8月27日(日):礼拝メッセージ

8月27日  礼拝メモ          (T・O)
 ローマ1章1~17節   (説教) 朝比奈信裕師
「ぜひ福音を伝えたい」

 

 高見チャペル設立20周年記念礼拝において、和歌山教会の朝比奈信裕先生より、ローマ1章15節の「私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです」を中心にメッセージをいただいた。

 

一、パウロの福音宣教に対する熱心さ
 パウロは「ぜひ福音を伝えたい」と語っている。ぜひ…したい、とはパウロの熱心な思いの表れである。パウロはキリストに出会う前も熱心な人物であったが、それはとんでもない方向に熱心であった。ガラテヤ書やピリピ書には、彼が熱心にキリストの教会を迫害していたと記されている。ところがイエス様に出会ってからは「ぜひキリストの福音を伝えたい」との180度見事な方向転換を果たした。

 

二、キリストとの出会いは根底からその人を変える
 1549年にフランシスコ・ザビエルによってはじめて日本に福音が伝えられた。そして多くのキリシタン大名と言われる人々が誕生した。その筆頭が高山右近。彼は12歳で洗礼を受け、以来熱心に伝道し、沢山の人々が信仰に導かれた。やがて日本の政策が変わり、キリシタン禁止令が出されたが、信仰を守り抜いた結果、大名としての全ての財産を没収された上、国外追放となり、マニラで敬虔な信仰生涯を閉じた。この彼の信仰の背景には父親である高山飛騨守の影響があると言われる。彼はキリシタン撲滅の先鋒隊長であったが、その働きをしながら、なぜ撲滅しなければならないのか、キリスト教の話を聞いてみたいと思い、出会った盲目の琵琶法師了斉から福音を聞いた。これこそ真の神であると信じ、以来、キリストを宣べ伝えるようになった。キリストに出会ったとき、サウロも飛騨守も、彼らの生涯が根底から変えられ、迫害者からキリストの証人の先頭に立つ者となった。

 

三、キリストとの出会いは美事な神の作品に造り変える
 パウロにしても飛騨守にしてもキリストに出会い、「生きるにも死ぬにも私の身によってキリストが崇められることを」との願いを持つ者と変わった。キリスト抜きの熱心さ真面目さは、大きな方向違いに人を導くが、キリストとの出会いは美事な神の作品に造り変える。それは単なる考え方の変化ではない。イエス様の十字架の購いによって、罪人が素晴らしい神の最高傑作の作品に、神の栄光を表す器に造り変えられる。このような器と造り変えられた人の願いは、ぜひ福音を伝えたい、ぜひ神様の栄光のため神様のためにだけ存在したい、との願いを持つようになる。そしてパウロはその通りの人生を全うした。

 

 私たち一人一人は如何に神の前に尊い存在であるのかを覚え、神の栄光のために存在し続ける個人、また教会であるように。設立20周年をお祝いして。