三、愛によって価値ある尊い使命を果たす存在
 12節で、愛をもってこの伝道の働きをするようにと教えられている。神様を愛し、回りの人々を愛して真実に自然体で生きる時、神様は救いの素晴らしさを証しさせ、使命を果たさせてくださる。

 

 神様は私たちをこのような価値ある尊い存在として生かしていてくださる。これらの価値ある存在であるという認識をもって、信仰生涯を正しく歩ませていただきたい。