2月10日(日):礼拝メッセージ

2月10日  礼拝メモ            (T・O)  

 ヘブル6章1節     (説教) 朝比奈悦也師

「信仰者の成熟Ⅰ(罪の赦しと罪のきよめ)」

 

 人間は、肉体的、精神的、知的、技術的に成長する存在であるように、信仰者について聖書は、信仰的に成長・成熟する、と教えている。本日と次聖日の2回にわたり、信仰者の成熟ということについて学ぶ。

 

1、信仰者の誕生

 私達がイエス・キリストを信じ、信仰者として誕生したとき、罪の赦しを経験した。罪とは、人を悪の深みに陥れ、滅びへと導くもの。私達は犯した罪のために裁かれねばならなかったが、イエス様が私たちの罪のために身代わりとなって十字架にかかり死んでくださったがために、私たちの罪が赦され、滅びから救われ、神様の祝福の中を生きる者とされた。

 

2、信仰者の葛藤

 神を信じて救われた恵みを喜びつつ神の前に歩みを進めていくうちに、自らの心の内に醜い汚れた心があることを自覚するようになっていく。神様を大切に思う一方、自分を優先させてしまう。よくないと分かっていても素直になれず、言い訳をし、相手を攻撃してしまう。神の前に真実であろうと願っても、意に沿わないことをしてしまう自分を発見し、葛藤を覚える。パウロはローマ7章でそのような心の状態を赤裸々に言い表し、惨めだ、と告白している。神様は、信仰者の心の暗闇の部分に光を当て罪を自覚させられる。またイザヤも神様の聖さに触れたとき、自らの心の醜さに気づかされ、自分はもうだめだ、と打ちのめされるほどの葛藤を覚えた。

 

3、信仰者の成熟

 信仰者の心の内にある汚れ、内的罪に対して、その罪がきよめられ、信仰の成熟の道があることを聖書は教えている。詩篇51篇でダビデは内的罪の葛藤を覚えたとき「神よ。私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください」と、信仰者として成熟することを切に祈り求めた。IIコリント5:7にあるように、心がきよくされ、新しく造り変えていただくことができる。内的罪によって心が曇り、神様をはっきり見ることができなかった者が、心の罪がきよめられたことにより神様を正しく見ることができ、信仰の成熟を経験することができるようになる。

 

 私たちもこの成熟の道を歩むために、神様の前に真実に出て、自分の心の内にある罪をありのまま言い表し、きよめの恵みに与らせていただこう。真実に信仰の成熟の道を歩む者であるように。