4月15日 礼拝メモ (T・O)
Ⅰサムエル3章10節 (説教) 朝比奈悦也師
「聖書的僕像」
幼いサムエルが主から名前を呼ばれたときにお応えたしたときの言葉「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」(9節)の中にある、「しもべ」ということについて学ぶ。
1、しもべの意味
普通しもべとは奴隷を意味するが、ユダヤではもっと広い意味で使われていた。祭司が神殿で神儀を行う際、その手伝いをする人々のことをしもべと呼んだ。また神や王に従う人のことをもしもべと呼んだ。また子どもを意味する言葉にもしもべを表すヘブル語がある。社会には上下関係があり、上位の者にとって下位の者はしもべと認識されていた。王に対する家来、雇い人に対する使用人、親に対する子どもを、ユダヤ社会ではそれぞれに対してしもべと呼んでいた。聖書では、主を信頼し、主の前に良しと認められる歩みをしている人たちのことをしもべと呼ぶ。アブラハム、モーセ、ダビデ、サムエルもイザヤも主のしもべであり、イエス様の弟子たちもパウロもそうであった。どの立場の人にも共通していることは、仕えるという行為である。イエス様はそのご生涯のすべてを通して父なる神様に仕え、十字架の死に至るまで貫かれた。そして父なる神様に仕えるのみならず、すぐそばにいる弟子たちにも洗足という行為を通して、上下に関係なく周囲の人 人に仕えることの大切さを示された。これが聖書の教える僕像であり、すべての人が見習うべき姿勢である。
2、しもべの条件
しもべは主人の前に謙遜でなければならない。またイエス様はタラントの譬え話を通して、良い忠実なしもべ(善意と忠実さをもったしもべ)であるように教えられた。謙遜、善意、忠実さは、愛から来る。しもべとして生きようとするならば愛がなければならない。そしてマルコ12:30,31では、神様を愛し、隣人を愛するようにと教えられた。神様と人に仕えるために私たちが求めるべきことは愛である(Iコリント14:1)。
3、しもべの実践方法
イエス様の示された神の愛を実践できるようになるためには、神の愛を知り、そこに生きること。神の愛に生きるためには、神に信頼し、信仰を第一とした歩みをなすこと。サムエルが「主よ。お話しください」と神の前に出たように、私たちも神のことばに聴き、みことばに従う、聖書に立脚したものでなければならない。
聖日毎に礼拝を守り、みことばを学び、信仰の養いを受けている。このあり方を守り、みことばに立脚し、真実に主を愛し、周囲の人々を愛して仕える者でありたい。