3月17日 礼拝メモ (T・O)
イザヤ43章1~7節 (説教) 朝比奈悦也師
「あなたは高価で尊い」
イザヤは預言者として紀元前742~692の間ユダ王国で活動をした。その当時、北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、残ったユダも強国の前には風前の灯火であった。が、滅びから免れることができた。それを可能にしたのはイザヤの信仰にあった。それは、彼が神様の前に自分はいかなる者であるのか、その自分を神様はどのように扱ってくださるお方であるのかを認識することができたとき、その神様を信じて従い、彼のなすべきことを粛々と果たすことができたからであった。今朝はイザヤが認識した大切な3つのことを学ぶ。
1、愛(4節)
「わたしはあなたを愛している」という神様からのお言葉は、自分は神様から無条件で愛されている存在であるという認識を持つことができる。イエス様は価値のない罪人のこの私のために十字架について死んでくださり、罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださった。イザヤを愛された神様は、今この私をも愛してくださっているお方である。
2、高価で尊い(4節)
愛は、愛する対象を尊いもの、高価なものとして扱う。イエス様は私たちひとりびとりを他の何物にも代えがたい最も大切な存在であるとして、ご自身のいのちを犠牲にすることをいとわず、十字架で愛を示してくださった。神は愛なるお方であるので、5節では「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」と語られている。それは、何があろうとも決して捨てない、という言葉として捉えることができる。それ故(2節)、私たちがいかなる所を通過しようとも、神様はいつも共にいて助け、守り、支えてくださるお方である。
3、栄光(7節)
世の求める栄光は時とともに薄れ消えゆく。しかし神様の栄光はそうではない。神様は私たちの人生においてすべてのことを働かせて益となるように働かれ、祝福と恵みを豊かにもたらしてくださる。そこに神様の栄光が現われる。この神様の栄光は私たちの生涯すべてにおいて現れ、永遠に御国に至るまで決して失われることのない神の栄光として現してくださる。
神様に対するこの認識を持つことができるなら、常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する生涯を送ることができる。イザヤはじめ多くの信仰者がそのような人生を歩んできた。私たちもこの神様を信じて進もう。