4月8日(日):礼拝メッセージ

4月8日  礼拝メモ           (T・O)

 ヨハネ20章24~28節    (説教) 朝比奈悦也師

「見ないで信じる信仰」

 

 先週は、私たちのために十字架にかかり、死んでくださったイエスさまがよみがえられたことを記念してイースター礼拝を守った。弟子たちはイエスさまのよみがえりの知らせを聞いても信じることができなかった。その彼らに何度も復活のイエスさまが現れ、ともに過ごしてくださり打ち消すことのできない事実を見て信じることができた。このよみがえりのイエスさまを信じたときに彼らの心が一変し、力強く生きることができるようになった。信じる幸いを学んだが、今朝は更に、見ずして信じることの幸いを学ぶ。

 

1、見ないで信じる信仰

 弟子たちは、見て、触って、理解して信じた。しかし聖書はまず信じなさいと語る。信じるなら救われるのであって、救われてから信じるというのは逆。聖書には、神のことばを信じて従い、その結果、驚くような御業、祝福を経験した人々の姿が記されている。私たちの信仰は見なければ信じないものか、見ずして信じる信仰であろうか。見ないで信じる信仰こそが聖書の教える信仰である。

 

2、見ないで信じる信仰の根拠

 イエスさまは人々の弱さをよく理解しておられたので、ご自分の生涯を通して、イエスさまを信じるに価するお方であることを示された。聖いご人格を通し、力ある数々の御業を通し、十字架にかかりご自分のいのちを犠牲にして私たちを愛してくださったことを通して、私たちが本当に信頼することのできるお方であることを知ることができる。イエスさまの御生涯には 私たちが信ずべき明確な根拠がある。

 

3、見ないで信じるべき理由

 「見ないで信じる者は幸いです」とイエスさまは語られた。見なくても最善をなしてくださるイエスさまに信頼していくなら必ず幸いを得ることができ、地上生涯を送る上で最高の生き方ができるから。私たちが最善をなしてくださるお方に信頼し、このお方の前にベストを尽くして生きる時、最も幸いな生涯を送ることができる。見ないで信じる信仰は、神様からの最高、最善の応答を得る最高の生き方である。

 

 私たちも、見ないで信じるに価するお方、イエスさまに信頼して、神様からの最も善き応答を得る信仰の道を歩み、その幸いを味わいつつ進ませていただきたい。