9月21日(日):礼拝メッセージ

9月24日  礼拝メモ          (T・O)
  コリントⅡ5章17節   (説教) 朝比奈悦也師
「キリストによる新創造」

 

 今朝、受洗の恵みに与られた兄弟を主にあって新しくお迎えできたことを感謝する。ここでもう一度、キリストを信じてクリスチャンとなった人とは、聖書では新しく造られた者だと教えているが、何がどのように新しくなったのかということを3つの点から学ぶ。

 

一、古い人(=自己中心の人)
 古い人とは、キリストを信じる以前の人のことで、自己中心で自分が第一、他の人は第二第三にする。そ のために人を騙したり裏切ったりする。聖書はそれを罪と言う。自己中心の生活をしている人は皆、罪の中 に生きている。その結果、不幸を刈り取っている。その実例として、罪のために仕事や地位、財を失い、ま た大事な友や家族まで失い、いのちさえ失う人が少なくない。

 

二、新しい人(=神中心の人)
 新しい人という言葉はギリシャ語でカイノスと言う。ネオスという言葉もあるが、それは表面的な新しさを 意味する。カイノスは質的内的な新しさを意味し、その人自身の心が変えられて新しくされることであり、ものの考え方や価値観、生き方が変わり、人生が変わること。神様を心に迎え入れて神中心に生き始めるときに心が変えられていき、神の愛に倣って罪から離れ、神様を大切に思い、愛に生き始める。また周囲の人を尊重し、喜んで助け、励まし、力づける行動をとらせるようになっていく。そうした生活は心に潤いをもたらし、明るく生きる者とされていく。聖書はそれを永遠に至る道であると教える。

 

三、イエス・キリストによって新しく造られた者
 人が内側から根本的に全く新しくされるのは、イエス・キリストによると聖書は語る。創世記1章に記さ れている無から有を生じさせる天地創造の神によって古い人が全く新しい人に造り変えられるのである。人 は自分でどんなに努力し、知恵と力を発揮しても、愛に生きる人間に変わることはできない。創造者なるお 方以外にはできない。罪人の私たちを愛するがために自ら十字架にかかり、死んで葬られ、罪の償いを成し 遂げてくださったキリストによって、新しく造られた者として生きることができるようにしていただいた。

 

 このように造り変えてくださるお方にすべてを委ね、信頼して従った私たちクリスチャンは、古い人から新しい人に変えられたのである。自己中心の心から神中心の心に、罪ではなく愛に生きる者に、不幸を刈り取る人生から真の幸いを味わう人生に変えられた。キリストを信じ、神の愛の中を歩み続けるお互いでありたい。