11月24日(日):礼拝メッセージ

19年11月24日 礼拝メモ        (N・M)

 イザヤ書53章 (説教)朝比奈悦也牧師

「苦難のしもべの誕生」

 

 人類最大の祝賀行事である「クリスマス」は大いなる喜びの時ですが、その背後には大きな犠牲と代価がありました。払われる代価が大きければ大きいほど、その事にもたらされる価値は尊く大きくなります。私達は一時的な喜びでクリスマスをお祝いするのではなく、本当の喜び、大切さ、価値をとらえ、意義深く歩ませていただきたいと思います。イザヤ書は、イエス様の誕生の750年前から預言され記された書ですが、イエス様の生涯についてはっきり書かれているところです。イザヤ書53章「苦難のしもべ」としてのイエス様について今朝、三つの点からとらえさせていただきたいと思います。

 

1、苦難の事実

 「彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(2,3節)イエス様の生涯は、まさにこのように書かれている生涯でした。世のすべての人に称賛されて当然の御方でありながら、家畜小屋で大工の息子として生まれてくださいました。一切の栄光を捨ててお生まれくださり、愛をあますところなく人々に与え、仕え続けましたが、人々からは、のけ者にされ、最後は惨殺されました。苦難の事実です。 

 

2、苦しみの意味

 「彼は不法を働かずその口に欺きはなかったが。」因果応報という言葉がありますが、イエス様は、まったくその苦しみを受ける必要はありませんでした。ですが、「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。」(4節)「・・・私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。・・・しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」(5,6節)人々の一切の罪の罰を代わって償いをしてくださいました。

 

3、苦難の目的

 「彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」(12節)私たち一人一人の罪の償いのためにイエス様は苦しみを味わい担ってくださいました。どんなに金や地位を積んでもその償いは私たちにできませんが、それをしてくださり、永遠のいのちに至る道を備えてくださいました。

 

 イエス様が大きな苦しみの代価を払ってくださったことを覚え、クリスマスの時期だけではなく、日々の生活の中でその恵みを思い歩ませていただきましょう。