7月9日(日):礼拝メッセージ

7月9日  礼拝メモ          (T・O)
  創世記50章15~26節    (説教) 朝比奈悦也師
「必ず顧みて下さる神」

 

 創世記には4人の族長、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフのことが記録されている。それは今から約4千年前のこと。最後の族長ヨセフの生涯は非常に厳しい波瀾万丈の生涯であった。この聖書の箇所は、彼が晩年に自分の人生を振り返って兄弟達に語った言葉である。それは、神様は必ず顧みて下さるお方であり、人生をどのように生きなければならないかが語られている。それからのイスラエル民族にとって、また今の私たちにとって、どうしても聞かなければならない大切なことである。ここから3つのことを学ぶ。

 

一、ヨセフの生涯
 彼はヤコブの11番目の息子として誕生し、110年の生涯を全うした。父からは非常に愛されたが、兄弟達からは嫌がられてエジプトに奴隷として売られてしまった。その後ポティファルのもとで真実に仕え、全財産を委ねられるまでになったが、その妻に陥れられて囚人の身となってしまった。しかし牢屋の中でも真実に誠実に生きた彼は、信頼され、慕われ、全囚人を監督するまでになった。囚人の夢解きをしたことから、不可解な夢を見たパロ王の夢をも解くことになった。神の恵みによって夢を解き、やがて訪れる大飢饉にどう対処すべきかをも示し、エジプトの総理大臣に大抜擢された。ヨセフは大国エジプトを危機から救い、またカナンの地で飢饉に苦しむ親兄弟家族、後にイスラエル民族となる彼らをも救った。あり得ないと思える悲劇の中に突き落とされても尚その中から這い上がることができた。

 

二、顧みられる神
 神様は、ヨセフがどんな厳しい中に陥ろうとも、いつも必ず顧みてその中から引き上げられた。彼は人生を振り返り、いつも必ず顧みて下さる神様を思い、告白している。パウロも伝道生涯の中で数え切れない迫害に遭い、病とも闘ってきたが、いつも神の顧みがあり、十分な恵みが備えられていたと語っている。信仰者は決して失望させられることがない。

 

三、それゆえ信仰生活が大事
 ヨセフは置かれたところで神様から目を離さず、粛々と自分のなすべきことを果たし続けた時に道が開かれていった。これが信仰者の生き方。投げ出さない。不平不満、愚痴を言わない。神様に目を向け、神様の顧みのもと、地に足をつけて粛々と歩む人生。

 

 私たちも、必ず顧みて下さる神様を信頼し、信仰を持って揺るがない確かな人生を歩ませていただきたい。