6月11日(日):礼拝メッセージ

6月11日  礼拝メモ          (T・O)
ヨハネ3章16節      (説教) 朝比奈悦也師
「永遠のいのちを持つ」

 

 今朝は召天者記念礼拝。この世に生を受けたすべての人は死という厳粛な現実問題を避けて通ることはできない。死の先に何があるのか。人は死後どうなるのか。この問題をどのように認識するかによって、その人の人生を決定すると言っても過言ではない。今日はこの大事なことが教えられている聖書のことばに学ぶ。

 

一、死後
① 分からない、と考える人々。
 多くの人は、未知の事なので死後どうなるか分からないと考え、死後に対する不安や恐れを抱く。事実、死を宣告された場合、言葉では言い表せない不安、心配、恐れにさいなまれる。すべて死に向かって生きている人々にとって、死後に対して不可解のままでは不安と恐れに最後まで囲まれて生きることになり、これで本当に幸せな人生が得られるのであろうか。

 

② 一切が終わり、無、と考える人々。
 死の先が無、一切の終わりと考える人々がいる。しかしもしそうならば死は、諦め、絶望の対象である。人生の先にある死に向かって生きる人間には、生きる意味も希望も見いだせないものとなる。

 

③ 死は終わりではなく永遠がある、と語る聖書。
 聖書は、死は終わりではない、永遠のいのちがあると明確に語る。

 

二、永遠のいのち
 死後には、満たされた永遠の世界があると聖書には記されており、それは神様からの豊かな報い、憩い、平安を得る世界である。人がもし永遠のいのちを持つことができたなら、死はその人にとって不安や心配、恐れではなく、平安であり、喜びとなる。また絶望や諦めではなく、希望と感謝の対象となる。

 

三、永遠のいのちをもつ
 聖書は、人が永遠のいのちを持つことが非常に大切なことであると教える。しかしそれは政治や経済や科学で得られるものではない。ヨハネ3章16節で、イエス・キリストを信じる者が永遠のいのちを持つ、と教えている。キリストは十字架で死んで葬られ、三日目に死を打ち破って復活され、永遠に生きておられる。ご自分の身をもってそれを証明された。そしてキリストを信じるなら、人生の様々な問題に打ち勝たせ、人生最後の関門である死に対しても勝利を与えて乗り越えさせ、永遠の世界に導き入れてくださることができる。

 

 信仰を持って地上生涯を全うされた方々に倣い、キリストを信じて勝利の人生を歩ませていただこう。