7月23日(日):礼拝メッセージ

7月23日  礼拝メモ          (T・O)
 ヨナ書1~4章      (説教) 朝比奈悦也師

 

「ヨナのニネベ伝道」

 

 ヨナ書を通し、西淀川特伝を前に備えを頂戴したい。ヨナは神様からニネベに伝道をするようにと語られたが、伝道に相応しくない行動をとり、神様から厳しい叱責と戒めを受けた。その姿から聖書の教える伝道の姿勢について学ぶ。

 

一、伝道の姿勢
 ニネベはアッシリア帝国(紀元前912~612年)の首都。北イスラエルの預言者ヨナが活躍した(前790~770)頃のイスラエルは比較的平和で繁栄した時代と言われている。新興国のアッシリアはどんどんと領土を拡大し、 力を蓄えている時代であった。当時のイスラエルにとってアッシリアは最悪最強の敵国であった。その首都に行って伝道をするようにとヨナは命じられた。しかしヨナはその命令から逃れ、伝道に対して消極的で不健全な姿勢をとったことが記されている。私たちも現在の人々の伝道に対する偏見や無関心な態度に対して逃げ腰になっていないだろうか。聖書は、恐るるなかれ、おののくなかれ、と語る。明るく積極果敢に与えられた奉仕に当たらせていただきたい。

 

二、伝道の動機
 ヨナは神様の怒りを受け、魚に飲み込まれたが、その中から救い出され、再度の神様からのおことばに従ってニネベに伝道に行き、神のことばを語った。その結果、ニネベの王以下、国中が神様の前に謙り、神の憐れみを請うた。ニネベの人々が悔い改めずに神様からのさばきを受けることを臨んでいたヨナは、この結果を喜べず、不快感を抱き、怒りをあらわにした。形は神のことばを語ったヨナであったが、人々の救いを喜べない不健全な動機で伝道がなされた。神様はこのような動機の人を用いることはできない。私たちは、伝道する相手が私たちに何を言い、何をしようとも、彼らの救いを願う心を抱いて伝道することを神様は願っておられる。


三、伝道の位置づけ
 悔い改めて神に向かおうとしていたニネベの人々に対してヨナは怒り、死ぬことさえ願うほど、彼はふてくされて町の外からその成り行きを見ようとした。自分のことしか考えられないヨナであったが、神様は彼のために一本のとうごまを備え、一匹の虫を備え、焼け付くような東風を備えて、右も左も弁えない魂に対して神は如何に愛しておられるかを教えられた。自分の思いや都合にあわせて伝道するのではない。時が良くても悪くてもしっかり伝道すること、これが聖書の教える伝道の位置づけである。

 

 以上三つのことを心して、来る特伝に臨みたい。