6月23日 礼拝メモ
ガラテヤ人への手紙5章22~26節 (説教)朝比奈啓子牧師
「御霊の実は愛」
キリスト教、聖書のエッセンスと言えば、「神は愛」という事が多くの方々に周知であります。聖書を集約して一言で言えば、「神さまは愛」と言うこともできます。今朝は、聖書が教える愛とはどのようなものであるかを3つのポイントから見させていただきます。
1、自分を愛する愛
聖書ははっきりと、自分を愛することを教えています。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」(マタイの福音書22章39節、他) 自分を愛する愛とは、自己中心の愛ではありませんが、自分自身を大切にしなければいけません。
その理由は、
①神さまが私たちを大切にしているからです。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。」(イザヤ書43章4節)
②神さまが私たちのためにいのちを捨ててくださったからです。(ガラテヤ人への手紙1章4節)
③聖霊が私たちの内に住んでくださっているからです。
2、人を愛する愛
「あなたの隣人(家族、両親、夫、妻、子ども、友人、知人、上司、敵…)を自分自身のように愛しなさい。」 たとえ嫌な存在であったとしても、神さまは「愛しなさい」、とおっしゃっています。それは、私たち人間の力では出来ません。けれども神さまは、私たちの心をつくりかえてくださり、できるようにしてくださるのです。赦せないと思っていた人を赦せるようにしてくださるのです。
3、神さまを愛する愛
神さまを愛するとは、神さまの戒めを守ることです。それは、重荷とはならず、心から守っていこうとするものです。神さまを愛するとは、神さまを第一とすることでもあります。それは義務感ではなく、神さまを信頼してすることです。私たちは、一瞬先に何が起こるか分かりません。ですが、神さまが最善にしてくださると信じて歩むことができます。そのように信頼して神さまを愛することがクリスチャンの愛です。
最初はおぼつかない歩みかもしれません。けれども、クリスチャン生活を歩み続けていく時に、神さまは、必ず御霊の実(愛)を実らせてくださいます。聖書が教える主の御心の道をこれからも歩んでいきましょう。