4月7日 礼拝メモ (N・M)
Ⅰテモテ1章15節(説教) 朝比奈悦也師
「罪人を救うために」
キリスト教は救いの宗教である。人間は救いなしには生きていくことができない。人生のあらゆる場面で人は救いを必要としている。聖書が語る救いは、イエス・キリストによる罪からの救いである。それは、すべての人に必要な救いである。イエス・キリストにしかできない救いを三点から学ぶ。
1、罪の解明
人は、色々な醜い罪を持って生きている。悪意、憎しみ、妬み、不道徳、暴力など。すべての人の現実問題である。たかが罪と思っていた事が、その結果を刈り取る事がある。されど罪であり、こんなはずではなかったと思う現実が待ち受けている。人間は、罪の奴隷であるとも聖書は教えている。科学や教育で、この問題は解決できない。人は、イエス・キリストによる罪からの救いが必要である。
2、罪の解決
罪の解決を提供する唯一の御方は、イエス・キリストである。そして、この罪の償いの究極は、死であるが、この罪の問題を、イエス・キリストは、ご自分の命を犠牲にして、解決をなさったのである。ご自身が罪の身代わりとなってくださったのである。これ以上の償いはない、という償いをしてくださったのである。また、この償いは、すべての罪に有効であるものであった。人間の犯したいかなる罪も解決され、赦されるのである。
3、罪からの解放
イエス・キリストは、罪の解明と解決を与えてくださり、ご自身が、罪を犯さない生涯を送られた。それだけでなく、罪からの解放も教え、与えてくださる。私たちは、イエス・キリストのところに行く時、変えられて、罪を犯さない生涯を送ることができる(罪からの解放)。クリスチャンはそれを証しして生きている。
◇この救いを得る為に、どうすればよいのか。クリスチャンは、それを体験した人たちであるが、それは、イエス・キリストを単純に信じる事である。理屈ではない。実行であり、事実である。地位、学歴、職歴、財産ではなく、この御方を信じることである。誰でも、いつでも、どこでも信じる事ができる。今日、まだイエスさまを信じていない方がいたなら、この救いを信じ、すばらしい人生に変えられることを体験していただきたい。