10月7日(日):礼拝メッセージ

10月7日  礼拝メモ           (T・O)

 詩篇34篇         (説教) 朝比奈悦也師

「信仰による神体験」

 

 8節に「味わい、見つめよ」ということばがある。聖書の神は、人間が造った神でも、空想上の神でも、哲学的な思想の対象となる神でもない。聖書が示す神とは、味わい、見つめるべきお方、現実生活の中で体験すべきお方である。聖書は、体験を通して神の事実と、神とはどのようなお方であるかを捉えよと教えている。34篇の作者ダビデがそれを体験した。彼はイスラエル歴史の中でも非常に大きな成功を収め、喜びと栄光を経験した。その一方で、成功に至るまでにどんなに苦しみ、悲しみ、痛み、孤独を味わったことだろうか。しかしそれらあらゆる人生経験の中で神様を味わい、見つめ、神とはどのようなお方であるかを知り、確信したダビデの経験から、私たちにとって神とはどのようなお方であるかを学ぶ。

 

1、神とは私たちにとってどのようなお方か

 8節「主はいつくしみ深い方である」と。ダビデは自身の人生経験を通して、神はいつくしみ深い愛なるお方であると語っている。具体的には、神は私たちの身近に共にいてくださるお方(18節)。私たちに関心を持って見ていてくださり、耳を傾けて聞いて理解してくださるお方(15節)。私たちの求めに答え(4節)、いつも良いものを何一つ欠けることなく与えてくださるお方(9,10節)。試練や困難の中にあって守ってくださるお方(7節)。苦しみから救い出してくださるお方(4章17,19節)。このように神様はいつも私たちと繋がり、愛の絆を築いてくださるお方である。私たちの人生を通してもこのような神様を体験させていただきたい。

 

2、ダビデの体験は何によったのか

 ダビデがこれらの体験ができたのは、信仰以外の何ものでもない。その信仰とは、神を恐れ敬う心(7,9節)。謙遜な姿で神の前に出ること(18節)。そして神を賛美し、崇め、礼拝すること(1,3,5節)。神を恐れ敬い、神の前に謙り、神を崇め礼拝し、みことばに聞き、神にゆだね従う。これが信仰である。ダビデはこの信仰に生きることによって、神は確かにおられ、働いておられることを体験した。

 

3、ダビデの信仰に私たちも生きる

 私たちもこの信仰に生きる時、間違いなくダビデが捉えた神様を体験することができる。歴代Ⅰ29:28には、ダビデが幸せな晩年を過ごし、齢も冨も誉れも満ち足りて死んだ、とあるように、私たちもまた神様を信頼して生きる時、幸いな生涯を全うすることができる。

 

 神を信じ、神をとらえて、天に凱旋するまで恵みの中を真っ直ぐに進ませていただこう。