5月6日(日):礼拝メッセージ

5月6日  礼拝メモ           (T・O)

 

 ローマ5章1節      (説教) 朝比奈悦也師

「信仰による神との平和」

 

 人は、世界平和や国の平和を求めるものである。それはとても大切なことであるが、聖書は私たちひとりひとりが平和でなければならないと語る。その平和ということについて学ぶ。

 

1、平和の喪失

 人類歴史の中で、争いや戦争のなかった時代はない。常に人々の間に、部族間や民族間に、国と国との間に争いや戦いがあり続けた。今、このときも世界のあちこちで戦争やテロが起きている。私たちの国の中にも社会や家庭の中にも争いや暴力、対立が起きていて、平和が失われている。それはまた、私たち個人のうちにも当てはまる。自分に関わる事が順調に運んでいるうちは人とうまくやっていけても、願わないことに直面したとき、争いやいがみ合いが生じ、平和が失われてしまう。そして不平、不満、愚痴で心が支配され、心は渇き、疲れる。

 

2、平和喪失の原因

 聖書は、平和喪失の原因は罪、自己中心にあると教えている。自分中心に生き、他者を第2、第3にした考えで生きていくとき、必ず人との間に摩擦が生じる。

 

3、罪の解決

 罪の解決は、科学や人間の知恵や努力ではできない。罪を解決してくださるお方、神の御子イエス・キリストがおられると聖書は教えている。このイエス様によって罪を解決していただき、神様に従って、神様が教えてくださる正しい生活、隣人を自分自身のように愛する愛の生活ができるようにされていくとき、心に平安を得、喜びを経験し、感謝のできる者とされていく。社会的地位や財はなくとも、また人生の諸問題に直面することがあっても、確かなお頼りできる神様がおられるなら、私たちから平和は失われることがない。

 

 自分自身の心の中に、愛の欠乏した自己中心の心はないだろうか。自己中心という罪の問題を解決してくださるイエス・キリストがおられることをとらえ、イエス様をお頼りして罪を解決していただいた人生、心に平安を経験する人生をぜひ歩み出されるように。