4月29日(日):礼拝メッセージ

4月29日  礼拝メモ           (T・O)

 ルカ18章9~14節     (説教) 朝比奈悦也師

「二つの祈り」

 

 イエス様は19章で弟子たちに祈りについて、いつでも失望しないで祈るようにということ、神様に受け入れられる祈りはどのようなものか、という2つのことを譬えを用いて教えられた。今朝はこのうちの後半の教えから神様に受け入れられる健全な信仰の祈りについて学ぶ。

 

1、祈るパリサイ人と取税人とは

 パリサイ人の多くは律法を学び、律法学者であった。彼らは律法をよく理解し熟知していて、人々に律法を解き明かし、先生と呼ばれて尊敬されていた。一方の取税人は、ローマ帝国に支配されていたユダヤ人からローマに納める税金を同国民から取り立てる仕事をする人々で、彼らは水増しして金を徴収して私腹を肥やしていたので、ユダヤ人達からは敵国の手先、売国奴、罪人と軽蔑され、嫌われていた。パリサイ人は善人の象徴であり、取税人は罪人の象徴であった。

 

2、パリサイ人と取税人の祈り

 ①パリサイ人の祈り(11,12節):自分は不正や不道徳は行わず、忠実に律法を守っていると胸を張って祈った。神様の前に出ながら、自分をひけらかし、自分が最大の関心事となっている傲慢な祈り。

 ②取税人の祈り(13節):自己の罪を自覚し、惨めで哀れな者であることを神に告白し、憐れみを請い求めた祈り。

 ③イエス様の評価(14節):神様に受け入れられる謙った健全な祈りをしたのは、パリサイ人ではなく、取税人であると語られた。あるとき宮で大金持ちが大金を献げたとき、その横でわずかレプタ2枚を献げた貧しい寡婦に対し、だれよりも多く献げたと評されたように。

 

3、健全な祈りとは

 9節で「自分は正しいと確信していて、他の人々を見下している人たち」とあるが、パリサイ人達は人前では立派に振る舞っていたが心の中は傲慢な思いで満ちていたのをイエス様はすべて見通しておられた。放蕩息子の話で、兄が父に向かって、これまで一度も父に背かずやってきたが弟は放蕩三昧をしたと弟を攻撃し、父親の心を汲み取ろうともせず苛立ちをぶつけたが、弟は自らの罪を悔い、息子の資格はないことを承知の上で雇い人にと願い出た。この取税人も聖い神様の前には顔を上げられない罪の塊であることを自覚し胸を叩きながら神様の憐れみと恵みを請い求めた。恵みは受けるに相応しくない者に与えられる神の祝福であって、神様は謙る者を喜んで受け入れ、恵みを与えてくださるお方である。恵みを求める者とされたい。

 

 家庭の中でも社会の中にあっても、このしもべをあわれんでください、と謙った心で主の前に生活していくとき、神様は恵みを与え、祝福の中を歩ませてくださる。