12月16日 礼拝メモ (T・O)
マタイ2章1~16節 (説教) 朝比奈悦也師
「喜びと怒り」
聖書には、イエス・キリストの誕生は喜びのおとずれである、と記されている。しかしその一方で、喜びではなく怒りを抱く人もいる。この聖書箇所には東の方の博士達とヘロデ王が登場するが、対比しながら学ぶ。
1、東方の博士達とヘロデ王
①東の方の博士達:東の方とは、ペルシャ地方を指す。博士とは、ゾロアスター教の神官であり、また知者学者であった。これら博士達は、その地にあって政治的、宗教的、教育的立場の指導者であった。ペルシャとは、イスラエルを滅ぼしてバビロン捕囚の辛い目にあわせた人々であり、イスラエル人にすれば憎しみ、恨みの対象であった。また彼らは偶像を拝む民であるため、イスラエル人から軽蔑され見下されていた。②ヘロデ王:イスラエルはローマ帝国の属国ではあったが、ヘロデはイスラエルを治める王として認められ、政治手腕にも優れ、町を繁栄させていた。また建築学にも秀で、ヘロデの神殿と呼ばれる神殿を建設した。イスラエル人から尊敬される働きをしていた。
2、喜びと怒り
①東の博士達は救い主の誕生を知らせる星を見て、礼拝するためにはるばるやってきた。実際礼拝できたのは誕生から1年以上経過していた。聖書にも嬰児(みどりご)ではなく、幼子(おさなご)と記されている。救い主に導く星をその上に見たとき彼らは、この上もなく喜び、救い主にお会いでき、大きな喜びをもってひれ伏して礼拝した。②ヘロデは博士達から、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を礼拝するために…と聞いたとき、動揺した。イスラエルの王であるヘロデの地位を脅かす者が現れたと恐れ、動揺したのである。それで、ヘロデは博士達に、その幼子に会ったなら詳しく調べ、帰りに報告して貰いたい、自分も行って拝むから、と偽った。しかし博士達は夢で警告を受けて、そのまま国に帰った。それで、ヘロデは欺かれたと激しく怒った。ヘロデこそ、自分も行って拝むからと欺いていたにもかかわらず。彼は怒りの結果、自分の地位を脅かすかも知れない幼子の命を絶つため、2歳以下の男児をみな殺害した。
3、喜びと怒りの分岐点
それは救い主に対する信仰。①博士達は救い主を求め、ひれ伏して礼拝し、贈り物を献げた。②ヘロデは救い主を拒否し、否定し、排除した。信仰はその人の生まれや立場、環境ではない。救い主を真実に求め、信頼するなら心からの喜びと平安が与えられる。信仰がないなら世の中的にどんなに恵まれていても不安や心配に支配され、罪の生活を送る。
救い主を心から信頼し、すべてを委ね、永遠のいのちに至る道を進ませていただこう