5月27日(日):礼拝メッセージ

5月27日  礼拝メモ           (T・O)

 ローマ12章1~2節    (説教) 朝比奈悦也師

「霊的礼拝の奥義」

 

 先週の礼拝では、2,000年に及ぶ教会史の中で一貫して表されてきたキリスト教信仰は、いのちがけの信仰、生涯守り続ける信仰、継承すべき尊い信仰であることを学んだ。この信仰はどんな迫害に遭っても礼拝を通して守り続けられてきた。信仰の中心にはいつも礼拝があった。今朝は、この礼拝について、どの時代にあっても変わることのない礼拝の奥義について学ぶ。

 

1、礼拝、それは献げるもの

 礼拝会では、神を礼拝し、賛美をささげ、祈りをささげ、献金をささげる営みをしている。しかし単にそうすることが礼拝なのではなく、パウロは12章1節で「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい」と語っている。私のいのちも、将来も、家族も、仕事も、財も…これらすべては、神様の主権のもと私たちに託されたものであって、勝手に自分でどうこうできるものではない。主権者であり最も確かなお方に委ね、従うことは当然なことであり、それが最善の生き方である。一切を献げ、委ねることこそが礼拝であり、私たちの神様への信仰告白である。献げる礼拝を心して守らせていただこう。

 

2、礼拝、それは変えていただくこと

 礼拝は、私たち自身を変えていただく場である。神様は、持てるすべてを委ね献げて従う者を造り変えてくださる。神を知らず、無関心で、神を無視して生きてきた私たちを招き、救いに与らせてくださった。そして神の前に出て礼拝をささげていくとき、神の前に相応しい聖なる者とされるために教え、示してくださる。それに一歩一歩従って行くとき、私たちの心を、品性を素晴らしく造り変え続けてくださる。内側が変えられるとき、態度や行動、人生が変わる。

 

3、礼拝、それは世からの分離

 2節「この世と調子を合わせてはいけません」とある。神を信頼し、造り変えられた者はこの世とは違う。それは良い違いであって、その違いが未信者には信仰の良き証しとなり、伝道の機会となる。パウロとシラスがピリピの町で伝道をしたとき、信仰のために牢に繋がれたが、彼らの嬉々とした礼拝の姿を見聞きした囚人達と看守には良き証しとなり、看守とその家族が救われ、喜んだと記されている。世から分け離たれるための礼拝は、救い主を証しする者であるためになくてはならない。神を知らない人々に、この国に、世界中に福音を届けるための信仰の証しは非常に尊い。

 

 私たちは礼拝において、すべてをお献げし、神の教えに従って造り変えられ、この世と分け離たれた良き証し人とされていく信仰の正道を進ませていただこう。