2月17日(日):礼拝メッセージ

2月17日  礼拝メモ            (T・O)

 ヘブル6章1節     (説教) 朝比奈悦也師

「信仰者の成熟II(主の愛に生きる)」

 

 先週の「信仰者の成熟I」では、罪には赦されなければならない罪ときよめられなければならない罪があることを学んだ。私達がイエス・キリストを信じたことによって行為としての一切の罪が赦されていること、しかし信仰生活を送る中で気づかされる心の内に潜む醜い心、自己中心の罪はきよめられなければならない罪であるということを学んだ。今日は、その罪の心がきよめられ、健全な姿に造り変えられていくことについて学ぶ。

 

1、健全な心とは、神中心の心

 未信者時代の指導原理は自分であった。クリスチャンになってからは、神様と自分という2つの指導原理の中に生きるようになった。神様のお心と自分の思いの間を行きつ戻りつしながら生きていると、とんでもない失敗を犯してしまうことになる。アダムとエバは食べてはいけないと言われていた木の実を、欲しくなって食べてしまった。その結果、死ぬ者となった。ダビデ王はしてはいけない姦淫の罪を犯し、更にそれを隠蔽するためその女性の夫であり忠実な兵士でもあった部下を殺害してしまった。私達は自己中心に陥りやすく、神のお心を痛めやすい者であることを自覚し、神中心の心を持つことができるよう求め続けなければいけない。

 

2、神中心の心は、愛の心

 自分や自分に関わる身内は愛せても、他人はなかなか愛せない弱さがある。しかし、このような私のために十字架にかかり死んでくださったイエス様の愛を分け与えられ、愛の心を持つ者と変えていただける。それは自分に固執しない愛であり、与える喜びをもって与え、見返りを求めない愛である。また罪や悪に対して毅然とした態度で臨む義なる愛でもある。このように神の愛には優しさと厳しさがあり、この両方があって人は健全に育つ。

 

3、愛の心を持つ者とされるよう祈り求める

 私たちの心の内にある罪の性質を軽視せず、きよめられることを求め、神の愛に生きる者としてくださいと祈り続けよう。神様は真実に祈る者の祈りに応え、私達を必ずそのようにしてくださる。

 

 イエス様が罪人である私達のために十字架にかかり、死んでくださったことにより、私たちの犯した罪を赦し、心に潜む罪の性質をきよめてくださるお方であることを心から信じ感謝しよう。この主のご愛にお応えさせていただけるよう信仰の成熟を目指し、祈りつつ信仰の道を歩ませていただきたい。