8月11日(日):礼拝メッセージ

8月11日礼拝メモ

 ルカの福音書10章30〜37節 (説教)朝比奈悦也牧師

「それを実行しなさい」

 

 今朝の箇所は、「良きサマリア人」と言われるところですが、イエスさまはどうしてこのたとえ話を語られたのでしょうか。ある律法の専門家がイエスさまに質問したこと(永遠のいのちを得るにはどうしたら良いか)に対してさらにイエスさまが具体的に示されたためです。特にこの専門家が答えたことを「それを実行しなさい」とおっしゃられました。それは、この専門家が知識だけで実行していない事を見抜いておられたのです。律法、聖書の教えは知るだけでなく実行することがすべてでありますが、愛を実行するとは何をする事なのかを見ます。

 

1、目を向ける愛

 ある強盗に襲われた人は、助けを必要としていましたが、その事を目撃した祭司やレビ人は意識的に反対側を通っていきました。意識的な無関心はもっともたちの悪いものです。しかし一人のサマリア人は、その人を見てかわいそうに思いました。相手の苦しみに目を向け、分かち合って同情しているのです。イエスさまは生涯を通してこのサマリア人と同じように人々に目を向けられました。

 

2、手を差し出す愛

 サマリア人は、助けを必要としている人に近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯し、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行きました。祭司やレビ人は、離れ去ってしまいました。手を差し出す愛は出来る事を考えて、自ら進んで助けを提供し愛を実行する事です。イエスさまも助けを必要としている人々に対して、ありとあらゆる事をして手を差し伸べてくださいました。私たちの家族、知人、上司、同僚、部下、教会にこの手を差し出す愛を実行する必要はないでしょうか。

 

3、身を削る愛

 サマリア人は、傷ついた人を宿屋まで連れて行き、その人が癒やされるために、犠牲と代価を払ったのです。(35節)祭司とレビ人は、一切身を削りませんでした。イエスさまの生涯は、いつでも惜しみなく与える、身を削る生涯でした。すべての人の罪を全部負って、いのちをささげてくださいました。またその愛は、重荷ではなく喜びが失われませんでした。

 

 イエス様は私たちにも、「それを実行しなさい。」、また「あなたは私に従いなさい」(ヨハネの福音書21章22節)と言われます。愛を実行するお互いでありましょう。